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(回答先: 若月俊一と佐久病院についてほんのわずか (極東ブログ2006.08.24) 投稿者 Kotetu 日時 2006 年 8 月 26 日 00:47:14)
2006/8/24「佐久病院名誉総長の若月俊一氏が死去」 ニュース
(ニュース)
若月俊一氏が死去 佐久病院名誉総長で農村医療主導
「農民とともに」を掲げ国内外で農村・地域医療を主導した、県厚生連佐久総合病院名誉総長の若月俊一(わかつき・としかず)氏が22日午前5時5分、肺炎のため、佐久市臼田の佐久総合病院で死去した。96歳。東京都出身。自宅は佐久市臼田2211。24日に自宅で近親者のみの密葬を行う。本葬は後日行う。喪主は長男で同病院老人保健施設長の健一(けんいち)氏。
東京都港区芝に生まれ、旧制松本高校、東大医学部卒。共産党の学生組織に入り工場災害を研究、医局時代の1944(昭和19)年、治安維持法違反で逮捕され、1年間拘留された。45年3月、当時の県農業会(現県厚生農業協同組合連合会)佐久病院に外科医長として赴任、46年に病院長に就任し、93(平成5)年11月まで47年間務めた。
終戦直後、南佐久郡の農民に目を向け、多くの傷病の原因が過剰労働や衛生・生活状態にあることを突き止め、積極的に農村に出向く医療を実践、啓発の演劇を交えた出張診療を始めた。1人1人の台帳に基づき生活改善も促す59年からの同郡八千穂村(現佐久穂町)全村健康管理により、医療費の節減を実証。ヘルススクリーニング方式による健康管理・予防医学のモデルとなった。
農薬中毒対策にも先駆的に取り組んだ。63年に農村医学研究所を設立。環境汚染問題に警鐘を鳴らし、予防に努めた。高齢化問題にもいち早く目を向け、在宅ケアと組み合わせた老人福祉施設を国のモデル事業として病院に併設した。
農村医学の普及を目指し、日本農村医学会、アジア農村医学会議などを立ち上げ、病院の経験を広く公開。病院経営にも手腕を発揮し、地域の診療所とも結んだ一大病院ネットワークを築いた。
第8回信毎文化賞、フィリピンのマグサイサイ賞、第1回スモン基金賞、信毎賞の第10回記念特別賞などを受賞。日本医師会優功賞。勲二等旭日重光章。「村で病気とたたかう」「若月俊一著作集」などの著書がある。(8月22日 信濃毎日新聞)
*こういう人こそ偉人。お悔やみ申し上げます。
佐久総合病院については、時枝俊江監督のドキュメンタリー映画『地域をつぐむ -佐久総合病院小海町診療所から』(岩波映画)も参照してください。
投稿者: kusukusu
http://blue.ap.teacup.com/documentary/826.html