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(回答先: <生活保護費の削減案>弱者の暮らしを直撃(東京新聞)国民の骨までしゃぶり尽くす「骨太」の方針 投稿者 heart 日時 2006 年 7 月 09 日 18:25:18)
社会保障と新自由主義
http://blog.goo.ne.jp/harayosi-2/e/c86e3d6a1c6fd70c2523732c1ce4986a
◆はじめに
1、社会保障制度の改悪・破壊の攻撃が続いている。
今国会で「新高齢者医療制度の創設」を軸とした、さらなる医療制度改悪を強行するための、医療制度改革関連法案が成立した。
それは、現行の老人保健法(1983年施行)でもって、老人医療無料制度を潰し、以降、四半世紀にわたって、老人医療制度を改悪しつづけてきた。その改悪は三次におよび、老人医療の改悪を梃子に、福祉医療へ、公費医療へ、さらに一般の医療制度へと波及させる、という改悪手法が三巡することとなったのである。
そして、老人保健法による改悪を、すべて完遂したことにより、次なる改悪のための法を用意する、それが今国会での医療制度改革関連法の成立であり、「新高齢者医療制度の創設」を軸とする、「高齢者医療確保法」である。
この法律の名称は、この間の法律のネーミングと同様に、障害者自立支援法が、障がい者の自立を支援しない法律であると同様に、高齢者の医療を確保しない法律である。
2、年金制度についても、1985年、1996年、2004年と、三度にわたっての大改悪が進められ、年金支給額が大幅に減額され、支給開始年齢が55歳から65歳へと繰り延べされ、年金保険料が大幅に引き上げられ、さらに、その引き上げが、今後14年間も続くことが、すでに決定されている。
高齢者の介護についても、従来公費で措置してきたものを、2000年に介護保険制度を創設することによって、「保険制度」としてきた。
45歳以上から保険料を徴収し、とりわけ65歳以上の高齢者からは、年金からの天引きという徴収方法がとられた。また、必要な介護サービスの給付ではなく、要介護度認定に基づく、介護サービス費の支給となっている。
この介護保険制度は、社会保障制度改悪の雛型であり、介護保険でとられた手法での改悪が、老人医療に、健康保険に、公費医療にと、次々導入されることとなった。
3、この他にも、雇用保険の改悪・税制改悪などもあり、例をあげればきりがないほど、社会保障制度の後退・改悪が、全面的に進行している。
生存権保障をうたった憲法25条が事実上否定され、また、戦争放棄と恒久平和を誓った、前文や9条が危機的な状況にある。
こうした社会保障改悪や憲法改悪攻撃の、背景や本質を探りたいと考え、その手がかりをつかむために、歴史的な要点整理と、自分が生きている今現在を確認するため、また、自らの問題意識を整理するために、「社会経済年表・社会保障メモ」を手づくりした。
◆社会保障の前進
社会保障と福祉国家
社会保障を考えるためには、ロシア社会主義革命から説き起こす必要ありとして、年表は1917年から始めた。社会福祉や社会保障を本格的に学んだ人達は、エリザベス救貧法やビスマルクの社会保険まで、さかのぼるようだが。この年表には、係わりがあると思われる世界の動きなどを書き込み、そして、日本の動きでも、社会保障に係わりのある事柄を、書き込みメモしてみた。
(その年表・メモは、ブログの都合から、省略)
この年表作成の中で、把握できたことを、大雑把に整理すると、
☆「社会福祉」とは、
資本主義の進展によって生み出される様々の弊害(貧困・失業など)を緩和するために、つくり出された。
いいかえれば、「資本主義の時代」の産物である。
☆「社会保障」とは、
ロシア革命の成功と社会主義計画経済の前進、資本主義世界の未曽有の世界大恐慌を経て、資本主義の延命策として、つくり出された。
いいかえれば、「資本主義の危機の時代」の産物である。
☆「福祉国家」とは、
社会主義世界体制の成立、旧植民地からの民族独立・民族解放運動、資本主義諸国の労働者階級の闘いの高揚という、世界資本主義の危機の深化の中で、ケインズの経済政策・ベヴァリッジの社会政策を結合し、つくり出された。
いいかえれば、「資本主義の危機深化の時代」の産物である。
福祉国家政策の展開
1、日本国憲法が1947年5月3日施行された。この新しい憲法には、あいついだ戦争の惨禍とその反省や、第2次世界大戦の終結後の世界情勢・動向から、戦争放棄・恒久平和、社会保障・福祉国家(前文・9条・25条など)という、資本主義憲法として最高水準の理念や理論が反映され、福祉国家憲法として制定されたといえる。
その、第2次世界大戦後の世界情勢・動向とは、ソ連邦の発展と社会主義計画経済の前進、アジア・アフリカなど民族独立・民族解放運動、資本主義諸国の労働者階級の闘争の高揚、すなわち世界資本主義の危機の深まりの中で、資本主義の延命策として福祉国家政策がとられるようになったことである。
英国労働党がベヴァリッジ報告にもとづく社会保障政策、「ゆりかごから墓場まで」をスローガンとして1945年の総選挙を戦い、圧倒的な勝利をおさめ、国有化・社会保障の充実などの福祉国家政策を展開した。
また、西欧・北欧ではそれぞれの社会民主主義政権などが、福祉国家政策を推進した。
2、福祉国家とは、労働者の権利,社会保障、教育などが強くかつ恒常的に保障された政治体制であり、福祉国家政策とは、国家が国民の福祉のために、経済・社会に介入し、完全雇用と社会保障政策などによって、全国民の最低生活の保障と福祉の増大を図るというものである。ケインズ主義的福祉国家体制、これを私たちは国家独占資本主義と呼ぶが、修正資本主義と呼んでも、社会民主主義と呼んでも、その意味するところは大差ないと思われる。
福祉国家の黄金期とその破綻
福祉国家拡充期は、第2次世界大戦が終った時期から、1973年の石油危機までとされるが、とりわけ、1950年代から1960年代という長期間にわたる、世界資本主義経済の空前絶後の、持続的経済成長をとげたことによって、膨大な財源を必要とする社会保障制度などの充実を図ることが可能となり、まさに「福祉国家の黄金期」をむかえることとなった。
この福祉国家政策とは、対社会主義との競合が基本的前提としてあり、対社会主義経済競争(戦争)において、優位に立つことができたといえる。
しかし、1970年代に入り、資本主義各国の巨額の財政赤字、とりわけ、 アメリカの双子の赤字、国際通貨としてのドルの金との交換停止によるドル 下落、一次産品輸出国の結束、石油輸出国機構(OPEC)の値上げ攻勢のなかで、「石油ショック」を契機としたインフレと不況の同時進行(スタグフレイション)という、「資本主義の危機のさらなる深化の時代」に入った。
そして、1970年代の後半、ケインズ主義的政策(国家独占資本主義)の破綻が、資本主義世界の共通認識となり、その危機打開策を見出すため、1975年に先進国首脳会議(サミット)が開催された。それ以降、毎年開催され、模索が開始・継続されることとなった。
◆社会保障の後退
新保守主義(新自由主義)の台頭
1、そうしたなかで、新古典主義・新保守主義(新自由主義)が台頭してき た。そして、プライバタイゼイションという新造語で表現される、民(私)営化・規制緩和の攻撃が、福祉国家体制に対してかけられてきた。
このプライバタイゼイションを、急進的に進めたのが、1979年に誕生したイギリスの保守党サッチャー政権であり、サッチャリズムと呼ばれることとなった。
それは、1945年に誕生した労働党のアトリー政権が、ケインズ政策・ベヴァリッジ報告にもとづき進めた、国有化や社会保障制度拡充政策の、対極をなす政策、民(私)営化・規制緩和・社会保障制度の後退という政策を強行したのである。
2、NHSと呼ばれてきた、医療にかかる負担は税で賄い、医療費は無料という、ナショナルヘルスサービスについては、制度廃止には踏み込むことができなかったが、医療給付のための予算を極端に圧縮することで、医療費は無料であっても、受診することができない、手術を受けることができない、入院できないという極端な受療状況をつくりだした。入院の半年待ちや一年待ちが発生するような、予算の締め付けと、その削減を強行した。
3、もうひとつの事例だが、第一次世界大戦後から国家プログラムとして、公営住宅の建設が進められ、その当時、90%が私的賃貸住宅であったものを、1947年には60%に、そして、1970年代末時点での住宅事情は、私的賃貸住宅10%、公営住宅が30%、持ち家60%、となっていた。そうしたことから、当時のイギリスの社会保障費のなかで、その最大の重荷は、公営住宅の建設・維持費用であった。
サッチャー政権は、その公営住宅を居住者に、相場の5割引で売却した。そして、居住者が住宅を買い取るための、そのローンまで、国が面倒をみたのである。
さらに、居住者への売却だけではなく、賃貸住宅業者へも、良い住宅から売却し、公営住宅として残ったのは、古い・劣悪なものばかりということになった。
4、社会保障としての居住権の保障、すなわち公営住宅の建設・維持、その費用が嵩んでいたのだから、安く払い下げたとしても、出ると入るその差は大きく、財政負担はおおいに軽減されることとなった。
公営住宅の払い下げを受けることのできた人たちと、賃貸の形で引き続き公営住宅に住まなければならなかった人たちの、その差は大きく、公営住宅を購入できた比較的裕福な人たちが、莫大な政府の支援を得たことに比して、公営住宅を購入できなかった人たちは、居住していた住宅が民間への売却物件であれば、売却されていない住宅に移らざるを得なくなり、また住宅扶助の削減などもあり、より大きな負担が求められることとなった。
公営住宅の居住者は、払い下げを受けることもできない、貧乏人ばかりとなり、生活保護と同様のスティグマが生じた。
公営住宅の払い下げを受けた人たち、改革での利益を得た人たち、また、それを期待する人たちを含め、サッチャー政権の支持率は、おおいに高まった。
新自由主義の世界展開・グローバリゼイション
1、イギリスでのサッチャー政権に引き続き、1981年にはアメリカで、共和党レ−ガン政権がスタートし、また、ニュージーランドやオ−ストラリアなどにおいて、サッチャーが展開したのと同様の反動的な改革が、アングロ・サクソン改革という名で展開された。日本においては、中曽根第二臨調・行政改革攻撃として進められた。
資本主義の危機がより一層深化したことにより、その先祖返りともいうべき反動的な攻撃が展開されていたが、きわめて残念なことに、その資本主義諸国の労働者・民衆の闘争や反撃を鼓舞すべき社会主義各国は、両体制間の経済戦争に敗北し(1950年〜60年代の福祉国家の黄金期、長期の持続的経済成長で、体制間の競争は完全に敗北)、むしろ自壊・自滅状況が進行していた。
そして、1980年代の後半には、社会主義世界体制は崩壊した。
2、このことにより、1990年代は、新自由主義・市場原理主義にもとづく、旧社会主義国をも含めた全世界的な社会経済構造改革の時代にはいり、グロ−バリゼイションと呼ばれる、多国籍資本が全世界的に利潤追求活動を自由展開するための、世界秩序づくりの時代に入った。
1990年代後半の、日本における社会経済政治構造改革がそれであり、日経連の「新時代の日本的経営」、橋本内閣の「構造改革・規制緩和」、小選挙区を梃子とした「政治改革」であった。
3、2000年代前半、新自由主義・グロ−バリズムという多国籍資本のための政策を、また、それを全面展開するための、強引な社会経済構造改革が、現在進行中の小泉構造改革である。
ジュニア・ブッシュ政権の超保守主義(ネオ・コンサバティブ)路線に協調して、多国籍資本のためのグロ−バリゼイション・新自由主義的政策を全面展開してゆくには、資本主義憲法であっても、福祉国家憲法である日本国憲法が、もはや桎梏(手かせ・足かせ)となったのである。
日本を本拠地とする、多国籍資本の世界展開を安全保障(武力での威嚇と行使)するための、9条の改悪であり、福祉国家政策への全面的攻撃と、社会保障制度の破壊であり、そして、その社会保障・社会福祉を、資本の営利の対象として献上する、すなわち25条の否定である。