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http://www.din.or.jp/~okidentt/hantaiha.htmlより転載。
私は、教育委員会、校長、右翼団体の会長、政治家などと直接、交渉や話をし、インターネットでも議論をしてきました。
その中での主張をまとめたものです。
教員は公務員だから法律に従わなければならない、規則には従わねばならない。
これは罰則によって強制している実体を指摘すると教育委員会や校長が使う言葉です。
人を殺してはならない。ものを盗んではならない。といった誰もが納得するルールと「日の丸を掲揚しなければならない」といった規則は性質が異なります。
教育委員会や校長はこれらを区別しないで主張することが多い。
「規則」が妥当なものかどうか見直し続けるのが民主主義です。現状にふさわしくない規則は変えなければならない。
そのさい、誰かが「この規則は悪い」と言いだし、議論を行うことが大切なことです。
公務員こそ、その任を一般の人以上に負うていると考えるべきでしょう。
日の丸強制の唯一の根拠である学習指導要領は、国民が選挙で選んだ国会議員が作った法律ではなく、文部省の役人達が作った「規則」であることも知らない人が多い。
民主的な議論の上で作られた規則ではありません。
批判し、それが妥当なものかどうか、国民に問題提起する行動は大切な事だと思います。
以下2005.6.22追加
国家権力が歌や旗というシンボルを罰則を持って強制してはならない(相手がだれであろうと)、という問題であるのに、
これを「公務員は法律に従わねばならない」という問題にすり替えています。
日の丸君が代を推進したい側は公務員にだけこれを求めているわけではなく、児童、生徒、学生(私立校を含めた)国民全体に求めているはずです。
1999年国旗国歌法が制定されたのだから従わねばならない。
この法律は「日の丸を国旗とし、君が代を国歌とする」ことを定めただけのものであって何処にもこれらをどこかで強制してよいとは書いてありません。
そればかりか、当時の小渕総理大臣が国民の前で「この法律を理由に強制することは絶対にない」と約束した上で成立した法律です。
すなわち国旗国歌法は、日の丸君が代を強制してはならないという不文律を含んだ法律と言うことが出来ます。
なぜ日の丸君が代にこだるのか理解出来ない。
良識的な人は、日の丸君が代を好き嫌いで反対しているのではありません。
残念ながら日の丸君が代は歴史の中に問題を残した旗や歌です。今もアジア周辺国には拒否反応があります。
これを強制することは憲法で保障されている思想信条の自由や良心の自由を犯すことだと考えるから反対しています。
強制はまさに全体主義であり、民主主義に反するから反対しています。
こだわっているのは、強制に反対している人ではなく、罰してまで強制している国家権力です。
反対している者は、北朝鮮や、中国共産党のシンパだ。共産党や左翼セクトの人間か、そのプロパガンダに踊らされている者だ。
このての意見がインターネット上の議論の中に非常に多いことに驚きます。
自分と違う意見の者にはレッテルを張り付けることで決めつけ、相手の考えと自分の考えを対比検証することから逃げてしまっています。
このようなことを本気で信じている人は、話し合う事で物事を進める民主主義的手法が苦手な人か、現実を見ようとするつもりや理解する能力のない人なのかなと思います。
私の周辺の人で(私も含め)北朝鮮や、中国共産党に好感を持っている人や、政治セクトの人はいません。(政治セクトを悪いと言っているのではありませんが)
私が知らない場合もあるかもしれませんが、少なくともセクト名を表に出して活動している人はいません。
しかし、現実にこのような程度の低い主張が世論に影響を及ぼすことが恐ろしいと思います。
日の丸君が代に反対している教員は日教組の指示で動いているやつだ。
事実誤認も甚だしい例です。
日教組をはじめ教員組合の多くは、方針としては 日の丸君が代に反対ですが「処分を受ける行動は取るな」と指示しています。
一部の「少数組合」以外は処分を受けて闘っている教員の支援すらしません。
この何十年の間、教員に限らず、労働組合の多くは自分たちの利益を守る事だけに取り組み、その為かえって弱体化してしまいました。
残念なことです。
この項2005.6.26追加
日の丸君が代に反対する者は日本が嫌いなやつだ。
日の丸君が代の強制に反対している人全員の人格や人間性に、私が責任を持つわけにはいきませんが、私の知る限り、特に教員は、社会の成り行きに身体をはって責任を持とうとしている人が多い。
自分の利益を守ろうとすれば、日の丸推進の立場になるか、知らん顔をしていたほうが得なのです。
反対を貫けば相当の不利益がある現状の中で、がんばり続ける事は、よほどの決意がなければ出来ません。 この人達は、本当に日本の社会を良くしようとしている、いわば「愛国心」のある人たち
念の為に再度言えば、私の周辺の人で(私も含め)政治セクトの人はいません。
一般には、日の丸推進は愛国心の現れのように思われがちですが、現実を見ると、とうていそうは思えない。
右翼の人が天皇を中心とした社会を目指し、そのシンボルとして日の丸君が代を推進するというのは理解出来ます。
(私は反対ですが、理解は出来る)
しかし、教育委員会にしても、校長にしても、推進派の大部分は、「あなたは天皇制の社会にしたいのか」と聞かれると、必ず「そうではない」と答える。自分は右翼ではないと答える。
校長達は自分の立場を守るために推進派に鞍替えをし、若いときに主張していたことを捨てる。
最大の理由は保身なのです。
推進派の愛国心とは、政府や役人、権力を握っている者の言うことに従順で、他の国に好戦的な対抗意識を燃やす、権力にとって制御しやすい人たちの心のように見えます。
また「2ちゃんねる」から私の掲示板に来て根津さんに対し攻撃的な書き込みをする人たちの心理というのは、ひいきの野球チームをけなされた熱狂的ファンみたいなものではないかと思います。
この人たちは、 日の丸君が代強制反対を、
「日本にけちをつけている」
「日本だけにけちをつけ、他の国(特に中国や北朝鮮)の人権侵害や理不尽を擁護したり、看過している」
と思いこんでいるふしが感じられます。
実は日本を大切に思うからこその行動だし、他国の理不尽にも、相手が中国、朝鮮であろうが、アメリカ、フランスであろうが、どんな国であろうが、
その都度批判すべきは批判しているのですが、それらは見ようとせず、
「日本にけちをつけられることは、自分にけちをつけられることだ」
という感情のみが走って論理的にものが考えられない。
そんな気がします。
2005.12.8 追加
子ども達に他国の国旗国歌を尊重する国際感覚を養うことが目的だ。
これは教育委員会や校長の答弁でつねに聞かれる言葉です。
国際感覚を養うのは結構な事です。しかし、日の丸に関しての国際感覚とは、アジアの人がこの旗にどのような思いを持っているかを理解する事でしょう。
もし韓国や中国に行って日の丸の旗を振り回したり日の丸を掲げて行進したりするような事をすれば、その国の人からどのような反応があるのか、それはなぜなのかを理解出来る感覚こそが国際感覚と呼べるものです。
しかし今の教育はこのような事をしかねない人間を育てている、国際感覚の麻痺した教育と言わざるを得ません。
現に隣国韓国ではこの間の教育現場での日の丸君が代の強制を「日本社会の右傾化」
と懸念を表明する報道がなされています。(2001年3月7日韓国KBSテレビ)
あるいは、ここで言われる国際感覚とは、アジア諸国を省くのでしょうか。
アメリカは国旗に敬礼する国だ、国旗国歌に反対することなど国際的に通用しない
これも、想像だけでものを言っている例の典型だと思います。
私は英会話教室に通っているので、これまで知り合ったすべてのアメリカ人、カナダ人、イギリス人の教師に日の丸強制の現状を話しました。(2001年2月現在11人)
すべての人の反応は、「旗や歌を罰則で強制することは民主主義に反する」というものです。
また、日本に来ているキリスト教の外国人神父や牧師などの多くの西欧人が反対している事も推進派は見ようとしていない事実です。
アメリカの国旗に関する判例
青少年のすさんだ現状を改めるため日の丸を推進すべきだ
たしかに今の青少年のすさんだ心はなんとかしなければならないと私も思います。しかし日の丸の強制はこの問題に対し、逆効果の最たるものだと言わざるを得ません。
教育委員会の命令を受けた校長が、教員会議の意向を無視し、罰則を武器に 日の丸君が代を強行するありさまを子どもたちに示すことは
理を尽くさず、強い者のいいなりにさせることを子どもたちに示すことです。
このようなことで、どうしていじめや、それによる自殺を減らすことが出来るでしょうか。
いじめに対応しようとせず、自殺者が出るとその実状や情報を隠し、責任逃れをしようとする学校の体質と、日の丸君が代強制の体質は同じ方向を向いていると言わざるを得ません。
逆に、現状で日の丸の強制に抗議する勇気のある教員は、子どもたちのいじめの問題に真っ向から取り組む気概のある教員だ(私の友人を見る限り)と思います。
そのような、気概のある教員を、日の丸の強制に反対したという理由で処分し、教育現場から排除している現実があります。
これらの行為は、教育を子どもたち自身のために行っているのでも、民主的な社会を作ろうという立場で行っているのでもなく、
権威に従順な人間を育てたいという願望の現れとしか考えられません。
日本が戦争したり全体主義になることなどあり得ない。 国民に選挙権があるのだから民主主義は守られる。
時に民衆は権力にマインドコントロールされやすいことを知るべきです。
自由選挙の行われている国でも民族主義があおられ、国レベルで暴走する例は続いています。 不況などで国民に不満がつのっているときなど、常に権力を批判する自由が保障されないと国民レベルのマインドコントロールの危険が伴います。 少数派の意見が権力によって圧殺される先には全体主義、ファシズムがあります。
ヒトラー、ナチスドイツはドイツ国民の投票によって政権を取ったことを忘れてはいけません。
一人一人の国民が社会に主体的に参画し、その成り行きに責任を持とうとする姿勢こそが、
権力が不正を行うとき、身をもってそれを指摘し、改めさせ得る行動こそが、
日本人の中に誇りを持った人間性を取り戻すのだと思います。
この姿勢こそが本当の愛国心と呼ばれてふさわしいものだと思います。
2001年2月25日
2003年10月29日以降、順次追加、修正
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