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(回答先: 民主修正案丸呑み与党の本質(レイバーネット) 投稿者 天木ファン 日時 2006 年 6 月 02 日 09:38:47)
◎◎Y記者の「ニュースの検証」
与党:共謀罪で民主修正案「丸呑み」の理由と思惑
□■与党:共謀罪で民主修正案「丸呑み」の理由と思惑
与党は1日の衆院法務委員会理事会で、民主党の修正に賛成する考えを表明した。
これを受け、民主党は2日にも再修正案を提出して対応するようだが、小沢一郎代表
は党幹部に「こんな法案を通しても何の得にもならない。国民に支持されない。首相
に『サミット土産』を与えるだけだ」(毎日新聞)と慎重な対応を電話で指示してい
る。
同党の菅直人代表代行は1日午後、党本部で定例の記者会見で、委員会審議等で民
主党の主張に対し、「条約の関係で不可能だ」などという答弁を外相や法相が繰り返
している事実を指摘。緊急事態基本法に関する三党合意を、官僚の主張を受けて平気
で反故にした与党の姿勢を考えれば、「与党国対と政府が二枚舌を使う可能性もよく
言われている」として、「政府の対応を見きわめなければならない」との姿勢を明確
にした。その上で菅代表代行は、ことの真意に関して、「与党の国対に質すだけでな
く、政府自体に対して質す中で対応を決めていきたい」とし、「現時点でまだ合意の
道が見えたとはわれわれは理解していない」との厳しい見方を示している(同党「ニュ
ーストピックス」)。
民主党の主張に対し、「条約の関係で不可能だ」などという答弁を外相や法相が繰
り返してきた事実をどうするのか。政府与党には、民主党案まるのみの正当な理由が
求められる。政府・与党は、自らの法案のどこが不十分だったのか、間違っていたの
か。その点について納得のいく説明と反省の表明が、まず求められる。
それなくして、ただ来月中旬のサンクトペテルブルク・サミットや、首相の訪米に
間に合わせようと「体面」を優先させ、その場しのぎのための対応であれば、それは
国会を愚弄し、国会の権威を喪失させる行為にほかならない。その行為は、審議より
も採決を優先させるご都合主義以外のなにものでもない。あきらかに政権与党失格と
いわざるをえない。
この短時間での「180度の方針転換」が正当性を有するというならば、事前に政
府与党内での相当の準備と討議が必要であることはいうまでもない。であるならば、
なぜ最初から民主党案のようにしなかったのか。その理由は立つのだろうか。法務省
はなぜ否定から肯定へと急遽方針転換できるのか。その理由についても納得のいく説
明が必要だ。そこに明確な事由を見出すことができなければ、それは法務省の職務怠
慢と糾弾されてしかるべきである。
「勢力の力で押し通すようなことはよくない。今回は民主党に花を持たせましょう、
ということだ」
小泉首相はこんな具合に答弁するのだろうか。
民主党の各議員は、自党の対案を与党が採用すると言い出していることの意味をよ
く考えるべきだろう。意味を取り違え、「勝利」などと錯覚すべきではない。それこ
そ「おこちゃま」に逆戻りだ。与党の窮余の国会戦術であることは明白である。自分
たちが与党だったらそんなことをするだろうか、やるとしたらその場合、責任問題は
発生しないのか。
与党が野党にクリンチをしかけるのと、正常な審議プロセスによって共同修正で合
意に至るのでは本質的に性格が異なることを見分ける必要がある。今回のような場合
には、与党としてどちらがふさわしいかを国民から問われている事案であるため、民
主党案の採用は政権交替を自ら申し出ることを意味しているのかどうか、それをはっ
きりさせる必要があるだろう。
安易に与党をやっつけたなどど一喜一憂してその「確認」を怠れば、民主党案で強
行採決=メディアによっては与党のふところの深さを演出しかねない、秋の臨時国会
で再修正という道を歩みかねない。小泉首相は窮地の策として「保守大合同」を再度
もちかける可能性もあるが、それは国会を軽視し、議会政治を蔑視するものにほかな
らない。
「野党の要求に応じたまでだ。それのどこがおかしい。民主政治の模範を示している
のだ」
小泉流であれば、そんな返答が予期される。「いい法律を作るのに与党も野党もな
い」。そういい放つのが小泉流であることはみえみえだ。だがそれはいつものごとく、
首相として正確な認識とはいえない。
「みなさんは私が自分を貫けばファッショだと批判する。野党の要求に柔軟に対応す
れば、政府の責任はどうするといい始める。結局、なんでも反対野党、先祖帰りだ」
小泉流の反論はその程度だろう。であるならば、野党は以下の点について政府与党
に明言させるべきである。
・政府与党案より、民主党案のほうが優れていると判断した点
・その判断のために要した時間、人員、意思決定のプロセス
・これまでの政府与党側からの民主党案への反論を撤回するか否か
・法務省の責任をいかに問うのか
・当初の案の誤りを認めるのかどうか
・これまでの政府与党側からの民主党以外の野党や世論の批判をどううけとめたのか
・この事態は小泉流の政治の行き詰まりを意味するのではないか
十分な審議を尽くさず、また説明も不十分、自己反省の弁もきかれないならば、野
党の民主党案まるのみは、与党は野党に敗北し、下野を決意したものとも受け止める
べき行為である。もしそうでないならば、サミットと訪米の際の「献上物」にすぎな
い。あるいは重要法案の名称だけ並べて「改憲トランプ」遊びをしたいのか、そのど
ちらかだろう。
■出揃った小泉政権の「総合メニュー」
自衛隊のイラク派遣の際、7割が反対だった。だが首相は、あの珍言奇危言で乗り
越えた。「総合的に判断」の「総合」がみえていなかった。いやみせようにも、「丸
投げ」の首相に「総合」は存在しなかったのだ。メディアが突こうにも突きようがな
かったという側面は、総じてメディアの側の怠慢として今後の反省材料として企業の
枠を超えたところで検証しなおすべき課題だろう。
いまは小泉政権の「総合メニュー」が出揃っている。自民党新憲法草案、共謀罪新
設、教育基本法改定、米軍再編、国民投票法、入管法改定――。いま、その「総合」
のめざすところは明白である。もはや「戦争が必要と思われるときに、戦争のできる
国に」ではない。「戦争が必要と米国が判断したときには、国民に文句を言わせず、
迅速に作戦に打って出られる国づくり」への総合メニューである。
この道に突き進むことは、机上の空論としての「改憲」ではなくなる。支配される
のは国民個々の内心ばかりではない。言論表現の自由、思想信条の自由にタガがはめ
られる。この流れに同調することは、メディアが自網自縛に陥ることを意味する。そ
れだけではない。野党ばかりか、政権党までが自網自縛に陥ることになる。
共謀罪新設法案が含みもつ、現在の「行為を裁く」刑法体系を、「予防的に思想、
内心を裁く」刑法体系へと転換する性格は、いったん社会の基盤を構成する重要なル
ールとして内包されたとき、必然的に他の法体系にも影響を及ぼすようになる。
日本国憲法が権力を付託する相手を規制するものから、国民を規制するものへと理
念や法体系が変更されれば、改定の対象にならなかった条項まですべてのルールの解
釈が一括して転換されることになる。教育基本法も同様である。
政権の失敗は糊塗され、責任は国民に転嫁される。国は乱れ、活力を失い、国も地
方もその機構も機能も失政のツケを背負わされる。残るのは裸の王様だけである。国
も地方も市民も衰退し、米軍と米軍需資本だけを潤わせる結果となるだろう。それは
融合でも一体化でもない。米市民の支持を失ったブッシュ政権の延命策、「かつての
敵国を取り込み、これだけ巻き上げてきましたよ」というわけだ。
イラク侵攻の過ちをおかしたブッシュ政権は生き残りの道を模索している。それを
支持した小泉政権はいよいよ屈従するほかに生き残りの道はない。ブッシュ大統領は
いざしらず、小泉首相はもはや盟友であるはずのブッシュ氏からの限りない圧力、わ
がままを押し付けられて「パンチ・ドランカー」の状態に陥っている可能性もある。
痛みももはや感じず、ただただ突き進むのみ―。
そうしたなかでの起死回生のための選択が、共謀罪新設法案の民主党案丸呑みなの
ではないか。
■メディアの弱点につけこんだ「朝令暮改」劇
国会の審議はかたちだけなのか。審議も深めず、国会はいつから法律粗製濫造所に
なったのか。これでは国会の名がすたる。次の参院選にむけて、野党共闘ゆさぶりの
要素もあるだろう。米屈従の果ての米軍財政支援、米市民のブッシュ政権批判の高ま
りと自衛隊イラク派遣の正当性など、小泉政権に対する批判は首相の退陣の時期と競
い合うように強まっていく。この段階で「小泉政権検証」の権利をもつ野党の共闘を、
何としても崩しておきたいというのも、ホンネの部分にふくまれているだろう。
それにしてもメディアは相当甘く見られていないだろうか。政府与党の垂れ流す「
情報」をありがたく追いかけてまわるだけで、吟味も批判も弱い――政府与党はそう
読みきっているのではないか。この「朝令暮改」劇は、メディアの弱点につけこんだ
イメージ戦術の要素も多分に含まれているように思う。
「民主党から出ている対案に賛成っていうんだから、一部を除いて文句ないでしょ。
これが議会制民主主義の最たるものなんじゃないですか」
小泉首相の得意満面の口調が聞こえてきそうだ。
これはメディアを利用して野党対策を繰り出してきた小泉政権「捨て身」の手法と
もいえそうだ。その「捨て身」、自衛隊イラク派遣の際の珍言も含まれる。多少バカ
にされてもコイズミは元から「変人」、さほどのイメージダウンにはつながらないと
いう判断を背景にして繰り出していくる奇策に、メディアはまんまとのせられてきた。
昨年の「郵政」総選挙のときもそうだった。
国政や外交の基本姿勢、つまり首相の首相としての政治姿勢を問わず、閉じられた
「国会」というステージ、永田町というムラ社会のにおける切り盛りの方法だけに目
をうばわれがちな「政治報道」の姿勢に限界がきているのだ。
「やられた」と倒れてみせる。次は「巴投げ」かとメディアは注目する。実際はそん
な高度な技はかけられない。俵の上に片足をかけながら、ひょいと右へ飛んでみせる
だけのことだ。このトリッキーなプレイにだまされ、「華麗」と感じとってしまうよ
うなメディア人がいるのだとすれば、そうした土壌が前マエハラ民主党を生んだとも
いえるのではないか。小泉政権のメディア活用を手本としていれば、あの議員のトリ
ッキーなプレイによって自滅するのも自然な流れだったとも思える。
メディアを意識した政治は、論戦ではなく心理戦に傾斜する。いかに自分のほうが
「優勢か」を演出してみせるか、いかに自分のほうが「刺激的」な策を繰り出せるか、
重視され意識されるのは、そうしたパフォーマンスでありその効果なのである。シナ
リオは四流でもメディアが「面白い」と飛びつけば、ずるずると「劇場」は続く。
あとで振り返ればおそまつとしかいいようがない結末ばかり。それでも、メディア
はその安っぽさを批判できないのだろうか。安っぽいのはメディアのほうなのだろう
か。政治を画像に変えたがる放送メディアの宿命(電波の「確保」という保身の問題
もある)に、活字媒体もひきずられ、言論の鋭さを失ってきたのだとすれば、いまこ
そ転換のときだろう。メディアはいま政治を面白くすることより、検証することに力
点をおかねばならない。
きのうの共謀罪法案の「土俵際でのうっちゃり」作戦は、この政権の底の浅さ、自
信のなさ、自覚のなさをはっきりと物語っている。理念なし、戦略不在で目先の戦術
ばかりに走る。政治家としての矜持にかける政治屋の行き着くところここに極まれり、
という姿をさらけだしている。
あるいは共謀罪反対の世論を生み出したメディアに対する「復讐」なのかもしれな
い。一国の首相というより、自民党救済委員会の「助っ人」としてみると鮮やかにそ
の存在の軽さ、姑息でしかないやり方を浮き彫りにできるのではないだろうか。
毎日新聞 <共謀罪>与党が民主修正案に賛成 2日にも委員会可決か
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060601-00000153-mai-pol
朝日新聞 共謀罪法、民主党案受諾へ 与党一転、今国会成立も
http://news.goo.ne.jp/news/asahi/seiji/20060601/K2006060103220.html?C=S
共同通信 共謀罪で新たな修正案 民主、取りまとめへ
http://news.goo.ne.jp/news/kyodo/seiji/20060602/20060602a1300.html
<共謀罪>共産・志位委員長「きっぱり廃案にすべきだ」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060601-00000161-mai-pol
民主党 ニューストピックス
http://www.dpj.or.jp/news/200606/20060601_10kan.html
http://blog.mag2.com/m/log/0000102032
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