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(回答先: 海岸線は誰のもの、不動産でお金もうけか、食べ物を得る所か。先住民の強い信念 (ニュージーランド) 投稿者 東京音頭 日時 2006 年 9 月 19 日 12:52:01)
地域社会の再生は可能か
(『現代の理論』第2号、2005年1月、所収)
奈良女子大学 澤井 勝
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(略)
これまでの地域社会のスケッチ(1)農村部の場合
昭和30年代半ば(つまり1960年ごろ)までの日本の農村部のコミュニティは、水田地帯にしろ畑作地帯にしろ、その基礎は土地所有とその管理、および水の管理の上に成立していたといってもよい。それは里道や畦畔(リドウやケイハン)の補修作業などの協働労働をともなった。これらは「道普請」という「賦役」でもあり、それが入会地などの総有形態の土地の共同利用の基礎を形づくってもいたといえる。
(なお、近代経済学のエコノミストが指摘し、近代的所有の、あるいは資本制的な自然支配を合理化するために利用される「コモンズの悲劇論」の「コモンズ」とは、この共有地ないし総有地と同じ意味だが、わが国の場合は村落共同体内部および共同体間の管理機構(共同体規制や争訟の仕組み)が比較的強く働いてきたためか、「コモンズの悲劇」のような「過剰な利用による荒廃」という現象はほとんど生じてこなかったようである。むしろ「コモンズ」的な人間と自然との関係の見直しこそ、エコロジカルな経済にとって重要な視点であると指摘されている。)
これに、農業や漁業という生業に結びつき、あるいは誕生や成長などの人生のライフサイクルごとの祝い事と関連する、ムラの神社や寺の祭りとその講がその村落コミュニティを形成する大きな要因となっていた。それは生産と消費、イエという生活の単位の再生産とを統合する共同体としてのコミュニティという色彩が強かったのではないか。
ここでは「支配」の関係は薄く、むしろコミュニティの構成員が、順繰りに役を担うという形をとるために、「ユイ」に代表される手間の交換、すなわち「連帯」や「協働」の契機のほうが強い。長老はいるが、それは尊重されるべき先達として敬われるのであって、支配するわけではない。もめごとの裁定者にはなるだろうが。
もっとも、このコミュニティの主たる担い手は、少なくも明治以後の近代においては成年男子の家長だとされてきた。この点は、ムラ社会の束縛や抑圧として何時の時代にも若者や女性に対してはあらわれた。またこの村落コミュニティ内外の「本百姓」以外の被差別部落民などへの根強い差別を伴なったことも留意すべき点である。
「ふるさとは遠くにありて想うもの。よしや異土の乞食なるとても帰るところにあるまじや」と歌った室生犀星の感傷が、多くの共感を得てきたことも重要な事実である。
とはいえ、特に1980年代の地方の時代以来、このような地域社会が、地域活性化のためにうまく活動している場合もある。というより、このようなコミュニティの紐帯を生かす形での地域活性化も取り組まれている。
(略)
http://www.zaiseijoho.com/bunken/tiikisyakainosaisei0501.htm
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