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(回答先: 「日本版CIA新設を」 自民検討チームが提言 投稿者 輔の助 日時 2006 年 6 月 23 日 20:36:30)
共謀罪犯を摘発する為にはそれらが現実的に要請されるでしょう。
特別高等警察
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/tokkou.htm
特高警察とは特別高等警察の略称で、戦前の日本で天皇制政府に反対する思想や言論、行動を取り締まることを専門にした秘密警察のことである。
特高警察の創設は1911(明治44)年に警視庁に特別高等警察課として設置されたことにさかのぼることができる。前年に起きた明治天皇の暗殺を計画したというデッチ上げによって全国の社会主義者などを弾圧した大逆事件が契機となったのである。
その後、1924(大正13)年に大阪、京都などにも増設され、さらに1928(昭和3)年には全国に配置された。
いうまでもなく1925(大正14)年4月22日に国体(天皇制)に批判的なすべての思想と運動を「犯罪」とする(民主主義死刑法であった)治安維持法の制定にそなえての設置であった。
同法の主たるターゲットは、1922(大正11)年の創設された天皇制と侵略戦争に反対した日本共産党にあったが、特高は、内務省警保局保安課の統括下におかれ、共産党のみならず、いっさいの民主的な思想や運動の破壊に狂奔した。そのやり方は、拷問やスパイによる弾圧など野蛮極まりないものであった。
たとえば日本共産党員やその支持者を逮捕すると残虐な拷問をおこない、党を裏切ってスパイになること(転向)を強要したり、それでも転向しない者は、小林多喜二のように裁判にかけられることなく警察の留置場における拷問で謀殺してしまうのもしばしばであった。また、日本共産党にスパイをもぐり込ませ、そのスパイに銀行強盗をやらせて日本共産党の“仕業”と宣伝し、弾圧の格好の餌にするなど、卑劣な謀略を常とう手段としていた。
このように民主主義とはまったく相いれない組織であるため、特高警察は敗戦直後の45年10月、GHQをはじめとする日本の民主化を求める内外の世論のなかで、治安維持法などとともに廃止された。
だがしかし、現在の警察機構のなかの警備公安といわれる部門は、現体制(政権)維持を目的に、日本共産党だけでなく市民のボランティア活動さえ監視の対象としており、特高警察の延長線上にあるとの指摘もなされている。
特高廃止の新聞報道を見た作家の高見順は、「特高警察の廃止、−−−胸がすーッとした。暗雲がはれた想い。しかし、これをどうして連合軍司令部の指令をまたずしてみずからの手でやれなかったのか。−−−恥かしい。これが自らの手でなされたものだったら、喜びはもつと深く、喜びの底にもだもだしているこんな恥辱感はなかったのろうに」と記した(『敗戦日記』335頁)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5%E9%AB%98%E7%AD%89%E8%AD%A6%E5%AF%9F
特別高等警察
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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特別高等警察(とくべつこうとうけいさつ)は、大日本帝国憲法下の日本で、治安維持の名の下に社会主義・共産主義など反体制思想の活動を弾圧した秘密警察。俗に「特高警察」(とっこうけいさつ)や「特高」(とっこう)と略される。政治警察を高等警察と称し、他の警察を普通警察と称するのは、フランス、ドイツの行政法用語に由来するものである。特別高等警察という名称については、天皇制維持(国体護持)が他の活動より特別に高等、重要であるとする思想から命名された。
白色テロの実行部隊として悪名を馳せ、「民主主義殺戮法」と呼ばれた治安維持法の実行部隊でもあった。「票読み一つ誤らない」と恐れられた緻密さを持ち、殊に戦時中は、銭湯の冗談も筒抜けになるとまで言われた。
戦前や戦時中は、「特高の持つ手帳は赤色である」という噂がまことしやかに流れていた。「赤を狩るための赤」というわけである。だが、これは事実ではない。彼らの持っていた手帳も、警察と同様に黒色であった。もっとも、彼らはそもそも手帳を提示することをしなかったという。また手帳の色を確認出来るような人間と付き合うこと自体が危険だったことから起った噂である。なお、余談ながら、過去赤色系の手帳を持っていた公安職は麻薬取締官である。これは戦前も内務省衛生局の下にあり、色も同様だった。
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変遷
特別高等警察が最初に設置されたのは、アナーキストの天皇暗殺計画であるとされた幸徳秋水事件(大逆事件)を受け、1911年、警視庁に政治運動対象の高等警察から独立して、社会運動対象の特別高等警察課が設置された時である。この時、地方長官や警察部長などを介さず、内務省警備局警備保安課の直接指揮下に置かれた。その後、警視庁の特別高等警察課は特別高等警察部として独立する。
1924年には、大阪府や京都府といった主要府県の警察部にも特別高等課が設けられ、治安維持法が制定された1925年には取り締まりの法的根拠の整備が終わり、1928年に三・一五事件を受けて、赤化への恐怖と称して全国配置が完了した。
第二次世界大戦中には、反戦運動や統制経済に対する弾圧・監視も行った。これに先立つ1933年には小説家小林多喜二を取調べ中に殺害し、戦時中には横浜事件に代表される言論弾圧事件を惹き起こした。又、「鵜の目鷹の目」の監視網と密告網を張り巡らせた。
特高警察を指揮した内務官僚の代表格は、安倍源基(1894〜1989)や町村金五(1900〜1992。町村信孝の父)など。
第二次大戦敗北後も組織は存続したが、1945年10月4日に、GHQの指令により、治安維持法と共に廃止された。戦後、特高警察に関連する官僚たちは、殆どが他の機関と同様に公職追放されたものの、社会主義・共産主義者の恐怖を口実にして(1950年代のいわゆる「逆回転」)、後に旧自治省・警視庁・公安調査庁などの上級幹部職に復職している。
ちなみに、国民投票法案は憲法改悪を行うためのものです。
憲法改悪を行いたいから、国民投票法案を通そうとするのです。
何事についても、「最終目的」を見抜く目を養わなければなりません。
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