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週のはじめに考える
政治の基礎は“学習”
新しい日本の政治リーダーには学習する能力と意欲があるのか、国際社会も注目しています。歴史を逆転させないか、日本国民の選択にも世界の眼(め)が光ります。
国の指導者に不可欠な条件は教養と知性、それらを磨くための学習意欲です。教養と知性こそが状況に柔軟、的確に対応できる下地です。
政治家に必要な教養の第一は歴史に対する認識です。過ぎ去ったことに学ぶ重要性は、「過去に目を閉ざす者は現在も見えない」というワイツゼッカー元ドイツ大統領の言葉を借りるまでもありません。
戦前からのリベラリストで、ジャーナリストから政治家に転じた石橋湛山氏が残した文章の一節を紹介します。
■歴史はドラマチックに
「少なくとも満州事変以来、軍、官、民の指導的地位にあった者は重罪人だ。然(しか)るにそれらの者が依然として政府の要職にあり、あるいは官民の指導者顔で平然としているのは許し難い」
石橋氏は一九五六年暮れから病に倒れるまでの二カ月余ながら首相も務めました。二男が戦死しているのですが、敗戦二カ月後に早くも靖国神社廃止を主張し、その提言の中にこのように書いたのです。
戦前戦中のまさに「官の指導者」であり、A級戦犯リストにも載った岸信介氏がその石橋氏の後継首相になったのは歴史の皮肉ですが、終戦記念日に靖国神社に参拝した小泉純一郎首相は石橋氏の心中を察したことなどないでしょう。
折しも小泉後継の最有力候補は岸氏の孫である、安倍晋三内閣官房長官とされています。歴史はドラマチックに展開します。
靖国神社には、戦陣に倒れた人だけでなく、戦争を指導し多くの人を戦場に駆り出した人も神として祭られています。東京裁判でA級戦犯として有罪になった人などです。
■求められる知力と努力
さまざまな問題点が指摘されているとはいえ、日本は東京裁判を受け入れて国際社会に復帰しました。内閣の責任者がA級戦犯の前で手を合わせると、「日本は“戦後体制”を否定するのか」との不信感がアジア諸国に生じかねません。
「参拝は心の問題」と自分の自由を優先した首相の行動は、首相参拝で痛みを感じる人の心を踏みにじっています。公人の自由の幅は私人のそれより狭く、時には公人が譲るべきなのは民主主義の常識です。
現実に生起する問題はこのように複雑です。ですから、たゆまぬ学習で、もつれた糸をほぐす知力と努力が政治家には求められます。
加藤紘一元自民党幹事長、山崎拓前自民党副総裁が議論する脇で、小泉現首相は黙って酒を飲み続ける。意見を求められると「おれは決めているから」と言うだけで後は無言−YKKトリオといわれたころ伝えられたエピソードです。
「信念」と言えば聞こえはいいのですが、これが真実なら“聞く耳持たぬ”姿勢です。多くの情報を積み重ね、多面的に考えることが過ちを避けるための前提条件なのに、学習を放棄してはいけません。
しかし、問題を単純化して敵をつくって見せ、国民を扇動して自分に引きつけるのが小泉政治の手法でした。「改革を推進する側を選ぶか、妨害する側を選ぶかの選挙だ」「官から民へ」−この五年間、数多くのキャッチコピーが繰り出されましたが、単純化された、分かりやすい表現には必ずうそが交じります。 扇動が外交に関係するとナショナリズムを高揚させます。「靖国参拝への批判は中韓のいやがることはするなということ」というせりふが典型です。二元論ですまない
「批判する方がおかしい」との小泉発言は、大戦を前に中国と和解する道を閉ざした近衛文麿首相の「国民党政府を相手にせず」発言を思い起こさせます。 参拝を批判した加藤氏の生家への右翼団体員による放火に、小泉流扇動政治の影響はなかったのでしょうか。一部政治家の「ものを言いにくい空気がある」という不安は、事件の背景ではないのでしょうか。 日中戦争から世界大戦へ突き進んだ昭和初期の雰囲気に似てきた
この事件について安倍氏も首相も沈黙していたのは不可解です。首相の意中の人といわれ、参拝容認の安倍氏は、小泉流の政治手法をどう評価しているのでしょうか。国民に披露すべきです。同じく「安倍へ安倍へ」とすり寄る自民党議員の考えも聞きたいものです。
■祖父の遺志継ぐかのように
政治姿勢における岸氏との距離も問われるべきです。例えば、安倍氏は、改憲を狙って政府に憲法調査会を設けた祖父の遺志を継ぐように、改憲実現を前面に押し出しました。 日本はなぜ戦争への道を突き進んだのか、現行憲法はどんな役割を果たしているか
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