★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK20 > 823.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 普天間移設:名護市との調整長期化 日米「見切り発車」も―「毎日新聞」 投稿者 天木ファン 日時 2006 年 4 月 02 日 23:45:36)
政府・名護市 続く膠着
検証「沿岸案」協議
米軍普天間飛行場の名護市キャンプ・シュワブ沿岸部移設案をめぐる政府と名護市の協議は、二日開かれる岸本建男前名護市長の市民葬後、週明けにも再開される見通しだ。政府は沿岸案の大幅修正に応じない方針で、名護市と合意しない場合は「見切り発車」も辞さない構え。一方、地元は態度を硬化させ、緊迫感が漂っている。「剣が峰」の次回協議を前に、一連の交渉の舞台裏と攻防を振り返り、展開を探った。(東京支社・吉田央、北部支社・知念清張、政経部・渡辺豪)
前触れ
沿岸案の修正幅をめぐる政府と名護市の「隔たり」の大きさが露見したのは、公式協議の開始を四日後に控えた三月十七日だった。
新緑に映える東村のつつじ祭り会場に、自民党の山崎拓沖縄振興委員長・安全保障調査会長が姿を見せた。
目的は、北部市町村会長の宮城茂東村長と北部振興会長の儀武剛金武町長との接触。山崎氏は滑走路を海側へ二百メートル移動させる私案を二人に伝えた。
「これなら名護も受け入れられるかもしれない」
膠着状態の打開を模索していた宮城村長は二十日夜、島袋吉和名護市長を訪ね、「二百メートル案」を打診したが、島袋市長は即座に首を横に振った。
滑走路の大幅移動を求める島袋市長の意思は、宮城村長の予想以上に強固だった。
妥協するな
島袋市長が山崎氏の「二百メートル案」をはねつけた翌二十一日の首相公邸。
小泉純一郎首相と額賀福志郎防衛庁長官は「政府原案(沿岸案)を原則にするが、一センチも動かさないということではない」との認識を確認した。
微修正には応じるが、大幅修正は拒否する―という政府の姿勢を微妙な文言に込める「演出」だった。
案の定、二十一、二十二日の島袋―額賀会談は、双方が主張をぶつけあう「セレモニー」の場となり、物別れに終わる。
「妥協するな。頑張れ」
額賀長官との会談から二日後の二十四日。島袋市長、末松文信助役らは、重篤の岸本建男前市長から、後に「遺言」と受け止められる言葉をかけられる。
島袋市長は「沿岸案は駄目だということを託された」と決意を新たにした。
実行可能性で隔たり
読み違い
山崎氏の「二百メートル案」を入手した名護市と、「集落に飛行コースがかからないことが最重要」との二十三日の末松助役の発言を柔軟姿勢のサインと受け止めた政府は、二十五、二十六日の島袋―額賀会談で互いに「歩み寄る」気配を感じていた。
しかし、会談は激しい応酬に終始した。
政府「航空機が飛ぶのは原野だ」
名護市「滑走路の角度を変えるだけの微修正は受け入れられない。飛行ルートは海側にしてほしい」
二十六日の会談は延々四時間余も続いた。
名護市は「市から具体案を示せば、新基地完成まで協力する責任を負わされる」と考え、具体的な提案を控えてきた。
だがこの日、「一体どうすれば納得するのか」と政府に詰め寄られた末松助役は意を決し、名護市の地図をテーブルの上に広げた。代替施設が記された透明なシートを上にかざし、陸から海側にずらす方法で「ここまで動かしてくれ」と要求。
末松助役は数字こそ口にしなかったが、政府は滑走路を沿岸案から四百メートル程度移動するよう求める提案と認識した。
「技術的に可能か検討してみます」。額賀長官が場を締めくくった。
「政治家の額賀さんがいったん、引き取った」。名護市側の出席者は、額賀長官が市の要求を前向きに検討する姿勢を見せた、と受け止めた。
確認文書
二十六日。午後二時から始まった昼食の席で談笑し、空気が和んだ時、政府が協議に関する「確認文書」を示し、名護市側に「確認したい」と求めた。
文書には(1)政府は沿岸案を基本に、名護市を中心とする周辺住民の安全を考える(2)環境に配慮する(3)実行可能性がなければならない―の三方針を明記。集落上空の飛行を避ける条件と、協議の継続も加えられた。
(3)の「実行可能性」が確認できたことに着目した防衛庁側は「名護は歩み寄った。今日中に合意できる」(幹部)と踏んだ。
しかし、名護市は「沿岸案を基本に」との文言に、「選挙公約との整合性が問われる」と警戒し、署名を拒否。サインするしないの押し問答は約一時間続いた。
「実行可能性」をめぐる政府と名護市のとらえ方に食い違いがあった。
辺野古沖を埋め立てる従来案が頓挫した主要因を「反対派の海上阻止行動」とみる政府は、施設の大半が民間人の立ち入りを常時禁止する指定水域にかかることが沿岸案の利点と判断。滑走路の位置を海側に大幅移動し、指定水域からはみ出る部分が増えた場合、海上阻止行動に歯止めがかからなくなる、との見方だ。政府は「実行可能性」を確認したことで、名護市側が沿岸案に合意する意思を示したと映った。
一方、名護市側は「住民や市、県の地元合意がなければ到底、実際に基地をつくることはできない。沿岸案は実効性がない」と「地元合意が前提」であることを確認する意味合いととらえた。
首相「大幅修正」拒否
泥仕合
「政府が譲歩しなければ上京しない」
二十六日の会談の翌朝、末松助役が記者団に発した言葉に、政府内で衝撃が走った。合意が近いとみていた政府は、名護市が地元に戻って態度を硬化させたと判断した。
防衛施設庁は会談直後から、在日米軍と共同で「飛行ルートが住宅上空をかからない微修正案」の作成に着手。二十九日に予定していた会談で名護市に提示するため、作業に入りつつあった。
「三ケタの(海側への移動の)幻想を抱いているようでは駄目だ」。防衛庁幹部は北部首長に電話でげきを飛ばした。名護市にくぎを刺すよう求めた。
名護市と政府の「舌戦」のトーンが高まる中、岸本前名護市長が二十七日に死去。地元は喪に服すムードが広がり、二十九日の上京は消えた。
「海」を拒否
「守屋を呼んでくれ」
二十八日夜、東京・帝国ホテル地下の日本料理店。
小泉首相は額賀長官、山崎氏が顔をそろえた会食の席に、事務方の守屋武昌防衛事務次官を招き入れた。
政府内で沿岸案の大幅修正に「最も否定的」(防衛筋)とされる守屋次官と、修正に柔軟とされる山崎氏が同席する舞台がしつらえられた。
山崎氏は、小泉首相に「『一センチも譲らないわけではない』ではなく、一メートルにしてはどうか」と進言。
小泉首相はすぐさま「政府が軟化しているメッセージを与える。一センチでいい」と否定。名護市が求める滑走路の位置の大幅移動は「交渉のらち外」(防衛庁首脳)と決めつけられた。
小泉首相は昨年十月の中間報告前から「陸でぶれるな」「海では(反対派の抗議行動で)工事ができない」と海上の滑走路建設を否定し続けてきた。会食は、額賀―小泉ラインの健在ぶりを印象づけた。
ある政府関係者は「山崎氏が出席したことに意味がある」と解説。これを機に、与党や外務省の一部にくすぶっていた大幅修正に柔軟な勢力は一気に影を潜める。
会食後、笑顔の守屋次官はこう述べた。「二百メートルの修正? あり得ない」
翌三十日朝、那覇防衛施設局は岸本前市長の死去を受け、見合わせていた沿岸案パンフレットの名護市内全世帯への配布を始めた。前日の末松助役の配布中止の要請は無視された。
見えぬ地元合意の道
「外堀」から
「微修正でまとめたいが、今の名護では無理だ」
三十日に上京し、額賀長官と会談した北部四首長の一人は会談後、力なくつぶやいた。
「名護は政府の説明を地元に伝えていない」と判断した防衛庁はこの日、金武町、東村、宜野座村、恩納村の四町村長を東京に呼んだ。
沿岸案の利点や名護市との協議の経緯を直接説明し、理解を求める試みだ。周囲の理解を先に取り付けて名護市の「外堀」を埋め、島袋市長らの軟化を引き出す戦略だった。
米軍再編協議で米側は、三月上旬の日米審議官級協議で「地元調整が完了しなければ、最終合意をしない」との意向を伝えてきた。
政府は名護市との協議が決裂すれば、「地元調整は日本が責任を持つ。任せてほしい」との方針を米側に伝え、最終報告に臨む考えだが、地元の受け入れ合意が望ましいことに変わりはない。
「防衛庁は住宅上空を飛ばないルートを考えると言ったが、名護市は陸上は飛ぶなと言っている。地元との打開策がなければ最後は政府の責任で(沿岸案を)やるしかない」。三十日、防衛庁幹部は苦悩の表情を浮かべ、こう漏らした。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200604021300_01.html
▲このページのTOPへ HOME > 政治・選挙・NHK20掲示板