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(回答先: 第4章 新進党 神農 大輔 【新党全記録】 投稿者 愚民党 日時 2006 年 3 月 05 日 16:46:06)
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萩 光太郎
http://politics.j.u-tokyo.ac.jp/lab/edu/seminar/study/1st-semi/jokyo/taiyou.htm
1.年表
1995年(平成7年)
12月 新進党「公開党首選」羽田、小沢に敗北
1996年(平成8年)
1月 新進党内反小沢派「興志会」結成
10月20日 新進党、衆院選で伸び悩み(事実上の敗北)
28日 羽田・細川「分党構想」断念
12月 4日 羽田、羽田グループ閣僚経験者との会談の席で、離党に強い決意
7日 民主党との連携を早くも模索
10日 新進党結成2周年
12日 この日から16日まで3回の羽田・小沢会談(平行線をたどる)。この
間に奥田・岩國が正式に「羽田新党」参加決定
26日 羽田孜元首相等(旧新生党を中心とする衆院10人、参院3人)、「太
陽党」旗揚げ
1997年(平成9年)
1月13日 羽田、「21世紀」の荒井将敬代表と連携に向けた協議を開始
20日 太陽、民主両党は、「21世紀」を含めて経済政策を話し合う「緊急経
済対策会議」を設置
21日 太陽、新進、民主三党の国会対策責任者は、平成8年度補正予算案の対
応について共同で修正案を出すことを確認
23日 民主党の鳩山由起夫、太陽党の羽田党首は、統一会派を視野に入れた週
一回の定期協議を開くことを再確認
2月 1日 羽田党首、ワシントンで開かれる、「マイクロクレジット・サミット」
に出席するため、アメリカに旅立つ。同会議は、途上国の最貧国の自立
を支援する少額融資制度の拡充などを協議するもの
5日 自民党の加藤紘一幹事長、社民、さきがけとの連立を基本としながらも、
行政改革実現などのため、太陽、民主両党との連携を目指す考えを表明
6日 自民党、財政削減へ協力要請、太陽、民主両党などと政策協議
16日 太陽党、結党後初の議員研修会。安全保障や憲法問題について集中討議
するほか、介護保険法案や医療法改正問題など当面する政策課題への対
応について協議
24日 羽田党首、講演の中で自民党に予算案修正と特別減税継続を重ねて求め
る。
3月 7日 太陽党、7月の都議選の推薦候補予定者12人を発表。そのうち7人は
の現職は、全員が新進系「新進・刷新」と民主系「民主・リベラル」の
所属。国政と同様、都議会でも野党団結を目指すねらいを反映させてい
る。
27日 太陽党、議員連絡協議会で、4月20日投票の秋田県知事選で寺田典城
横手市長を推薦することを決定。
4月 3日 太陽、民主党の協議が行われ、民主党が両党に新党さきがけを加えた三
党で国会内の統一会派結成を目指すことを提案、太陽党はこれを了承
11日 特措法改正案、衆院通過。太陽党は、沖縄振興実施の条件付きで賛成
16日 羽田党首、民主党鳩山由起夫代表らが「MRS推進議連」を発足。
18日 第1回党大会 羽田党首、今後の政界再編への対応について、与野党の
枠組みにこだわらずに「民主的勢力の結集」を目指し、自民、新進両党
の一部や民主党などとの対話を積極的に進めていく方針を打ちだす。同
時に、「保保連合構想」を批判。また、新進抜きの民主との連携には慎
重
21日 羽田党首、講演の中で自民党の一部を含めた幅広い「保守・リベラル勢
力」の結集を目指す考えを示す。「保保連合」について、「ガイドライ
ンで強引に安易な道をとると、とんでもないことが起こる」と批判。
24日 臓器移植.法中山案、衆院通過。太陽党、賛成8、危険・欠席2
5月 5日 自民、太陽党に外交・防衛問題についての政策協議会を設置することを
働きかける。
12日 民主党鳩山代表、「太陽党との統一会派には障害あり」
17日 畑英次郎幹事長、自民党の加藤幹事長、梶山官房長官と会談。自民側は
重要法案審議への協力を要請。行財政改革やガイドライン見直しでも協
力を求める。太陽党側、「具体策が示された時点で検討していく」
19日 羽田党首、新進党議員の尖閣視察を批判
29日 太陽党、推薦を出していた都議選擁立候補予定者3人(いずれも無所属)
を公認候補とするとともに、新たに推薦一人を追加
6月 3日 畑英次郎幹事長、財政構造改革会議がまとめた最終報告について、「橋
本首相がいう、<財政改革元年>のかけ声とは裏腹に、歳出削減の数値
目標など、問題を先送りし、小手先の改革に終始している」と批判
9日 畑英次郎幹事長、ガイドライン見直しの中間報告に対し、「後方支援活
動の範囲を、有事の際どこまで区別可能なのか疑問。有事法制整備への
姿勢には一定の評価。政府は早急に法整備に取り組むべきだ。」、ガイ
ドライン見直しの中間報告に対し、太陽党は、態度保留
11日 太陽党、民主党との協議で、両党による統一会は結成について、(1)
秋の臨時国会に向け、一段の環境醸成に努力する、(2)政権交代可能
な二大政治勢力形成を念頭に努力するの二点で合意。
18日 細川氏が新進党を離党したことに対し太陽党は、当面連携を見送り、事
態を静観することを決定
26日 太陽党、結党半年を迎える。
7月 4日 羽田党首を団長とする太陽党訪中団が北京を訪問。訪中団には、羽田氏
のほか、奥田最高顧問、小坂幹事長代理らが参加。江沢民、銭其深、遅
浩田等と会談。羽田氏、「ガイドライン」は中国を標的とするものでは
ない」「日朝間にいろいろな問題はあるが、人道的な立場から、援助は
すべき」
6日 東京都議選、公認候補3人全員落選、推薦候補当選7人、落選9人
17日 太陽、新進、民主三党の有志議員、野党勢力の結集に向けた議員グルー
プ「改革会議」を設立。世話人に、羽田・畑・奥田
25日 羽田、「改革会議」について、各党からの広範な参加を促す
27日 粟屋敏信政調会長、「憲法問題も大いに議論すべき」「ガイドライン見
なおしが日米間で決まったら、速やかに法整備をやるべき」
29日 畑英次郎幹事長、「改革会議」について鳩山氏と会談、(1)所属政党
を問わず無所属も含めて頭参加を呼びかける、(2)改革会議は、政治
理念、政策の一致を目指すの2点で合意
8月 3日 奥田敬和最高顧問、「改革会議」で野党結集を目指す考えを強調
10日 羽田党首、鳩山・細川と会談。保守・中道路線のもとでの勢力結集を目
指すことを確認。同時に連携強化で一致
25日 「改革会議」発足。(衆69人、参18人)、太陽党は全員参加。世話
人の新進党鹿野氏、畑氏は、98年の参院選に向けて、公約をとりまと
めていく方向で一致
27日 第2回議員研修会開催。路線問題で議論
9月 3日 「改革会議」世話人会、「対自民路線」で一致。同時に、各党幹部によ
る協議を呼びかけることを確認。羽田党首、民主党の研修会で、「野党
にあるものは結集すれば政権交代があり得るという確信を持つことが必
要。太陽党は、結合体の媒介役を果たしたい」
18日 太陽、民主、新進の野党三党、国会対策委員長会談を開き、佐藤孝行総
務庁長官入閣問題で、不信任案提出を含めた対応を協議
19日 自治省公表の官報で、太陽党の収入は1500万円
27日 新進党幹事長西岡氏、太陽、民主との国会共闘について歩調をそろえて
いくことを強調
28日 佐藤孝行総務庁長官入閣問題で、畑幹事長「不信任案提出の可能性を十
分に考えていく。論議を詰め、野党内で協力していきたい」との民主党
の意見に同調
10月 1日 太陽、民主、新進の野党三党、幹事長会談の中で、泉純一被告の国会証
人喚問が確定しない限り、衆参両院のすべての委員会審議を拒否する方
針を確認
2日 太陽、民主、新進の野党三党、政審・政調会長会談の中で、副大臣制度
の創設を柱とする内閣法・国会法改正案の共同提出に向けて、三党の政
審・政調メンバーによるプロジェクトチームの発足を決定
3日 羽田党首、衆院代表質問で「佐藤孝行の入閣は改革への国民の期待に対
する裏切り」「景気低迷の責任は、政府の楽観的な景気判断と経済運営
にある。法人税・所得税の減額、土地税制の改革など速やかに実施すべ
き」「今回の行革は、単なる数あわせ」「政府の財政構造改革法案は、
構造改革の名に値しない」
17日 岩國哲人、財政構造改革法案を批判、所得税減税を求める
19日 鎌倉市長選で、太陽、社民、民主各党と地域政党「神奈川ネット」の推
薦を受けた候補が当選
11月 7日 太陽、民主両党などの国会議員による野党結集を目指す懇談会の初の世
話人会を開催(世話人会は羽田、鳩山、畑らが発足)
12月 5日 羽田、細川、菅の3者会談で、「懇談会」を軸に、今後とも野党結集路
線を進める方針を確認
9日 太陽、民主、新進の3党欠席のまま預金保険法改正案が衆院本会議で可
決
13日 小沢、新進党首選に出馬を表明
17日 羽田、細川、太陽党と細川グループなどによる統一会派の年内結成を目
指すことで一致
18日 新進党首選、小沢230票で182票の鹿野を破る。羽田、細川、鳩山
3者会談、今後も新進党にも野党協力を呼びかける必要があるとの認識
で一致
19日 太陽、細川グループ、民主改革連合、次期通常国会までに統一会派を結
成すことで合意
24日 「政党連合推進懇談会」の会合
25日 太陽、参院の3人が、民主党・新緑風会に合流(参院の太陽党は解散、
しかし3人の太陽党籍は残す)。細川ら、衆参5議員「フロム・ファイ
ブ」結成で合意
26日 太陽、結党から満1年
27日 新進、両院議員総会で「解党」を決定
29日 羽田、細川、鳩山、「公明」の藤井富雄代表と会談・野党結集に向けた
連携を要請
30日 太陽、フロム・ファイブ、国民の声、新・新党結成に向けた本格協議開
始で合意
2.解説
(1)結党の経緯
1995年12月の新進党党首選は、結果が判明する以前から分裂含みと言われていたが、それは96年1月に結成された反小沢派「興志会」を経て1年後に現実のものとなる。「興志会」の結成の背景には、羽田らが小沢の政治手法に対して反発していたこと、感情的なしこりが存在していたことなどが推測されているが、それ以外に既に「保保志向」か「野党結集」かの路線上の対立があったのではないかと思われる。新党の立ち上げは、第一に政党助成法上の規定から12月の末がリミットであること、第二に10月の衆院選で新進党が事実上敗北し、その将来が見えてきたこと、があり、12月26日となった。その過程で羽田は、小沢に対し「分党」を認めるように要求したが、これは認められなかった。(ここで「分党」という言葉を使い「離党」と言わないのは、政党交付金の配分が異なるからである。政党交付金は所属国会議員数と国政選挙の得票率に応じて配分される。政党助成法上の「分割」=分党を行えば「議員数割」と「得票率」の両方が支給されるが、「離党・新党結成」の場合には、「議員数割」だけで、交付金はほぼ半額になる1)。もっとも、党の解散を伴う分党を小沢等が認めるはずもなく、羽田らは、離党することを余儀なくされた訳である。)分裂は比較的スムーズに行われる。その背景には、ここでガス抜きをすれば自らのリーダーシップの強化に繋がるとの小沢の思惑もあったのではないだろうか。新党結成が固まった12月7日の段階で羽田は、「30人規模にしたい」と発言していたが、12月13日には作曲家の三枝成彰に「15人くらいがちょうどいいんだ。30人も、40人もいると(党の)顔が見えなくなる。国民が反対することをいえる政党を作りたい。」と述べている。現実に衆参合わせて13人でのスタートとなった。
(2)結党
太陽党を結党した96年12月26日、羽田らは記者会見で「日本政治の機能を取り戻すきっかけを作りたい」と述べ、「対立と清掃の政治から対話と実行の政治への転換」を掲げた結党宣言を公表。「政界再編の起爆剤となる」との決意を表明し、規制緩和や地方分権など「自由と自己責任」の実現、各国との「和と共生」による国際協力などの基本理念を掲げた。(基本政策の内容については別箇所参照)極めて当たり障りのない内容が盛り込まれているが、その理由も「政界再編の起爆剤となる」ためにほかならない。すなわち、衆参合わせて13人の政党で政策実現がかなうはずもなく、羽田党首が表明したとうり、太陽党の当面の目標は「新進党と民主党の橋渡し」(こういう政党を政治学では「要の政党」という)なのであり、橋渡しには政策を固定化しない方が有利なのである。イデオロギー政党色を脱した、プラグマティズム政党としての具体例は、憲法問題にも現れる。96年2月の議員研修会において、新進党内では異論を主張しなかったが、現行憲法下での多国籍軍参加を容認する新進党の基本政策について、「憲法解釈を逸脱している」と否定的な見解をまとめた。同時に、介護保険法案についても政府案の成立に基本的に協力していくことを確認し、「非新進路線」を打ち出した。明確に、個々の政策について是々非々の態度をとるプラグマティズム政党の姿勢を表明したといえよう。なお、 党名は、「羽田氏の明るく、ぬくもりのあるイメージと勢力結集の核になる」(参院議員)として「太陽党」となった。
(3)要の政党
結党当初より羽田党首は、「野党結集の接着剤となることを目指す」とか「あくまで野党勢力の結集を目指す」、「健全な野党として各党をつなぐ触媒の役割を果たし、自民党に対抗するもう一つの極を作り出す核になる。」(結党翌日の96年12月27日)との考えを示している。具体的に、「触媒」とは、新進党の反小沢グループと民主党とのつなぎ目となることを意味している。しかし小沢が現新進党党首である以上、新進党との距離を縮めるには限界がある。そこで必然的に最初のアプローチは民主党に向けられたが、それは必ずしもスムーズに進んでいるとはいえない。例えば97年11月7日の世話人会の席(年表参照)で鳩山副党首は、構想中の統一会派への参加を当面見合わせることを表明している。(菅党首は別の場所で「政党の再編をあまり急ぐと数合わせになる」と述べている)これはそもそも菅・鳩山のイタリアの中道・左翼連合「オリーブの木」をモデルにした構想は、それぞれの政党が統一の首相候補や政権構想を掲げて選挙協力する「政党連合」的なものであり、必ずしも統一会派や政党の合流は必要でないからに他ならない。民主党は苦労して作り上げた「民主党」というブランドを簡単には手放したくないのである。
(4)新進党との関係
羽田は新進党への離党届け提出の際、西岡新進党幹事長に「お互い改革という目標は同じだ。存分に連絡を取っていこう。」との趣旨の発言をしている。これに対し小沢は「離党・新党の結成は国民の期待に反する」と批判する一方で「改革の意志を同じくする人とは、協議するのは当たり前」とも述べている。両党の関係は比較的良好だったと言っていい。それを裏付けるように1月20日に太陽、民主両党は、「21世紀」を含めて経済政策を話し合う「緊急経済対策会議」を設置したものの太陽党畑英次郎幹事長は、統一会派については、「新進党を加えた協力が必要」の立場を崩さなかった。しかしその後、感情的なしこりや小沢の保保路線志向の表面化などにより関係は悪化していく。2月17日初の議員研修会の中で太陽党は、現行憲法下での多国籍軍参加を容認する新進党の基本政策について「常道の憲法解釈を逸脱している」と否定的な見解をまとめたほか、介護保険法案でも対案の提出を検討している新進党とは 同一歩調をとらず、政府案の成立に基本的に協力していくことを確認し、「非新進路線」を打ち出した。さらに2月24日の講演の中で羽田は、オレンジ共済組合事件を巡る新進党両院協議会が質疑抜きで打ち切られたことに対し、小沢を批判している。これに対し新進党側も6月10日の党総務会で、太陽党に対する不満が続出し、太陽党との定期協議のあり方を見直すよう、注文がつく事態となる。結局、両者の完全な関係修復は新進党の解党まで待たれることになる。
(5)路線対立
指摘しておかなければならないのが、わずかに13人の政党とはいえ太陽党には、路線上の対立があると言われていることである2)。構図としては、羽田、畑といった幹部が自民党に対抗する野党結集の核づくりを目指しているのに対し、中堅・若手は自民党への接近や復党を志向しているというものである。後者については、知名度を持たない中堅・若手が、小選挙区制度で生き残るための必然的な動きともいえる。
(6)フロム・ファイブ結党
97年6月に新進党を離党した細川は、太陽党や民主党と接触を続けてきたが、依然無所属として活動を行ってきた。しかしやはり政党助成法上の規定で年末までに結党することを迫られていた。そこでようやく12月25日になって、衆参合わせて5人という助成が受けられるぎりぎりの議員数で結党することとなった。そもそも羽田と細川は羽田が新進党を離党する際に行動をともにすることを検討した程に近い関係にあり、遠くない将来において両党が合同することが予想される。
(7)新進党首選から解党へ
97年12月18日の新進党首選挙で、太陽党は野党結集を行う上で都合の良い鹿野道彦が当選することを望んでいたが、鹿野は小沢に破れる。しかし小沢はその後数日の内に解党することを決断。27日には両院議員総会で正式に解党が了承される。小沢が「自由党」を結党したのに対し、鹿野は「国民の声」を結成した。30日には早くも太陽、フロム・ファイブ、国民の声の間で新・新党結成に向けた本格協議を開始することで合意が成立している。注目すべきは、その前日の29日に羽田、細川、鳩山が「公明」に対して野党結集に向けた協力を要請していることであろう。羽田の言う「太陽党の発展的解消」も射程内に入ったと思われる。
注
1)朝日新聞1997年12月28日
2)朝日新聞1997年8月29日
参考文献
朝日新聞
http://politics.j.u-tokyo.ac.jp/lab/edu/seminar/study/1st-semi/jokyo/taiyou.htm
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