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第4章  新進党   神農 大輔   【新党全記録】
http://www.asyura2.com/0601/senkyo20/msg/168.html
投稿者 愚民党 日時 2006 年 3 月 05 日 16:46:06: ogcGl0q1DMbpk
 

(回答先: 第3章 新生党  松島 輝明  【新党全記録】 投稿者 愚民党 日時 2006 年 3 月 05 日 16:41:37)

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第4章 新進党

  神農 大輔

http://politics.j.u-tokyo.ac.jp/lab/edu/seminar/study/1st-semi/jokyo/shin2.htm

1.年表

 1994年(平成6年)

 9月 5日  旧連立勢力の合同首脳会議
    9日  新党協議会の第2回世話人会で小沢一郎新生党代表幹事を世話人会座長
        に選任
   22日  公明党拡大中央執行委員会が新・新党に参加することを正式に決定
   28日  共産党を除く野党各党187人が衆院の統一会派「改革」を結成
10月 1日  公明党中央委員会、「分党」の方針を了承
    5日  新党名の公募を決定
   10日  創価学会が従来の公明党一党支持の選挙方針を大きく転換
   18日  「新党準備会ニュース」を創刊
   30日  日本新党が党大会で、解党・新党参加を正式決定
11月16日  新生党が全国代表者会議で、解党と新党参加を決定
   24日  第2回新党準備会議員総会で、新党名を「新進党」に決定、綱領、規約、
        当面する重点政策を決定
12月 5日  公明党が第34回臨時全国大会を開催。新進党に参加する「公明新党」
        の設立総会と地方組織「公明」の結党大会を開催
    8日  第3回新党準備会議員総会で、初代党首に海部俊樹、幹事長に小沢一郎
        を選出
    9日  民社党が第40回臨時全国大会を開催し、民社党の解党、新進党への参
        加を決定
   10日  新進党結党大会
   15日  「新党準備会ニュース」を改称し、機関紙「新進」としてスタート
   27日  「明日の内閣」(政策準備委員会)発足

 1995年(平成7年)

 1月 6日  新進党本部仕事始め。事務局スタッフ60人が初出勤
    9日  新進党両員議員総会を開催。「明日の内閣」の第1回の会合開催
   12日  参院選と新制度で実施される衆院選の新顔候補の募集を締切、150人
        を越す応募
   13日  「反小沢派」(愛知・愛野ら)が勉強会。川端達夫(旧民社党)が新進
        党離党
   18日  三重県知事選、新進党など北川を擁立→新会派「民主連合・民主新党ク
        ラブ」が正式に結成されるまで無所属
   20日  第132国会召集。新進党組織委員会が入党運動の要綱を策定、目標は
        300万党員
   23日  海部党首が衆院本会議の代表質問で「政治方針」演説   
 2月 3日  「政治と宗教に関する委員会」の設置を常任委員会で了承
    5日  前新進党衆議院議員の木村守男が青森県知事選挙で当選
    8日  平井が新進党入り
   14日  山口敏男、幹事長代理を辞任
   16日  平井が平成会入り。「資質考える会」新進党若手議員17人が初会合
18・19日  「新人候補者適性コンテスト」を実施。178人が応募、126人が合
        格。資質考える会に船田会長
 3月 1日  統一地方選挙政策アピールを発表
    7日  参議院選挙と統一地方選挙の「選挙対策本部」を党本部に設置。小沢幹
        事長が連合(鷲尾悦也事務局長)と初の首脳会談、選挙協力など合意。
        友愛会(服部光朗ゼンキン連合会長)との幹部初会合
   17日  第41回衆議院総選挙第1次公認候補者及び第17回衆議院通常選挙公
        認候補者を発表。新進党国会議員が「岩国氏支援の会」衆参45人
   22日  山口敏夫、新進党を離党。2信組問題で「党に迷惑かけた」
 4月 9日  新進党推薦候補が岩手県(増田寛也)、三重県(北川正恭)など重点知
        事選挙で勝利。道府県議会議員・指定都市市議会議員選挙などでも躍進
   23日  政令指定都市以外の市長・市議会議員、特別区の区長、町村の町村長、
        町村議会議員の各選挙の投票が行われ、新進党公認・推薦候補が多数当
        選した
   26日  第41回衆議院総選挙第2次候補者及び第17回参議院議員通常選挙第
        2次公認候補者を発表
 5月 8日  野末陳平が新進党から離党。参院会派は平成会にとどまる
   10日  太田誠一も新進党離党の届
   14日  「保・保連合」論を批判。新進党市川「旧公明抜き」けん制
   17日  細川護熙元首相の呼びかけで、党内の自由な意見交換の場として懇親会
        を開催、「水曜会」として定着
   25日  小林正が新進党を離党。参院会派は平成会にとどまる
   28日  「明日の内閣」の政策フォーラムを岐阜市で開催。その後も、各地(6
        月4日栃木県小山市、9月14日青森市・旭川市9月19日長野市)で
        開催
5日  「参院選政策」を発表
   12日  「村山内閣不信任決議案」を提出
   15日  新進中堅・若手が勉強会
   20日  「95参院選新進党必勝大会」を東京・日比谷で開催。「参院選特別公
        約」を発表。第41回衆議院総選挙の第3次公認候補者と小選挙区20
        名、比例代表6名を選出
   21日  奥田、小沢と修復!?新進の幹事長代理に
   22日  参院選の追加公認(比例区1名、選挙区2名)を発表
 7月 5日  小沢と奥田、参院選控え握手。党首選のしこり解消?細川護熙、表舞台
        へ復活宣言?新たな連合像、月刊誌で展開
    6日  「参議院選挙政策(総合政策)」 「特別公約」 「21世紀への改革ビ
        ジョン(細川護熙座長)」を明示
   23日  第17回参議院通常選挙の即日開票が行われ、新進党が大躍進
 8月 4日  第133臨時国会召集
   28日  「安全保障議員連盟」(会長=愛知和男衆院議員)が総会を開催。「国
        家防衛大綱」を発表
   31日  新進党首選、参加料で投票権、公選へ細川護熙が導入案 
 9月 1日  党首公選制で独自案発表
    5日  党本規約検討委員会(佐藤守良委員長)が第1回の会合を開催
   13日  第1回「議員政策研修会」を東京・新高輪プリンスホテルで開催。小平
        が離党表明
   20日  新進党首の選出法、来月素案。「資質の会」と細川護熙が連携も
   22日  選対事務局長に二階
   26日  新進船田、連合と勉強会
   28日  「明日の内閣」(政策準備委員会)が陣容を刷新、羽田・石田の両副党
        首らが新たに入閣
   29日  第134臨時国会召集。新進・海部党首、旧公明はずし?人事構想、唐
        突と市川ら猛反発。市川政務会長が退任、党内にしこり残す――新進党
        人事
10月 1日  小平、さきがけ入党
    3日   「明日の内閣」 改造に伴い、新党役員人事を発表。市川雄一衆議院議
        員に代わり渡辺恒三衆議院議員が政務会長に就任
    6日  党首公選で勉強会、新進1期生明日開催。細川・船田招く
    9日  「12月の党首選は公選がふさわしい」新進・羽田が主張
   11日  参議院佐賀補選の公認候補を発表
   13日  「明日の内閣」の各政策チームの副担当・政務補佐官の人事を決定
   18日  海部俊樹党首を本部長とする「参議院佐賀補選選挙対策本部」を設置
   29日  新進、国民参加の党首選決定
   31日  次期衆議院選挙の第4次候補者を発表
11月 1日  党首選立候補、海部が意欲
    7日  党首公選準備委員会(江田五月委員長)を設置
   10日  友愛会、新進に組織的参加へ
   25日  「幹事長は小沢以外」羽田出馬へ意向固める―新進党首選
   29日  小沢擁立へ署名集め検討、新進に新グループ若手ら「第三の候補」検討
12月 1日   次期衆議院選挙の第5次候補者を発表
    2日   新進党員52万8千人
    5日  「新進党首選に出馬しないで」鳩山由紀夫が羽田に。船田元に出馬を要
        請
    6日  「小沢を党首に」約40議員が「勝手連」
    8日  新進、党員49万人に修正。羽田、小沢と会談、出馬を伝える、再会談。
        小沢、党首選出馬へ。羽田は正式表明
   11日  海部、出馬を断念
   12日  小沢、正式に出馬表明
   13日  小沢陣営の選対本部長に米沢。第3の候補探る―「しこり」懸念の若手
        ら鳩山断念。細川、羽田を支持。選対の最高顧問に就任
   14日  鳩山元文相に立候補を要請。党首選「自主投票」を確認(友愛会)
   15日  鳩山元文相、出馬を断念
   16日  「新進党党首選公開選挙」を告示。選対本部長に左藤。18歳以上OK、
        参加料1000円、インターネットも利用
   20日  幹事長代行に西岡
   25日  一般投票100万越す。次期衆議院議員総選挙の第6次公認候補を発表
   28日  新党首に小沢一郎幹事長が当選
   29日  小沢、諮問機関を新設。羽田・細川が参加へ
   30日  新進幹事長に米沢。党務・選対は小沢側近

 1996年(平成8年)

 1月 1日  新進党本部が移転(港区虎ノ門2ー3ー13→港区赤坂2ー2ー12)
    5日  村山首相が辞意
    8日  両院議員総会を開催、新役員人事を発表
   11日  橋本内閣発足
   17日  次期衆議院議員総選挙の第7次公認候補を発表
   18日  米沢が党役員会で羽田・船田に圧力
   19日  新進党第2回定期全国大会を日比谷公会堂で開催
   22日  羽田グループの政策勉強会の旗揚げが行われる
   23日  友愛会の第3回定期総会が開催
   25日  党機関紙「新進」で1月23日付けの役員一覧を発表
   31日  新進党「住専」税金投入反対国民運動本部を設置
 2月 1日  羽田グループの初会合、勉強会「興志会」(66人)を正式に設立する
    6日  鳩山邦夫が「フォーラム日本の進路」に参加
   13日  参議院岐阜補選で吉岡哲雄(元自衛官)を公認候補とする次期衆議院議
        員総選挙の第8次公認候補を発表。2月29日、3月15日、4月25
        日、5月21日に追加。細川が田中秀征、小泉純一郎と新しい勉強会発
        足へ
   20日  鹿野道彦・田名部匡省・増子輝彦を中心に「政治改革・政党政治を推進す
        る会」を結成
   22日  初の「県連代表者会議」を新進党本部で開催
   25日  京都市長選挙、新進を含む5党が推薦した桝本頼兼が当選
   27日  小沢党首と最高顧問・常任顧問・党三役が懇談
 3月 1日  「明日の内閣」に政治改革実行本部を設置
    5日  2月から全国各地で新進党の県連大会が行われ、その記事が3月5日付
        「新進」で紹介される
   19日  住専問題を巡り、小沢党首と橋本首相のトップ会談
   24日  参議院岐阜補選で敗北
   25日  土井衆院衆議院議長の仲介で与党側と新進党が合意、ピケ戦術を解除
   28日  「第一次党勢力拡大運動計画要綱案」を了承
 4月 1日  党勢拡大運動月間スタート(〜5月31日)。船田が鳩山由紀夫と「次
        の総選挙の前後に新党結成」で合意
    7日  鳩山邸で花見会を実施、鳩山兄弟の他に市民リーグや社民党の新党推進
        派が一同に会する
   11日  羽田が「興志会」の会合で小沢批判
   22日  小沢党首が橋本首相と会談
 5月23日  船田が前日の発言の責任を取り党総務会長代理を辞任
   28日  党総務会長代理に権藤恒夫が就任、また、空席となった総務に山崎広太
        郎・堀江正雄を任命。参院新進党が、同党の政党交付金の配分や党経理
        の公開を求め、参院から交付される立法事務費の納入を3月から拒否し
        ている事態が表面化
 6月 1日  羽田、「新しい行動を起こす可能性もある」と発言
    5日  「明日の内閣」が友愛会と政策協議。参議員選挙区選出の議員らが対応
        を協議
   18日  平成会の人事(8月1日〜)を決定
   20日  小沢が細川・羽田と会談、「挙党一致」で一致
   25日  第1回の「小沢党首対話フォーラム」を開催。参院新党の役員、参院関
        係の新進党本部役員人事を決定。橋本政権が1997年4月からの消費
        税5%引き上げを正式決定
   27日  第2回の「小沢党首対話フォーラム」を開催
 7月10日  第3回の「小沢党首対話フォーラム」を開催。船田が「興志会」を脱会、
        畑恵や村山憲夫も同調
   11日  第4回の「小沢党首対話フォーラム」を開催
   12日  新進党と公明の党幹部の懇談会、公明が党を上げての応援を約束
   17日  第5回の「小沢党首対話フォーラム」を開催。親小沢系の勉強会「責任
        ある政治の会」が解散
   18日  第6回の「小沢党首対話フォーラム」を開催。岩国哲人らが「新風会」
        発足
   23日  「興志会」が解散
   24日  岡山県知事選立候補のために江田五月が離党(落選)
 8月 1日  小沢氏「首相の地位は望んでない」と発言
    2日  次期衆議院議員総選挙の第9次衆議院議員総選挙の公認・推薦候補を発
        表…8月12日に追加あり。
    4日  山口県知事選挙で吹田が落選
    6日  党最高諮問会議を開催、党人事の一新で一致
    8日  小沢一郎党首が新役員人事を発表、同時に「第41回衆議院総選挙対策
        本部」を設置
   26日  鳩山邦夫が党東京都連会長を辞任
 9月 3日  鳩山邦夫が離党(東京2区で当選、民主党)
    6日  「明日の内閣」の政策対話フォーラムを福岡市で開催。船田が離党(栃
        木1区で当選、「21世紀」を結成)
   11日  高橋一郎(比例区東京Aで当選、自民党)・杉山憲夫(比例区東海Bで
        当選、自民党)・井奥貞雄(比例区南関東Bで当選、自民党)が離党
   13日  「明日の内閣」の政策対話フォーラムを神戸市で開催
   17日  友部達夫(参)が離党(オレンジ共済疑惑で裁判中、無所属)
   20日  第41回衆議院議員総選挙の第10次公認候補を発表
   25日  田浦直(参)が離党(除名処分後、11・27に自民党入り)
   27日  衆議院解散。石破茂(鳥取1区で当選、「21世紀」に参加)・今津寛
        (北海道6区で落選、自民党)が離党の意向を表明
10月 2日  第41回衆議院議員選挙に向け、新進党は「国民との5つの契約を発表」
20日  第41回衆議院議員選挙の投開票、新進党は小選挙区96名、比例代表
        60名(計156名)が当選、党の有力者では田名部や米沢が落選
   21日  党最高諮問会議を開催、席上、羽田や細川が分党の意向を伝え小沢も了
        承
   23日  党最高諮問会議を開催、この会議で「分党問題」はひとまず収束するこ
        とになる
   24日  熊谷弘に除名通告
   28日  総選挙に伴う補充人員を発表、衆議院副議長に渡辺恒三の立候補を決定
31日  米田健三が離党届提出
11月 5日  高市早苗が離党(12・27自民党へ)
    6日  西岡幹事長が菅直人民主党代表と意見交換。笹川が離党
    7日  第2次橋本内閣発足。畑恵が離党を提出
   12日  「明日の内閣」の大臣を発表
   19日  畑恵(12・18自民党へ)・田浦直・米田健三を除名処分にする
   29日  新進党と民主党の政策責任者による協議を開催
12月10日  結党記念日
   12日  新党問題を巡り小沢と羽田が会談
   16日  小沢と羽田の3回目の会談、羽田の離党・新党結成で「合意」をまとめ
        る
   17日  両院議員総会で、羽田元首相の離党・新党結成問題に関して「分党しな
        い」という執行部方針を了承
   26日  羽田・岩国らが新進党を離党、「太陽党」を結党
   27日  小川勝也(参)が離党(民主党へ)

1997年(平成9年)
 1月 7日  連合新年交歓会で小沢党首があいさつ
    9日  「新進党基本政策に関する全議員会議」
   14日  2回目の全議員会議を開催、外交・安保政策等について徹底的に討議、
        「党基本政策構想」の方向性を了承
   16日  「党基本問題調査会」(海部俊樹会長)のメンバーを決定
   20日  両院議員総会で「党基本政策構想」を再確認
   21日  「党基本問題調査会」の初会合を開催、週2,3回のペースで協議を進
        めて行くことを決定
   22日  小沢党首、調査研究費として、議員に100万円
   28日  実川幸夫(千葉9区)の離党届、認めず除名
   29日  友部議員、詐欺容疑で逮捕
 2月 4日  民主、太陽と共同で予算組み替え要求することに合意
   15日  公明の藤井富雄代表が党全国大会で新進党への合流を先送りすることを
        表明
   16日  細川、党役職(最高諮問会議)辞職へ
   17日  小沢党首、細川と離党をめぐって会談
   18日  「オレンジ共済プロジェクトチーム」(神崎武法座長)が両院議員総会
        で党内調査報告の結果を発表
   21日  党基本問題調査会が「党首選挙プロジェクトチーム」(平井卓志座長)
        の設置を決定
   24日  東京都議選第1次公認・推薦候補を発表
   26日  「新進党両院議員懇談会」が東京・芝の東京プリンスホテルで開かれ、
        党再建に向けて活発な討議を展開
 3月 3日  小沢党首が自民党の竹下登元首相と都内で会談
    4日   「明日の内閣」の政治改革推進本部(野田毅本部長)の構成を決定
    5日  荻野浩基衆院議員(比例代表東北ブロック)が離党。友愛会、新進支援
        を確認
    6日  荻野離党を認めず、辞職を要求へ
   10日  太陽党と共同チームを作ることで合意
   18日  旧公明党会合で新進党役員の交代論相次ぐ
   19日  昨年の衆議院選挙直前から中断されていた「小沢党首対話フォーラム」
        (第8回)が再開。荻野の離党問題、衆院議長が調整へ
   28日  平成会常田、無所属に
   29日  「全国代表者会議」が東京・千代田区の全共連ビルで開かれ、党執行部
        と意見交換
 4月 1日  長谷川道郎(新潟選挙区)を除名
    4日  4月2日、3日の両日、小沢一郎党首が橋本龍太郎首相と「駐留軍用地
        特別措置法」について会談。3項目の合意を役員会、総務会で了承
    8日  特措法改正に公明も「賛成」
   10日  特措法改正案が衆院委で可決。旧公明党議員が勉強会「総合政策フォー
        ラム」発足
   11日  特措法改正案、衆院を通過
   14日  科学技術庁長官の不信任案、新進・太陽提出へ
   15日  1997年運動方針案を決定
   16日  「保保」連合、公明代表が容認
   18日  北村直人(北海道13区)が離党表明
   20日  秋田知事に新進系・寺田典城
   21日  次期衆院選の公認70人を発表
   23日  第3回定期党大会。次期総選挙の公認を1人追加
   24日  臓器移植法案、衆院で可決。旧公明が派閥的集団「公友会」を結成の方
        針。北村が離党届
   25日  友愛会が第4回定期総会で改革政権目指すことを要請
 5月 1日  第68回メーデーに新進党も積極参加
    2日  小沢一郎党首、自民党の森嘉朗総務会長とロンドンで会談
3日  憲法施行満50周年記念アピール
    7日  「明日の内閣」と友愛会が懇談
   11日  宮崎県連が第3回定期大会
   13日  自民党と新進党の若手議員、「保保」に対抗、あす会合。日銀・大蔵改
        革案、提出方針。「阪神・淡路大震災被災者支援法案」を民主・太陽と
        共同提案へ。新進党東京都総支部連合会が「’97首都決戦・新進の集
        い」を開催
   14日  小沢党首が国会内で「オープン記者会見」
   15日  自民・新進の勉強会「日本の危機と安全保障を考える会」、旧公明が参
        加容認
   20日  「明日の内閣」で国家公務員倫理法案(仮称)大綱をまとめる。梶山官
        房長官と小沢が会談
   22日  神崎武法総務会長、「三友会」へ不参加表明
   23日  「憲法制度調査会委員会設置推進議員連盟」設立総会。北橋健治が党総
        務を辞職
   24日  北海道連が第3回定期大会。福岡県連が第3回定期総会
   25日  青森県連が第3回定期大会
   31日  宮城県連が第3回定期大会。愛知県連が第3回定期大会。京都府連が第
        2回政治研修会
 6月 1日  「日本再興基本構想案」を明らかにする
    7日  栃木県連が第3回定期大会
   10日  「日本再構築プラン」(仮称)を発表
   15日  福島県連が第3回定期大会
   18日  細川元首相、離党
   21日  三重県連が第4回定期大会
   24日  小沢、友愛会と会食“欠席”
   28日  京都府連が第3回定期大会
 7月 4日  党首選、「国民投票」は廃止へ
    6日  都議選、惨敗
    8日  「集団的自衛権行使認めず」の文言を「日本再構築プラン(仮称)」か
        ら削除へ
   11日  「日本再構築プラン」(仮称)の最終案まとまる
   12日  石川県第2総支部が第2回大会
   14日  鴨下一郎・上田清司・愛知和男・北橋健治・伊藤達也が離党届けを提出
15日  「反保保」の勉強会「政党政治の将来を考える会」が発足、岡田克也が
        参加
   16日  新進党基本政策に関する両院議員懇談会で「日本再構築プラン(仮称)」
        を大筋で了承
   17日  「改革会議」の旗揚げに民主・太陽と合意
   28日  公明(藤井富雄代表)と政策懇談会。千葉県連が幹事会
   29日  山口県第2総支部が時局講演会
 8月 1日  友愛会と政策懇談会
    3日  小沢党首が藤井公明代表との会談で、公明参院議員の新進党移行の早期
        合流を要請。長崎県連が第3回定期大会
    5日  「明日の内閣」が日本再構築宣言(仮称)案を内定。新進党と連合が政
        策協議
   14日  小沢、新進党・宮城県連会長に
   15日  宮城県知事選に市川一朗(平成会所属参院議員)を推薦決定
   19日  公明3選挙区(浜四津敏子、山下栄一、横尾和伸の3議員)が新進党に
        合流。総務会で「日本再構築宣言」を決定
   23日  山形県連が第3回定期大会
   25日  「改革会議」発足
   26日  今井宏(埼玉3区)、増田敏男(埼玉12区)が離党届
   30日  京都第5総支部が第2回定期大会
9月1、2日  両院議員研修会を開催
    2日  「日本再構築宣言」を正式決定
    8日  兵庫県連が初の県連大会
   16日  仲村正治(沖縄2区)が離党へ。石井一二参院議員(兵庫選挙区)の離
        党届を受理
   18日  民主・太陽と佐藤孝行総務庁長官の更迭要求へ。神崎武法総務会長、
        「反保保路線」言明
   24日  仲村正治衆院議員(沖縄2区)、鈴木正孝衆院議員(静岡選挙区)が離
        党届。「明日の内閣」を改造
   26日  宮城県連が臨時大会
 10月初め  福島県第4総支部が「会津を開く議員セミナー」
   21日  小沢、菅、羽田の3党首が会談
   31日  鹿野道彦が党首選に立候補表明
11月28日  公明(藤井富雄代表)が常任幹事会で参院選比例区を独自で戦う方針を
        決める
12月18日  小沢が230票対182票で鹿野を破り、党首に再選される
   25日  小沢―藤井会談で分党に基本合意
   26日  細川護熙が新党「フロムファイブ」を結党
   27日  両院議員総会で解党を正式決定

2.解説

(1)政権交代可能な政党を目指して

 1994年9月5日、村山連立政権へ対抗する形で旧連立勢力の合同首脳会議が開かれた。そこで「責任ある政治を求めて――新党結成への基本理念」と「新党結成に向けての国民へのアピール」を発表した。基本理念の特徴としては「責任ある政治」「たゆまざる改革」を掲げる改革の内容:政治改革・行財政改革・地方主権の確立・経済改革・教育改革、「長寿福祉社会の基礎確立」「男女共同参画社会」を目指す「一国平和主義・一国繁栄主義からの決別」を表明、国連安保理常任理事国入り問題→旧連立勢力内に異論→基本理念への明記は見送る、などが挙げられる。9日には新党協議会の第2回世話人会で小沢一郎新生党代表幹事が世話人会座長に選任され、以後彼が新・新党の中心となることとなった。28日には新生、公明、日本新、民社など共産を除く野党の各党派は、衆院の統一会派「改革」(187人)を結成、自民党の200人に継ぐ衆院第2勢力が誕生した。午後には衆院186人、参院39人、計225人の国会議員による「新党準備会」が正式に発足し、新党準備実行委員長に小沢一郎代表幹事が選ばれた。以下の文章では小沢一郎に光を当てながら新進党の歴史を見ていくことにする。

(2)新進党誕生

 12月10日、新進党結党大会が横浜市みなとみらい21「パシフィコ横浜」で開かれた。東京で行わなかったのは「既存の政党とは異なるという清新さを強調するため」(羽田)だった。結党大会には新生党、公明新党、日本新党、民社党などから衆参214人が参加した。海部俊樹党首=小沢一郎幹事長体制で始まることとなった。これに先立って、公明党は新進党参加の国会議員からなる「公明新党」と、残留する参院議員と地方議員からなる「公明」に分党した。「自由、公正、友愛、共生」を基本理念として、「たゆまざる改革」と「責任ある政治」を推進することを決議した。

(3)党勢拡大へ

 1995年は新進党にとって飛躍の年となった。2月5日の青森県知事選挙では前新進党衆議院議員の木村守男が当選、4月には党推薦候補が岩手県、三重県など重点知事選挙で勝利した。また政令都市以外の市長・市議会議員、特別区の区長などの各選挙でも新進党公認・推薦候補が多数当選した。そして7月23日に行われた第17回参議院通常選挙では比例区で自民党を上回るなど、改選議席19を倍増する40議席へ躍進した。この選挙では比例区で1,250万票余りを獲得して18議席を占め、選挙区では1,100万票余りを獲得して22議席を占めて新進党の最盛期となった。

(4)党内亀裂始まる

 しかし「親小沢」「反小沢」の確執が始まり、離党者が出始めたのもこのころだった。1月13日には「反小沢派」とされる愛知和男・愛野興一郎が勉強会を開き、同じ日に、旧民社党の川端達夫が離党した。続いて3月22日に山口敏夫が、5月8日に野末陳平が、10日に太田誠一が、25日に小林正が相次いで離党した。この年の党首選は開かれた党をアピールするため公開選挙となった。参加条件は18歳以上で参加料1000円を払うというものだった。12月27日、党首選が行われ一般投票で100万票以上集めた小沢一郎が羽田孜を112万票対56万票で大差をつけて破った。そして新幹事長には米沢隆元民社党委員長が選出された。小沢は大差をつけて当選したものの、海部、船田、鳩山らが立候補の動きを見せるなどしたため、このころから新進党内の溝が深まっていった。また、この党首選は羽田不在の間に党首選に関するさまざまなことが決められたり投票用紙が捨てられて一般参加の投票者に確認がとれなくなるなど「不明朗な選挙」(羽田)だったため、小沢と羽田との間に確執が生まれた。党首選後、小沢は党務・選対に渡辺恒三や二階俊博、西岡武夫などの側近を登用して自らの回りを固めた。
 年明け早々、村山首相が辞意を表明し(1996年1月5日)、11日に橋本内閣が発足した。小沢は9日の連合の「96新年交歓会」で「非自民の政党は新進だけになる(朝日新聞)と息巻いていたが、実態は崩壊過程に入りかけていた。かつて一・一ラインと言われて盟友だった市川雄一が「通常国会終了後に旧公明で勉強会を」(朝日新聞)と発言したり(1月20日)、羽田グループが勉強会「興志会」を発足させたり(2月1日)、細川護熙が田中秀征、小泉純一郎と新しい勉強会を発足させる(2月13日)など不穏な動きが活発化した。
 1996年の通常国会では住専問題が最大の焦点となった。この住専処理に対して政府・与党は6850億円の税金を投入しようとして世論の批判を浴びたので、これを機に政局を揺さぶろうと新進党は3月4日から25日までの22日間、国会内でピケ戦術を採ったがこれが思いの外、不評で世論にそっぽを向かれてしまい結局失敗に終わった。そして5月10日に住専処理策を含む平成8年度予算案が参議院本会議で可決・成立し、住専予算の削減はなかった。こうして新進党はますます混迷の度を深めていった。
 この窮地を打開しようと小沢は6月20日に細川・羽田と会談して「挙党一致」を確認し、また6月25日から7月18日の間に6回にわたって「小沢党首対話フォーラム」を開催するなどして党内融和を図ったがその後、鳩山邦夫や船田元など党内有力者の離党が相次いだ。

(5)総選挙敗北と羽田離党

 9月27日に衆議院が解散し、10月20日に第41回衆議院総選挙が行われた。新進党は改選前の160議席を4議席減らして156議席となり、事実上敗北とも言える結果だった。この選挙では比例区での順位決定に関して総選挙対策本部の顧問兼本部長代理である羽田の頭越しに決められ執行部の独走ぶりが目立った。翌日、党最高諮問会議で羽田や細川が分党の意向を伝え小沢も了承した。しかし創価学会や党内の支持が得られず、分党問題はひとまず収束することになった。11月7日に第2次橋本内閣が発足したが、首班指名選挙では多数の党議拘束違反者(=小沢党首以外に投票)を出し党内の混乱ぶりを露呈した。
 いったんは収束したはずの分党問題だったが、12月になって再燃した。12日には小沢と羽田が新党問題を巡って会談した。そして16日の3度目の会談で、羽田の離党・新党結成で「合意」をまとめた。小沢と羽田の間の政治手法の違いや小沢チルドレンと呼ばれる議員たちが垣根を作って羽田らを寄せ付けなかったことなどが原因だった。12月26日、羽田・岩国ら13人が離党し、新党「太陽党」を結成した。

(6)保保連合で局面打開

 1997年はオレンジ共済疑惑で幕が開けた。これは新進党の友部達夫議員の政治団体が運営する「オレンジ共済組合」が出資法違反や詐欺などに問われた事件でこれに関連して友部達夫が比例区で初当選した1995年の参院選の際に細川護熙など党関係者が友部から金銭を受け取って名簿順位に手心を加えたという疑惑が持ち上がった。2月5日の記者会見で友部議員問題で釈明をした細川は公認への関与を否定し、新進党内のこれまでの調査で「人選は相当部分、旧党派の責任者にゆだねられていた」(西岡武夫幹事長)(朝日新聞)とされているのとは食い違いを見せており混乱ぶりが目立つ格好となった。また3月末には細川が軽井沢に所有する別荘地が他人の借金の担保になっていたことが明らかになるなど党内のスキャンダルが絶えなかった。
 こうした党内のゴタゴタに嫌気が差した小沢は自民党右派との連携をにらんだ「保保路線」を本格的に模索するようになった。3月には小沢側近議員と自民党議員による「日本の危機と安全保障を考える会」が発足した。そして4月には今通常国会最大の懸案となっていた沖縄の駐留軍用地特別措置法改正案で小沢党首は橋本首相と会談し合意、また5月2日には自民党の森喜朗総務会長とロンドンで会談するなど、保保路線色を鮮明にした。その一方で自民と新進の若手議員が、「保保」に対抗して会合を開くなど「反保保」の動きも党内にあった。

(7)崩壊過程に入る

 6月18日、細川が「既成のしがらみから一歩離れて、今の政治の流れがこのままでいいのか考えてみたい」(朝日新聞)として、突然離党した。7月6日の都議選では新進党は議席ゼロの惨敗を喫し、対照的に公明は候補者24人全員が当選した。この結果を受けて、当初、「都議選後」とされていた公明所属の参院議員11人の新進党への合流が先送りされた。7月14日には5人が離党届を提出するなど徐々に崩壊し始めた。8月25日には「反保保」の鹿野道彦元総務庁長官を中心に、野党各党の議員の勉強会「改革会議」が発足した。そして9月18日に神崎武法総務会長が旧公明党グループの研修会で「反保保」を言明して小沢の党運営の手法の限界を印象づけた。

(8)新進党解党へ

 10月31日、党勢不振の責任を問うために鹿野道彦元総務庁長官が党首選に立候補することを表明した。これに対し小沢は臨時国会の会期中であることを理由に党首選への立候補の意思をなかなか明確にしなかった。11月28日には公明(藤井富雄代表)が常任幹事会で来年夏の参院選の比例区を独自で戦う方針を決めた。このような混迷の中で、12月18日党首選が行われた。結果は小沢が230票対182票で鹿野を破った。
 党首に再選された小沢は19日、新しい党体制づくりに乗り出し、党内の旧公明党グループ「公友会」の神崎武法代表幹事(党総務会長)、旧民社グループ「民友会」の中野寛成会長(党国会対策委員長)と相次いで会談した。小沢は党の結束を固めるためそれぞれの会を解散するよう求めた。中野会長は受け入れる姿勢を示し、神崎代表幹事も応じる方向となった。一方、「公明」は20日、党の拡大中央委員会で来年の参院選比例区は新進党とは別に、公明として独自に臨むことを決めた。
 このような流れのなかで小沢は25日突然、公明の藤井富雄代表に参院の旧公明党議員を「分党」して公明に合流させるべきだとの考えを示し藤井代表も分党に賛成した。小沢はこの合意に伴い、新進党の解党―保守新党結成に踏切り、準備に着手した。27日、衆参両院議員総会を開き解党を正式決定し、新進党は3年余りでその歴史に幕を下ろした。そして自民党より右寄りと言われる小沢一郎率いる自由党(54人=衆議院42人、参議院12人)、旧民社党系の中野寛成率いる新党友愛(23人=衆議院14人、参議院9人)、旧公明の衆議院政党である神崎武法率いる新党平和(37人)、旧公明の参議院政党である黎明クラブ(18人)、新進党崩壊の引き金を引いたともいえる鹿野道彦率いる国民の声(18人=衆議院15人、参議院3人)、そして長老格の小沢辰男率いる改革クラブ(12人=衆議院9人、参議院3人)の6党に分かれた。


参考文献・資料

朝日新聞縮刷版(1994年9月〜1997年12月)
新進党機関紙 『新進』
新進党ホームページ

http://politics.j.u-tokyo.ac.jp/lab/edu/seminar/study/1st-semi/jokyo/shin2.htm

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