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(回答先: Re: 3万円の慰謝料??・・法と道徳との関係 投稿者 たけ(tk) 日時 2006 年 9 月 24 日 01:52:07)
http://www.ksc.kwansei.ac.jp/~z95024w/diverse/roshi-shizen.html
国家が道徳を国民に説く日は、どういうことか老子もいっている。
日本が道徳問題を出した時点で、国力が衰えていることを痛感すべきである。
それよりも、名目GDPの上昇と財政健全化、時代にみあった公的サービスといった具体的な問題解決の政策をだせないというのが、いまの日本の問題点なのだ。
決して、日本の乱れは、小手先の「道徳」にあるのではない。
だから、道徳論云々などは全く意味のない議論なのだ
こんな議論で言い争いになるということは、日本が如何に終末的な状態なのかを知るべきなのだ。
上徳は徳とせず、ここを以て徳有り。下徳は徳を失わざらんとす、ここを以て徳無し。上徳は無為にして以て為す無く、下徳は之を為して以て為す有り。上仁は之を為して以て為す無く、上義は之を為して以て為す有り、上礼は之を為して之に応ずるなければ、すなわちうでを払って之につく。故に道を失いて而る後に徳あり、徳を失いて而る後に仁あり、仁を失いて而る後に義あり、義を失いて而る後に礼あり。それ礼は、忠信の薄にして乱の首(はじめ)なり。・・・
最上の徳は己の徳を意識しない。だから徳があるのだ。
低級な徳は己の徳にしがみつく。だから徳がないのだ。
最上の徳は無為であり、わざとらしいところがない。
低級な徳は有為であり、わざとらしいところがある。
最上の仁は有為であり、わざとらしいところがない。
最上の義は有為であり、わざとらしいところがある。
最上の礼は有為であり、その礼に応えないと、腕まくりして詰め寄って行く。
だからこういう言葉がある。
無為自然の道が廃れると、無為自然の徳が説かれ
無為自然の徳が廃れると、人為的な仁の道徳が説かれ
人為的な仁の道徳が廃れると、人為的な義の道徳が説かれ
人為的な義の道徳が廃れると、人為的な礼の道徳が説かれるのだ、と。
この言葉からも知られるように、
いったい礼の道徳というものは、
人間のまごころの薄くなったもので、
世の乱れの始まりである。
・・・
国家公務員は、国の形式的に多くの人間に宣伝する能力の一つに
国旗掲揚・国歌斉唱と言う 「公的業務に付随する事項」
があるというだけである。
国旗掲揚や国歌斉唱は、「業務」であって
道徳でもなければ、心をこめる必要などまっくいらない。
国家公務員から見た、それらの業務は形式的な管理事項の一つでしかない。
そうでなくてはならない。
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