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(回答先: 3万円の慰謝料?? 投稿者 いかりや爆 日時 2006 年 9 月 23 日 18:17:13)
国旗国歌の強制は違憲という判決がでた、3万円の慰謝料?? さまざまな考え方を尊重し、その考えを表現することを保障するというのは、道徳みたいなものだと思う。国民の暗黙の了解で、式典のときに、平和を愛する日本国民として、戦争のための軍国主義の象徴であった日の丸の掲揚を拒否し、国民自身が主人公であるという考えに反する「君が代」は歌いたくない、という考え方も尊重し、彼らがその考えを表現することは保障したい。
法律で罰するものではないが、道徳を守らなくなれば国は乱れる。政治家たちや東京都の教育委員会が、最高の法である憲法に違反する規則を教師たちに押しつける、生徒たちはそれをみている。
教育現場は集団生活の場、模範を示すべき政治的指導者や教育委員会が、自ら集団生活のおおもととなる法規(憲法)を軽視して、集団生活の根本を乱している。学校が荒れるのも当然。最近、小学生にまで授業がなりたたない教室がふえているという。道徳は法律以前の問題、道徳も守れない教育委員会や政治家たち、彼らに必要なのはしつけ教育じゃ、困ったもんだ。
いくらなんでも、3万円の慰謝料は安過ぎる。
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法と道徳との関係ですが、それぞれのコトバの定義や、そのコトバを使う目的によって多少の見解の違いはあるのですが、大まかには、法というのは「権力によって強制されるべき道徳」と言ってもよいでしょう。(この言い方にマッチしない例外は、捜せばたくさん見つけられるでしょう)。
(a)「国旗掲揚と国家斉唱は、(集団生活に必要な)道徳みたいなもの」というのもひとつの道徳です。
(b)「戦争のための軍国主義の象徴であった日の丸の掲揚を拒否し、国民自身が主人公であるという考えに反する「君が代」は歌いたくない」というのも道徳的感情からでてきた考え方であり、ひとつの道徳といってよいでしょう。(この手の主張をする人びとは「道徳」というコトバを毛嫌いする傾向があるので、憤慨するかもしれませんが、概念的に分析すればこうなります)。
(c)また、「さまざまな考え方を尊重し、その考えを表現することを保障したい」というのも別のひとつの道徳です。
本件の場合、このふたつの道徳(a)と(b)が相反する帰結をもたらしてしまう。一方は「君が代を斉唱すべき」他方は「君が代を斉唱するべきではない」という帰結をもたらします。
また、(c)の道徳は、君が代を斉唱すべきかどうかに関してはどちらにも与せず、どちらの道徳も他人に強制してはならない、という帰結をもたらします。
(a)の道徳を強制すべき法だとするなら、東京都の教育委員会の(暗黙の?)規則となり、斉唱しなかった者に対して不利益処分を課するという形で強制することになります。
(b)の道徳を強制すべき法だとするなら、君が代を斉唱したものを罰する、という法律が制定される、ということになるでしょう。
どちらがよいですか?
これに対して、(a)の道徳も、(b)の道徳もともに、強制すべきものではない、というのが(c)の道徳ということになります。
この(c)の道徳は強制すべきものだと考えられています。というのは、力の強い者がその道徳を力の弱い者に強制した場合には、力の弱いもの道徳が失われることになり、社会全体の道徳的多様性が失われ、各人が何を善とするかということを真剣に考えるチャンスを失わせ、社会全体の道義的活力が失われてしまうからです。
(c)の道徳を強制すべき法だとするなら、強制すべきでない道徳を他人に強制してはならない、強制した者に対しては、彼の制定した規則や行政処分を無効にするという形での、不名誉な処分を課することによって「強制してはならない」ということを強制する、ということになります。
それが憲法の考え方です。
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【参考・・ウィキペディア・・法・・道徳との関係】
http://ja.wikipedia.org/wiki/法_(法学)#.E9.81.93.E5.BE.B3.E3.81.A8.E3.81.AE.E9.96.A2.E4.BF.82
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