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(回答先: 第1部 政治状況 第1章 日本新党 東 高士 【新党全記録】 投稿者 愚民党 日時 2006 年 3 月 05 日 16:28:04)
TOP 【「新党全記録」目次】 http://politics.j.u-tokyo.ac.jp/lab/edu/seminar/study/1st-semi/mokuji.htm#jobun
第2章 新党さきがけ
吉田 貴富
http://politics.j.u-tokyo.ac.jp/lab/edu/seminar/study/1st-semi/jokyo/sakigake.htm
1.年表
1993年(平成5年)
6月18日 衆議院本会議で宮沢内閣不信任案可決、衆議院解散。井出正一、岩谷毅、
佐藤謙一郎、園田博之、武村正義、田中秀征、渡海紀三郎、鳩山由紀夫、
三原朝彦、簗瀬進の10名が自民党を離党
21日 「新党さきがけ」結成。結成宣言、政治理念、政策の基本姿勢を発表
23日 新生党結成
29日 虎ノ門で事務所開き。総選挙出陣式、一次公認14人を発表
30日 細川護熙日本新党代表が、選挙後さきがけとの合流を表明
7月 2日 衆院選で追加公認1人を発表
3日 日本新党と、衆院選での選挙協力、政策協議機関の設置の2点を合意
4日 衆議院議員総選挙公示
8日 衆院選で追加公認1人を発表
10日 日本新党と、統一会派の結成などで合意
18日 衆院選投開票、13議席を獲得(石田勝之、宇佐美登、田中甲、錦織淳が
初当選)
19日 日本新党と統一会派「さきがけ日本新党」を結成
20日 当選者13人が初顔合わせ、初の議員総会
23日 日本新党と共同で、各党に「政治改革政権」を提唱
27日 「政治改革政権」について、自民党が基本姿勢を報告
28日 自民党の基本姿勢に対して、「十分ではない」と回答。非自民5政党と
「政治改革政権」を目指した政策協議を進めることを決定
30日 河野洋平が自民党新総裁に就任
8月 2日 統一会派「さきがけ日本新党」の常任幹事会で、年内の合同に向け一致
5日 宮沢内閣総辞職
6日 衆参両院本会議で細川護煕日本新党代表が内閣総理大臣に指名される
9日 細川内閣が発足、武村官房長官が入閣
10日 田中秀征が党代表代行に就任
11日 田中秀征が首相特別補佐に就任
9月 2日 日本新党と合同で議員研修会を開催(〜3日)
17日 政府が政治改革4法案を国会に提出
25日 村山富市が社会党新委員長に
10月29日 赤坂に新しい本部事務所を開設
11月18日 政治改革4法案が衆議院で可決
12月 2日 改憲発言で中西防衛庁長官が辞任
3日 玄葉光一郎が入党
6日 全国組織委員会を開き、党員の募集を開始
8日 「さきがけ日本新党」が土地買い上げ機構の設置を提唱
9日 連立与党が厚生年金の65歳満額で合意
14日 政府がコメの部分解放を決定
15日 衆議院で45日間の会期延長が強行可決される
16日 田中角栄が死去
17日 94年度予算案の越年編成を決定
1994年(平成6年)
1月 4日 政府が防衛計画大綱見直しを1年繰り上げ
5日 議員総会で政治資金団体「新政治協会」の設置を決定
6日 政府が緊急雇用対策本部を設置
7日 主な政党としては初めて定住在日外国人の入党を規約で認める
10日 さきがけ4人が社党右派9人と政界再編研究会を発足
12日 さきがけ4人が新生党9人と意見交換会を発足
21日 政治改革法案が参議院で否決
24日 さきがけ日本新党が、政治改革関連法の成立求める緊急アピールを採択
29日 修正の上、国会で政治改革関連4法案が成立
31日 田中秀征が首相特別補佐を辞任。菅直人が入党
2月 2日 細川首相が「国民福祉税構想」を発表
3日 外国のマスコミとの交流を図った外国人記者懇親会を党本部で開催
8日 細川首相が「国民福祉税構想」を撤回
14日 細川首相が連立与党幹部に内閣改造を打診
23日 社会・民社と、政権運営に関する定期協議開始で合意
3月 2日 細川首相が内閣改造を断念
8日 日本新党の松岡新代表幹事が、さきがけとの合併に消極的な見解
24日 日本新党の松岡代表幹事が、統一会派の人事見直しをさきがけに要求
4月 6日 日本新党が、さきがけとの合併に関して撤回を宣言
7日 武村代表が日本新党との合併断念を表明
8日 細川首相が辞意を表明。日本新党は統一会派「さきがけ日本新党」から
離脱
11日 「新政権づくりに臨むわが党の基本姿勢」を発表
15日 次期政権に対して閣外協力を決定
17日 自民党の渡辺美智雄が首相指名を狙って離党を表明
19日 自民党の渡辺美智雄が離党を断念
22日 新政権の基本政策に関して「是々非々」の姿勢で臨むことを決定。衆議
院の会派を「新党さきがけ」に変更
25日 国会が羽田孜新生党党首を首相に指名。新生党を中心に統一会派「改新」
が結成され、社会党が政権離脱
27日 リベラル勢力結集で社会党と合意
28日 羽田内閣が少数与党政権として発足
5月 9日 日本新党を離党したグループと、統一会派「さきがけ・青雲」を結成
12日 社会党と税制改革協議を行うことで合意、共同で対案作成も検討
16日 北朝鮮問題・コメ問題でも社会党と定期的な政策協議で合意
22日 議員団(武村、鳩山、錦織)訪米、28日帰国。さきがけ島根に在日外国
人46人が入党
31日 統一会派を「さきがけ・青雲・民主の風」に改める
6月 1日 民社党の大内啓伍が委員長を辞任
8日 米沢隆が民社党の新委員長に
17日 第1期さきがけ塾開講
23日 園田代表幹事が社会党に「村山首相」構想を提案
24日 連立与党と社会党の政策協議が不調に終わる。基礎年金について国庫負
担率の段階増を求める方針を、社会党と合同で発表
25日 羽田内閣総辞職。社会党と新たな政権構想を合同でまとめることで合意
27日 社会党と基本政策について合意が成立
28日 結党1周年パーティーを開催
29日 社会党と旧与党の政策協議が決裂。自民党が社さ両党の政策合意に同調
して国会は村山首班を指名
30日 村山内閣が発足。武村大蔵大臣、井出厚生大臣が入閣
7月 4日 鳩山由紀夫が新代表幹事に就任
5日 中島章夫、枝野幸男、荒井聰、前原誠司、高見裕一、五十嵐ふみひこの
6名が入党。衆議院の会派名を「新党さきがけ」に変更
11日 石田勝之が離党
13日 党内に行財政改革本部を設置することを決定
14日 田中秀征が、安保理常任理事国問題で首相の私的諮問機関設置を提案
15日 大阪で「新党さきがけ1周年対話の集い」を開催
20日 村山首相が国会答弁で「自衛隊合憲」「日米安保体制の堅持」を明言。
95年度予算で、自社両党の特別枠要求に同調しないことを決定
8月 8日 与党の行革チームに独自の特殊法人改革案を提示
14日 「侵略戦争」を否定する発言をした桜井環境庁長官が辞任
17日 高見裕一が与党ルワンダ調査団に参加
22日 議員団(田中秀、渡海、簗瀬、錦織、高見、前原)訪中、26日帰国
27日 小沢鋭仁が入党
30日 議員団(渡海団長、7名)が訪台
9月 3日 所得税減税に関して「二階建て方式」の方針を確認
13日 与党税調の中間報告を了承
22日 与党3党が、97年4月から消費税率を5%に引き上げることを決定
27日 河野外相が国連総会で安保理常任理事国入りに意欲を表明。市場原理を
重視した食糧管理制度の改革案をまとめる
10月 5日 自民党が鳩山由紀夫に、北海道知事選出馬を打診していたことが明らか
に
14日 錦織淳が首相補佐に就任
19日 被爆者援護法に「国家補償」の文言を明記することを確認
24日 田中秀征が社会党の山花貞夫と会談
29日 福岡で「新党さきがけ1周年対話の集い」を開催
11月 2日 行政改革委員会設置法が成立
3日 北海道で「新党さきがけ1周年対話の集い」を開催
8日 鳩山代表幹事が、社会党が提唱している新党構想に当面同調しない考え
を表明
14日 社会党から、さきがけとの統一会派構想が浮上
16日 知事・政令指定都市長に関し、4選以上の候補を公認・推薦しない方針
を決定。田中秀征が、社会党との統一会派結成の可能性を否定
21日 鳩山由紀夫が北海道知事選への出馬を断念
24日 政治改革関連法案のうち、区割り法案など4法案が成立
30日 行革委に関して、事務局長の民間起用を人事同意の条件とすることを決
定
12月 8日 新進党の党首選挙で海部俊樹が当選、幹事長は小沢一郎に決定
9日 被爆者援護法が成立。新生党、日本新党、民社党などが解党
10日 新進党結成
14日 第3回全国組織委員会を開催。「非営利・非政府活動推進法」の制定を
目指すことを決定
25日 政府が地方分権大綱を決定
31日 堂本暁子が入党
1995年(平成7年)
1月 5日 武村代表が、参院選で改選数三以上の選挙区に公認候補を擁立する方針
を表明
12日 社会党の村山首相が、さきがけとの統一会派結成に積極的な姿勢を表明
13日 武村代表も、社会党との統一会派に積極的な姿勢を表明
17日 阪神・淡路大震災発生。党内と現地に対策本部を設置して救援活動を行
う
2月10日 特殊法人改革に関し与党が、政府系金融機関の統合を先送り
13日 社会党と政権運営に関する協議機関設置で合意
15日 三重県知事選で新進党の北川正恭の推薦を決定
22日 北海道知事選で伊藤秀子の支持を決定
23日 破綻した2信組の救済について、政府の措置を容認する見解を発表
24日 18法人を統廃合・民営化する特殊法人改革案決定
25日 田中秀征が、不戦決議採択は当然との見解を表明
27日 「海の日」裁決に関して、結党以来初めて討議拘束を外す
28日 政府が地方分権推進法を閣議決定
3月 8日 次期衆院選の1次公認31人を発表。統一地方選での重点公約を発表。群
馬知事選で、現職の小寺弘之の推薦を決定
13日 武村蔵相が東京税関長を処分
15日 政策大綱「われわれがめざす日本の進路」を発表。月刊の党機関紙「党
報さきがけ」(後に「通信さきがけ」)を創刊
17日 大阪府知事選で、平野拓也の推薦を決定
20日 地下鉄サリン事件発生
22日 東京都知事選で、石原信雄の支持を決定
28日 鳩山、菅の2名が与党代表団の一員として北朝鮮を訪問
31日 政府が規制緩和推進5ヵ年計画を決定
4月 9日 第13回統一地方選、府県議9名、政令市議3名の公認候補が当選
11日 円高対策で、海外投資家への優遇措置停止を提案
18日 河野外相が国連演説で核不拡散条約の無期限延長支持を表明
23日 同統一地方選、市町村区議34名の公認候補が当選
28日 政策ブックレット第1号「さきがけの行政改革」を発行
5月 1日 社会党と政策研究会の設置で合意
4日 武村代表が、社会党との新党結成の可能性について言及
5日 社会党の村山首相が、さきがけとの連携について意欲を表明
9日 社会党との政策協議で、新党準備会参加に慎重な姿勢を表明
10日 衆院選の追加公認1人を決定
15日 地方分権推進法が成立
17日 全国議員会を開催
22日 政府が中国の核実験に抗議して無償資金援助の圧縮を通告
24日 田中秀征が、比例区を中心に選挙制度見直し論議を行うべきとの考えを
示す
27日 社会党が臨時党大会で新党結成を明記した「95年宣言」を採択
28日 鳩山代表幹事が戦後50年決議に関して、歴史観が違えば連立解消も辞さ
ないと表明
31日 参院選の追加公認2人を決定
6月 5日 介護休業法が成立
7日 参院選の追加公認1人を決定。衆院選の追加公認1人を決定
8日 ゴラン高原PKOへの自衛隊参加を条件付きで容認
9日 戦後50年決議を採択、包装容器リサイクル法が成立
12日 新進党が内閣不信任案を提出したが、与党3党などの反対多数で否決。
自社さ3党首が、新3党合意を急ぐことを確認
13日 参院選の追加公認1人を決定
14日 参院選に関して、重点公約を発表。日教組と定期協議を開くことで一致
16日 フランスの核実験再開決定に反対する党声明を発表
22日 武村代表らがフランス大使館を訪れ、核実験再開に抗議。水俣病解決へ
向けて与党3党が合意。政府が北朝鮮に対するコメ支援を決定
25日 鳩山代表幹事が、常任理事国入りに慎重な姿勢を新3党合意に加えるよ
う求める
27日 日本の主要な政党としては初めて、ホームページを開設
28日 参院選の比例候補1人を追加
30日 与党3党が「新3党合意」を決定。参院選の比例候補1人を追加
7月 1日 参院選の公認候補1人を追加
3日 結党2周年パーティーを開催。参院選の比例候補5人を追加
4日 「ニュードリーム経済改革」を発表。参院選の比例候補1人を追加し、
名簿順位を決定。衆院選の公認候補1人を追加
7日 神奈川ネットと政策協定を結び、共同の参院選対策本部を設置
10日 「公開政策会議」を設置し、提言を募集
16日 武村代表が、参院選に関して5議席が勝敗ラインとの見方を示す
17日 菅直人が「みなし配当課税」凍結を提案。「危機管理体制強化の提言」
を発表
18日 住専処理策を発表
19日 新首都像を発表。「女性のためのアジア平和国民基金」が発足
20日 初めて政党助成金が交付される
23日 参議院選挙投開票、3議席を獲得(奥村展三、水野誠一が初当選)
27日 首相補佐官制度の創設や審議会の原則公開等4項目の緊急課題を提唱。
社会党から、参院でさきがけとの統一会派構想が浮上
28日 武村正義が、参院選の責任を取って代表の辞意を表明。第2期さきがけ
塾開講。武村蔵相が、大蔵省財政金融研究所長を解任
29日 武村正義が代表の辞意を撤回
30日 武村代表が、「第三極」結集に関して社会党との連携を進める考えを表
明
31日 参議院に院内会派を結成(代表は堂本暁子)
8月 1日 佐藤謙一郎が離党。与党防衛調整会議で、2.88%増を提案、自社に妥協
を促す。4項目の緊急課題について、与党幹部が実現に向けて基本的に
合意
4日 衆参両院で核実験反対を決議
7日 社会党との政策協議が再開
8日 第2次村山内閣が発足。武村蔵相が留任、経企庁長官に民間の宮崎勇氏
を推薦
9日 武村代表が、解党的決意で第三勢力を結集する意欲を示す。社会党の村
山首相が、さきがけを連携相手に想定して新党構想を進める考えを表明
10日 菅直人が、東京で第三勢力結集を目指すため海江田万里らと会合
12日 武村代表の進める社党との新党構想に対して、鳩山代表幹事が否定的な
考えを表明
15日 村山首相が「戦後50年」の首相談話を発表、英兵捕虜問題で謝罪。村山
内閣の閣僚9人が靖国神社に参拝
17日 中国の核実験に抗議し、援助凍結などを政府に申し入れ
23日 鳩山代表幹事が、橋本龍太郎の「常任理事国入り」論を批判
24日 ゴラン高原へのPKO派遣を了承。さきがけの要求を受け、村山首相が
私的諮問機関「国連問題懇談会」設置の方針
28日 井出正一が党政務幹事に就任、総務会長には中島章夫が昇格
31日 菅直人が、「リベラル結集を目指す東京会議」準備会を発足
9月 3日 フランスの核実験に対しさきがけ議員9名がタヒチでの抗議行動に参加
4日 枝野、堂本の2名が北京で第4回世界女性会議に参加
7日 田中秀征が、首相の私的諮問機関「国連問題懇談会」に関して申し入れ。
政治資金収支報告書をホームページで公開。村山首相が全国知事会議で
「官官接待」の自粛を要請
9日 さきがけ2議員の乗った核実験抗議船がムルロア環礁でフランス海軍に
拿捕される
11日 フランス海軍に拘束された2議員が釈放される
12日 朝日新聞の世論調査で、過去最高の9%を記録
13日 社会党と、次期総選挙での選挙協力を進めることを確認
15日 広島県福山市で「さきがけ塾公開講座」開催
18日 社会党との政策協議で、宗教法人法改正など5点で一致
21日 社会党の新党結成方針に対し、田中秀征が合流しないとの考えを表明
22日 自民党総裁に橋本龍太郎氏が就任。外務省に対して「外相国連演説に対
しての再要望」を提出。鳩山代表幹事が、社会党が設置を予定している
新党結成委員会にも不参加を表明
26日 市民活動法人法のさきがけ案を発表。鳩山代表幹事が、宗教法人法改正
を臨時国会に固執しない考えを表明
27日 次期衆院選で、候補者を公募する方針決定
28日 小平忠正が入党
10月 1日 鳩山代表幹事が、総選挙前に第三極結集を実現する意欲を示す
2日 文部省・文化庁の示した宗教法人法改正案の骨子を了承
3日 社会党と、与党幹部による核実験抗議団のフランス派遣で合意
7日 茨城県ひたちなか市で「さきがけ塾公開講座」開催。鳩山代表幹事が、
社会党との合併による新党結成を否定
15日 鳩山代表幹事が、社会党主導の新党参加を改めて否定し、党の独自性強
調を表明
18日 党拡大厚生部会がHIV薬害訴訟原告・弁護団と面談
19日 前北海道知事の横路孝弘が、さきがけとの連携を重視する考えを表明。
宝珠山防衛施設庁長官が辞任
20日 社会党支持の労組会議から、武村正義を中心とする第三極構想(武村新
党)が浮上
21日 社会党の村山首相が第三極結集に関して、武村正義との連携を重視する
考えを強調
23日 鳩山代表幹事が「武村新党」に関して、時間をかけて進めるべきとの考
えを示す
24日 新進党・共産党とともに、薬害エイズに関する集中審議を要求
25日 金田誠一が入党。基本戦略委員会を設置。田中秀征が、「武村新党」に
同調せず社会党主導の新党にも合流しない考えを表明
26日 社会党との会談で、新党への早期合流を拒否。菅直人が、沖縄振興のた
めの特別立法を提唱
31日 政策ブックレット第2号「さきがけの市民活動法人法」発行。自民党と、
選挙協力についての正式な協議を開始
11月 2日 八王子市で「さきがけ塾公開講座」開催
4日 宇佐美登がミャンマーを訪問、スー・チーさんに「世界人権会議」を提
唱
9日 全国組織委員会開催
13日 自民党の江藤総務庁長官が辞任
14日 菅、枝野の2名が厚生省に「血液製剤によるHIV感染薬害に関する質
問趣意書」提出
15日 次期衆院選の候補者公募を発表。機関紙「通信さきがけ」で田中秀征が、
社会党改革論を展開
16日 新防衛計画大綱に関し、核廃絶の明記などを要求
17日 鳩山代表幹事が、社会党の新党結成の手法を批判
22日 フランスの核実験に対して、駐仏大使の召還を政府に要求
28日 政府が新防衛計画大綱を閣議決定
30日 基本戦略委員会で、社会党が新党を目指す「円卓会議」に参加しない方
針を確認
12月 1日 さきがけ塾塾生交流会開催。参議院本会議が人種差別撤廃条約の批准を
承認
2日 武村代表が、さきがけ主導の新党結成に改めて意欲を示す
5日 村山首相が、第三極結集に向けて学者や文化人中心のフォーラム設置を
提唱
6日 ゴランPKOに関して機関銃の携行を認める。薬害エイズ問題の真相解
明を要求。臓器移植法案の採決に関して、党議拘束を外す方針を確認
7日 次期衆院選で、第二次公認候補8人を発表
8日 次期衆院選の候補者公募の締め切り、103名が応募。次期中期防に関し
て、歳出総額を現行以下に抑えるよう求める方針を決定。改正宗教法人
法が成立
12日 党内に薬害エイズ問題プロジェクトを設置。鳩山代表幹事が、自民党首
相政権に対する抵抗感が薄れているとの認識を示す
13日 政治路線の取りまとめが越年
14日 候補者公募第1次審査、25名が通過
19日 武村蔵相、住専処理策決定。村山首相が提唱している第三極結集に向け
た協議の場作りで同調する方針を決定
20日 住専処理問題で、武村蔵相を支えていくことを確認
22日 基本戦略委員会で、社会党との第三極結集に向けた協議の場作りの方針
を撤回
23日 候補者公募第2次審査、10名が通過
24日 自民党のグループ・新世紀と、相互の交流を深めていくことを確認。武
村代表が、基本戦略委の「同調撤回」に不満を表明
26日 社会党との勉強会構想を最終的に受け入れる方針。鳩山代表幹事が、新
進党の羽田陣営の離党に期待感を示す
27日 社会党の村山首相が、さきがけとの勉強会設置に改めて意欲を示す。社
会党との勉強会「フォーラム日本の進路」に自民党議員も加えることを
決定。新進党の小沢一郎が新党首に就任
28日 武村代表が、社会党議員が個々で参加する形の新勢力結成に前向きな姿
勢を示す
29日 篠沢大蔵省事務次官が辞職
1996年(平成8年)
1月 5日 村山首相辞意表明
6日 「新しい政権が取り組むべき重点政策案」を発表
8日 新政権に向けての3党政策合意が成立
10日 フォーラム「日本の進路」(世話人・武村正義)がスタート、第1回会
合を開催
11日 第1次橋本内閣が発足。田中秀征経企庁長官、菅厚生大臣が入閣
16日 田中秀征・園田博之の副代表就任などを内定
18日 石井紘基が入党。鳩山代表幹事が、党独自の調査から総選挙で1ケタに
なるとの見通しを示す
19日 組織改正、役員人事を実施。社会党が定期大会で党名を「社会民主党」
に変更
20日 鳩山代表幹事が、新党結成に向けて党内の意見調整を急ぐ考えを示す
21日 候補者公募第3次審査、10名全員が合格
23日 武村正義が検査のため入院
24日 社民党と政策に関する定期協議を行うことで合意。自民党のグループ・
新世紀が会則を改め、さきがけなど他党派議員の加入を認める
26日 武村正義が慢性硬膜下血腫の手術を受ける
28日 鳩山代表幹事が既成政党の枠組みにこだわらない政界再編の必要性を改
めて強調
31日 政策ブックレット第3号「さきがけの核廃絶」を発行。第12回ラジオCM
コピー大会に参加
2月 1日 「らい予防法の廃止に関する党声明」発表
5日 武村正義が職務に復帰
6日 金融機関からの献金を自粛する方針を表明
9日 薬害エイズ問題に関して、郡司ファイルが発見される
13日 園田博之が、早期の新党結成に慎重な姿勢を示す
14日 薬害エイズ訴訟原告団の厚生省前での座り込みに対し、鳩山らが支援。
「トンネル崩落事故対策本部」を設置し、荒井聡本部長を現地に派遣
16日 菅厚相が薬害エイズ問題で国の責任を認め、患者・家族に直接謝罪。鳩
山代表幹事が、小選挙区制の見直し論議に慎重な姿勢を示す
21日 社民党との合併を前提とした新党協議を棚上げ。住専問題に関係した金
融機関からの政治献金受領を最低1年間自粛
22日 自民党のグループ・新世紀が社さ議員を加えて総会、さきがけから7人
参加。武村正義が、TBSのドラマにゲスト出演
3月 4日 新民訴法案の文書提出命令に関して官公庁文書も例外扱いしないよう修
正要求。新進党が住専処理に反対してピケ戦術を開始
7日 全国組織委員会
15日 中国の軍事演習に抗議するため、円借款協議凍結を政府に申し入れ
23日 鳩山代表幹事が、外国人の参政権拡大に積極的な姿勢を示す
27日 埼玉知事選で現職の土屋義彦の、山口知事選で小沢克介の推薦を決定
28日 田中秀征が細川護煕、小泉純一郎とともに行革の勉強会を発足
29日 金融三法案の内容を大筋で了承。東京と大阪で薬害エイズ訴訟が和解
4月 2日 鳩山代表幹事と新進党の船田元による新党構想が表面化
4日 鳩山代表幹事が船田元との新党構想に対して、当分は自粛すると表明
5日 鳩山代表幹事が新党構想に関して、新進・自民にまず呼びかける考えを
表明
7日 鳩山代表幹事が、新党構想は党の取り組みの一環と説明
8日 「社さ新党」の結成を事実上断念。五十嵐ふみひこが住専処理に関して
大蔵省の行政責任を指摘
10日 福島県知事選で、現職の佐藤栄佐久の推薦を決定
12日 日米両国政府が沖縄県の海兵隊普天間飛行場を返還することで合意
17日 第1回全国ブロック会議
19日 議員個人の倫理観に関する法案について、党議拘束解除の指針を検討へ
21日 武村代表が衆院選に関して、単独で100人の擁立を目指す考えを表明
24日 鳩山代表幹事が、消費税率再引き上げの必要性を指摘。衆院選で公認候
補4人を追加
25日 新人候補研修会
5月 1日 鳩山代表幹事が、リベラル北海道へのさきがけ北海道の参加に慎重な姿
勢を示す
7日 鳩山代表幹事が友愛精神を基軸にした新党構想を雑誌に発表
8日 金融行政全般を大蔵省から分離することを提案
10日 武村代表が米軍用地収容のための特別立法に関して検討容認の考えを示
す。政党交付金の使途をホームページで公開。住専処理に税金を投入す
る96年度予算案が成立
15日 中尾則幸が入党
17日 中国に対し核実験の中止を要請
19日 鳩山代表幹事が、早期の内閣改造に反対の姿勢を示す
22日 財政改革本部、第1回会合を開く。衆院の議員運営委員会が、田中甲の
発言のうち問題部分の削除を決定
25日 兵庫県の提案している地震共済保険に対して支持を表明
27日 社民党との定期協議で、持ち株会社の段階的解禁を提示
31日 新進党の鳩山邦夫が、兄由紀夫にさきがけからの離党を促す。NPO法
案について、新進党と意見交換を行うことが決定
6月 5日 衆院選で公認候補を一人追加
10日 補正予算編成について慎重に対応することで、社民党と一致
11日 グループ・新世紀の総会で、鳩山代表幹事が新党構想を語る
18日 住専処理関連法が成立
21日 公務員制度見直しに関する総務庁の見解に対して、反論を発表
24日 結党3周年パーティーを開催。第2回新人候補者研修会
25日 政府が消費税率を97年4月から5%に引き上げることを閣議決定
27日 中海・本庄工区干陸問題について現地調査団を派遣、公開シンポジウム
を開催。武村代表が、農産物輸入完全自由化の是非に関する論議の必要
性を指摘
29日 鳩山代表幹事が、船田元らとの信頼関係を強調
7月 2日 沖縄米軍用地収容に関して、特別立法論議を急ぐことに懸念を表明。衆
院選で公認候補を1人追加
8日 97年度予算の概算要求基準に関して、聖域の撤廃などを主張
9日 議員団が訪中、江沢民主席に核実験中止を申し入れ。第1次「緑のPK
O」を実施(〜14日)
11日 武村代表が行財政改革に関する三つの提案を発表、選挙後の行革政権を
提唱。園田博之が鳩山代表幹事の新党構想に関して、理念の必要性を指
摘しつつ支持を表明
13日 「緑の環境税」創設を総選挙の公約にすることを発表
16日 基本問題調査会を設置
17日 鳩山代表幹事が、元従軍慰安婦に対して個人補償すべきとの個人的見解
を示す
24日 党内にO−157緊急対策本部を設置
26日 第3期さきがけ塾が開講。住宅金融債権管理機構が発足
27日 鳩山代表幹事と菅直人が、さきがけを発展的に解党して新党を結成する
考えを示す。田中秀征が、さきがけのまま総選挙に臨むべきとの考えを
表明
28日 武村代表が、さきがけが結束して新党に移行する可能性を探る考えを示
す
8月 2日 鳩山代表幹事が、9月中に新党準備会を結成する方針を表明
3日 園田博之が、新党の枠組みよりも行革を柱とする政策論議を先行すべき
と主張
6日 連合と初めての正式会合
13日 鳩山代表幹事が、臨時国会前に準備会を経ずに新党結成もありうるとの
考えを示す
15日 鳩山代表幹事と菅直人が会談し臨時国会前の新党準備会結成で一致。菅
直人は、さきがけの大半が新党に移行する道を探るべきとの考えも示す
17日 田中秀征、園田博之、菅直人が新党移行の方針で一致。鳩山代表幹事も
理解を示す
20日 武村代表も加えた幹部会議で先の方針を確認。鳩山代表幹事は最終判断
を留保。整備新幹線の建設費を全額公費とする自民党案に同意しない方
針を固める
21日 発展的解党・新党移行の方針を固める。鳩山代表幹事も基本的に理解を
示す
24日 武村正義が、新党では後衛に回るとの考えを表明
25日 鳩山代表幹事が、結党時には武村正義の参加を拒む意向を表明
27日 鳩山由紀夫が党代表幹事の辞表を提出。武村・鳩山会談(〜28日)
28日 鳩山由紀夫が、さきがけを離党し9月中旬に新党を結成する意向を正式
に表明。武村正義が、党代表を辞任する意向を固める
29日 臨時総務会で武村代表の辞任を了承。新人候補者への経過説明会。菅直」
人が、代表就任を推す声に対して固辞する考えを示す
30日 新代表に井出正一を、新代表幹事に園田博之を選出。菅直人は副代表に。
鳩山、簗瀬、五十嵐の3名が離党
9月 1日 井出代表らによる新体制が発足
2日 園田博之が、行革政権構想を軸に鳩山新党との連携を探る考えを示す。
井出正一が、さきがけのまま総選挙に臨むことを前提に選挙準備を進め
る考えを示す
3日 代表幹事の役職名を幹事長と改める
5日 鳩山新党と社民党に対し個人参加の新党を提案。田中甲が離党
7日 井出正一が、社民・さきがけ・鳩山グループの協議を1週間以内に始め
る意欲を示す
9日 菅直人と鳩山由紀夫が、第三極結集に向けた新党準備会の設立で合意
10日 菅直人の報告を了承。メンバーのほぼ全員が参加する見通しに
12日 菅直人が民主党結成の呼びかけについて報告。参加は個々の判断による
ことを確認
17日 菅直人・鳩山由紀夫が、さきがけ幹部に対し民主党に参加するよう要請。
井出正一らはさきがけ残留を決定、当選一回議員の民主党参加は容認
18日 小平忠正が離党
20日 社民党と選挙協力を進めることで一致
25日 石井紘基が離党
26日 荒井聰、小沢鋭仁、中尾則幸、中島章夫が離党
27日 衆議院解散、選挙にあたっての重点公約等を発表
28日 民主党結党。社民党の土井たか子が新党首に就任
10月 2日 民主党と、総選挙後に行革政権構想について協議することで一致
3日 衆院選の比例区で公認候補1人を追加
6日 行革政権に向けた行動計画を発表
13日 園田博之が民主党に対して、行革政権に参加するよう期待を表明
15日 総選挙後の行革政権で進める重点政策案を発表。社民党が、さきがけの
提唱する行革政権に対し積極的に対応する考えを示す
20日 衆院選投開票、2議席を獲得。井出正一が代表を辞任する意向を示す
21日 自民・社民と、政権継続を前提に政策協議を開始
22日 行政改革の推進を条件に、新政権に閣外協力する方針を決定。井出正一
の代表辞任を了承、堂本暁子を議員団の座長に選出
25日 堂本暁子が社民党の土井党首と会談、女性政策推進で一致
26日 武村正義が車の衝突事故で怪我
29日 政調会長に水野誠一が就任、総務会長は堂本暁子が兼務。参院補選で芦
尾長司の推薦を決定
31日 自民・社民とともに政策合意書に署名
11月 7日 第2次橋本内閣発足。さきがけは社民とともに閣外協力
12月 2日 日米の特別行動委員会が沖縄の米軍基地の整理・縮小策で最終報告
4日 警視庁は、岡光序治・前厚生事務次官を収賄の疑いで逮捕
5日 全国組織委員会開催、党再出発へ地方支部の整備を図ることで一致。広
島の原爆ドームが世界遺産に決定。郵政省とNTTがNTTの分離・分
割を合意
13日 建設国債発行額で異論を唱え、補正予算編成を延期
16日 補正予算編成に関して、主張が通らねば賛成しない姿勢を確認
20日 補正予算案に反対する方針を確認。与党3党が医療保険制度改革案を合
意
26日 与党3党が金融検査・監督の分離を合意。羽田孜が新進党を離党し、
「太陽党」を結成
1997年(平成9年)
1月21日 財政構造改革会議開始。日銀法改正に関して、3党合意を後退させてい
ると批判
25日 タンカー重油流出事故の与党現地調査団を派遣
28日 96年度補正予算案に反対の見解をまとめる。結党以来初の党大会を6月
に開くことを決定。武村正義が、自民党に予算節減目標の設定を求める
考えを示す
29日 衆議院本会議で96年度補正予算案に反対
31日 参議院本会議で96年度補正予算案に反対
2月 1日 宍道湖・中海の発展をめざすシンポジウム開催
17日 学生部が正式に発足
19日 支部代表者会議開催
22日 さきがけ政策講演会開催
3月 1日 田中秀征公開演説会開催
6日 堂本座長、国連本部で受賞
23日 小金井市議選で1議席獲得
28日 平成9年度予算成立
29日 中海干拓問題で与党合意
4月 1日 政策ブックレット第4号「さきがけの政策目標論」発行
3日 与党選挙制度協議会発足
6日 佐久市議選で1議席獲得
8日 駐留軍用地特別措置法改正案に賛成する方針を確認
12日 堂本座長、国際自然保護連合副会長に日本人として初めて就任
27日 学生部、プレキャラバンに出発(〜29日)
5月21日 学生部、ホームページ開設
26日 全国組織委員会開催
6月 1日 100ヶ所連絡所構想着手
2日 学生部、学生新聞を創刊
3日 「財政構造改革の推進方策」を決定
4日 政府系金融機関改革さきがけ案発表
5日 民法改正案を参議院に提出
6日 NPO法案を衆議院で可決
13日 健康保険法等改正が成立
28日 結党4周年記念シンポジウム開催。学生部懇親会開催
7月 4日 第3期さきがけ塾が終了、田中秀征が塾長を退く
8月 1日 学生部、全国キャラバンに出発(〜30日)
2日 長野県八千穂村で夏期合宿を開催(〜3日)
6日 ホームページで個人寄付の受付開始
21日 財政と金融の分離についての政調会長談話を発表
29日 医療制度抜本改革の最終報告まとまる
9月 1日 連絡員制度をスタート
3日 行革会議、中間報告を公表
5日 武村正義が雑誌で、日中米安保を提唱
11日 第2次橋本改造内閣発足
16日 佐藤孝行総務庁長官の更迭を要求
26日 温室効果ガス削減目標を提案
29日 さきがけ塾、田中前塾長慰労会開催
30日 キャンパス遊説スタート
10月 4日 第2次「緑のPKO」実施(〜10日)
6日 政府の温室効果ガス削減案に対して、批判の見解を発表
13日 郵政事業民営化に関して、慎重な議論を求める方針を固める
14日 郵政事業民営化の結論先送りの見解、財政と金融の完全分離を提案
17日 支部訪問スタート
21日 家賃控除制度の創設などを含めた当面の景気対策をまとめる。水野誠一
が、ウルグアイ・ラウンド対策費の補正予算計上に反対する方針を表明
22日 さきがけ・民主の幹部が会談、復縁の道を探る
29日 さきがけ倶楽部会員募集開始
30日 結党4周年記念パーティーを開催。井出正一が参院選比例区に出馬を表
明
11月 5日 比例区当選者は離党の際に辞職しなければならないとする法改正を提案
15日 武村正義が、郵政事業民営化の道を将来に残すべきとの考えを表明
19日 大蔵省の財政・金融部門の完全分離を求める方針を堅持することを確認
28日 全国組織委員会開催。学生部、全国キャラバン冊子完成。大蔵省の財政
・金融分離問題で、施行期日を2001年までとする方針を確認。公的資金
投入を前提にした、金融システム安定化緊急対策案をまとめる
12月 3日 行革会議最終報告
11日 地価税凍結などを盛り込んだ税制改正案を自民・社民両党に示す
12日 第4期さきがけ塾が開講、錦織淳氏が新塾長に就任
18日 橋本首相が発表した二兆円の特別減税実施の方針を了承
2.解説
(1)新党結成までの経緯
さきがけ結成メンバーの自民党離党の動きは、日本新党の細川護煕を交えながら進んだ。日本新党は92年7月の参院選で4議席を獲得するに留まり、細川は政界再編の必要性を実感し、同郷の園田博之の勧めで8月、田中秀征と雑誌で対談する。1)意気投合した2人に、知事時代に細川と面識のある武村正義を加えた3人が9月に会談し、自民党を離党し行動を共にすることを確認、同志を募り始めた。当時武村は、政治家とカネに関する問題をきっかけに発足した勉強会「ユートピア政治研究会」2)を率いており、そのメンバーにも声がかけられた。こうして実際に離党予備軍として集まったメンバーは、武村、田中、園田に加えて、井出正一、佐藤謙一郎、渡海紀三郎、鳩山由紀夫、三原朝彦の計8人となった。
その後、極秘で活動を続けることは難しいと判断した彼らは10月、行政改革をテーマにした超党派の勉強会「制度改革研究会」3)を発足させた。武村が座長、田中が事務局長を務め、運営委員となった細川が学者や評論家、経済界、労働界からメンバーを集めたのだが、社民連の菅直人など自民党離党とは直接関係ないメンバーも多く参加している点は興味深い。結果的にはこれがさきがけ結成に向けた動きの隠れみのとなるのだが、現在ほど離党が容易でない政治状況にあって彼らの動きが離党準備としては表沙汰にならなかったのは、単なる政治グループではなく、純粋な勉強会としての活動が認められていたからであろう。こうして着々と準備が進められていたのだが、メンバーは離党の時期を93年秋、しかも宮沢内閣が堅調なうちにと考えていたようだ。ところが政治改革の失敗から政局が緊迫し宮沢内閣総辞職との見通しが出る中で、岩谷毅、簗瀬進を新たに加えた10名が離党を最終的に決断、宮沢内閣不信任案が可決された6月18日に自民党を離党した。3日後の21日、田中が執筆を担当した結成宣言、政治理念、政策の基本姿勢を発表して「新党さきがけ」を結成した。
(2)細川内閣の成立
7月18日投開票の衆院選を前にして、社会・新生・公明・民社・社民連の5党は選挙後に連立政権を目指すことに合意。これにより同じく選挙後に統一会派結成を合意していたさきがけ・日本新党は自民・非自民に続く第3勢力となり、キャスティングボートを担うことになる。細川護煕を含め、さきがけのメンバーのほとんどは野党志向が強かったと言われているが、結局、自民党の過半数割れ、新党の躍進という選挙結果を受けて対応を迫られることになった。そこでさきがけ・日本新党は23日、田中の提案で逆に両勢力に「政治改革政権」を提唱。両勢力が受け入れを表明したが、自民の対応は不十分と判断、全面的に受け入れた非自民勢力と連立政権を組むことになった。
8月9日発足した細川内閣ではさきがけから武村官房長官のほか、鳩山官房副長官、田中首相特別補佐が官邸入りし、加えて統一会派「さきがけ・日本新党」では園田が代表幹事、井出が政策幹事に就き、国会でも総理会派ということで各議員が要職に就いた。その結果、選挙後に持ち越されていた基本政策や党組織の本格的な整備は遅れ、党基盤が脆弱なまま内外の諸問題に対応することになる。
(3)細川内閣の崩壊
当初はさきがけと日本新党の二人三脚で運営されてきた細川内閣も、小沢一郎、市川雄一を中心とする新生・公明ブロックに、細川首相が軸足を次第に移し始めたことでバランスが変化した。具体的には94年度予算の越年編成をめぐる対立や政治改革法案成立後の求心力低下、国民福祉税構想、武村官房長官更迭を目的とした内閣改造問題などを経て、94年4月日本新党との合併構想の撤回、統一会派解消に至る。武村自身も、「12月26日の細川・小沢・市川会談以降、急に細川さんの態度がよそよそしくなった。」と述べている。4)こうした動きに反発した日本新党の親さきがけ派の議員は後に日本新党を離党し、統一会派「さきがけ・青雲」などを経てさきがけに合流することになる。
4月8日に細川首相が辞意を表明し、連立与党は次期政権に関する協議に入った。この中でさきがけは「新政権づくりに臨む基本姿勢」を発表し、新生・公明ブロックの政治手法に危機感を強める社会・民社両党と連携する構えを見せた。だが、党内に「連立維持派」と「離脱派」を抱える両党は、党の分裂回避を優先させて連立政権に残留することになり、さきがけだけが閣外協力に転じた。この結果羽田孜が内閣総理大臣に指名されるのだが、その後の統一会派「改新」騒動をめぐって社会党が政権を離脱、以後さきがけとの連携を深めることになる。
(4)村山内閣
羽田内閣総辞職を受けてさきがけは、新政権樹立に向けて「共存への貢献と行政改革」と題する声明を発表し、民権政治の実現、行政改革の推進、安保理常任理事国入り問題などに対する見解を示した。同じく独自の政権構想を発表していた社会党は、連立復帰を求めるグループと自民党との連携を模索するグループに分かれていた。そこでさきがけは早々と「村山首班」構想を社会党に提示し、両党は基本政策に関して合意に達した。その後社会党は、連立与党および自民党との両にらみで協議を進めたが、さきがけと新生・公明ブロックとの対立は解消できなかった。結局社さ両党の合意に自民党が無条件で同意する形で「自社さ連立」政権が決まる。首班には、自民党を離党した海部俊樹との対決を制した村山富市社会党委員長が選ばれ、さきがけからは武村蔵相、井出厚相、園田官房副長官が入閣した。また錦織淳が首相補佐に就いた。
村山内閣は、武村、村山、河野洋平の3党首をシンボルとするハト派政権を目指した。その中でさきがけは、55年体制の下でイデオロギー対立を続けてきた自民・社会両党の接着剤役を果たそうとした。自衛隊合憲や日米安保維持といった基本政策の転換を社会党に迫るとともに、逆に自民党単独政権ではなし得なかった水俣病問題や被爆者援護法、従軍慰安婦問題の解決などを実現した。しかし、特殊法人の改革問題で自民党と激しく対立し、北海道や三重県の知事選への対応を巡って社会党の反発を呼ぶなど、自社両党の板挟みの中で苦しい政権運営が続いた。しかも特殊法人問題での大蔵省との協力姿勢や、二信組救済問題での渋々の処理策追認は、党代表でもある武村蔵相への配慮と改革志向とのジレンマをさらけ出すことになった。
95年7月の参院選では3議席を獲得したものの、目標には及ばなかった。そこでさきがけは第2次村山内閣成立に際して、連立継続の前提として4項目の緊急課題(総理官邸機能の強化、審議会の公開、土地バンクの創設、国連改革検討機関の設置)を提唱するとともに、さきがけ枠の経企庁長官に民間人を推薦するなど、存在感をアピールしようとした。またフランスの核実験に対しては、「環境重視」「非軍事的国際貢献」という党理念を体現すべく、タヒチでの抗議行動に参加した。宇佐美登、田中甲がフランス海軍に拿捕されるという事件が起きたが、おおむね世間の評価は高かった。
(5)新党問題
参院選の結果に危機感を覚えたのか、選挙後から更なる新党結成に向けた動きが頻繁に見られるようになる。選挙結果の責任を取って辞意を表明した武村代表は、党内の慰留を受け入れて辞意を撤回すると社会党との連携に意欲を示すようになった。村山首相とは阿吽の呼吸で「社さ新党」に向けた発言を繰り返し、政策協議、選挙協力、新党構想など様々な計画が浮上しては消えていった。この背景には、党内の保守系議員の中に社会党に対するアレルギーがあったことと、労組主体の党運営を恐れた若手議員の賛同が得られなかったことが考えられる。結局この武村・村山主導による「社さ新党」構想は、田中秀征を中心として10月に設置された基本戦略委員会の抵抗に遭って頓挫し、自民党議員や学者・文化人も参加する勉強会の設置で決着した。(96年1月発足のフォーラム「日本の進路」)
またこうした問題とは別に東京では、菅直人が中心になってリベラル勢力の結集を目指す動きが見られた。
(6)第1次橋本内閣
96年1月村山首相の突然の辞意表明を受けて与党3党は、政策協議を開き新3党合意をまとめた。そこでは最重点課題として、大蔵省による金融行政の大幅な改革、農協系金融機関を含めた農林関係組織の改革、薬害エイズの真相究明と薬事行政の改革、という3点が掲げられたが、これらはいずれもさきがけが強く主張して盛り込まれたものだった。この合意を受けて自社さ3党は、橋本龍太郎を首班候補に擁立、さきがけからは田中秀経企庁長官と菅厚相が入閣した。同時に武村が羽田内閣時以来1年半ぶりに党務に復帰し、更なる政界再編に向けて再び動きを強めていくことになる。
このように政局の節目ではさきがけも、連立合意や声明を通じて独自の政策をアピールする機会を持ったが、日常的な課題、特に自社両党が対立する課題ではどうしてもその仲介役を務めることが多く、小所帯ということもあり連立与党の中で次第に存在感が薄れていった。にもかかわらず政権や国会内で担う仕事は多く、党基盤の整備は常に遅れがちだった。2月にピークを迎えた薬害エイズ問題では菅厚相が注目を浴び、個人的な人気は高まったものの、党勢の拡大にはつながらなかった。
(7)党分裂
橋本内閣の発足に伴って党務に復帰した武村代表は、あくまで社民党との合併による新党結成を模索したが、園田博之を始めとした党内の反発を受けて断念した。そんな中、鳩山代表幹事と新進党の船田元による新党構想が表面化し、以後新党を模索する動きは鳩山を中心に進むことになる。鳩山は友愛精神を基軸にしたリベラル新党の結成を目指し、新進党に所属する弟邦夫とともに自民党や新進党も視野に入れた、既成の枠組みにとらわれない政界再編の道を模索した。特殊法人改革、住専処理などを通じてイメージを低下させていた武村代表に対する不満や、小選挙区制の選挙に対する不安を抱える党内の若手議員、特に前回の総選挙で新党ブームに乗って当選した1年生議員は、こうした鳩山の動きに対して期待を寄せていった。しかしながら、ただでさえ存在感を喪失しつつある小政党にとって内部の路線対立ばかりが報じられるのは致命的であり、党勢はますます衰え、それに伴って選挙への不安が高まるといった具合に悪循環に陥りだした。
武村と鳩山由紀夫の路線対立は、さきがけの発展的解消、新党結成という方針で一旦は収束するかに見えた。しかし、さきがけ主導の新党に危機感を抱く弟邦夫の意向もあって兄由紀夫が態度を硬化、個人単位での結集と武村・村山両氏の不参加を主張し始める。事態収拾のため96年8月に行われた武村・鳩山会談も不調に終わり、鳩山とその同調者が離党する結果となる。武村は責任を取って代表を辞任し後任には、菅直人が代表就任要請を固辞したために井出正一が選ばれ、菅と田中秀征を副代表、園田を代表幹事とする新体制が発足した。以前からさきがけのメンバー全員が新党に移行することを望んでいた菅副代表が、鳩山新党との仲介役として登場するが、幹部を中心にさきがけ残留の声が高まり、結局菅は多くの若手議員とともにさきがけを離れて鳩山とともに民主党を結成する。
(8)党再生への道
96年10月の総選挙でさきがけは、武村・園田の2議席を獲得するに留まり、惨敗した。代表を務める井出や経企庁長官だった田中などが落選し、衆参合わせても5人という小政党に転落した。この結果、堂本暁子が議員団座長に就任するなど党組織は大きく変化し、第2次橋本内閣に対しても社民党とともに閣外協力に転ずることになる。この時政権離脱をしなかったのは、参院社民党勢力を政権に残留させるためにも自民党がさきがけを必要としたという外部要因と、たとえ小政党となろうとも与党に留まることで少しでも政権に対する影響力を維持したいという内部要因があったと思われる。しかし自民党中心の連立政権の中で党の存在感は以前に増して薄くなっているのが現状である。
そんな中、党再生に向けた新たな基盤作りも始まっている。結党時からさきがけと関わってきた元職員などが地方選で当選したり、党機関紙を草の根で配布する連絡員制度をスタートさせるなど、種をまくような活動を始めている。また学生に対して、生の政治の現場を勉強するための機会を提供するといった活動も行っている。94年6月にさきがけの理念を広く伝えるために始められた「さきがけ塾」も、塾長を田中秀征から錦織淳に交代して97年12月から、第4期の講義に突入している。しかしこれらの動きは、結局中央政界の行方に大きく左右されるものであり、どれだけ成果が上がるかは不透明な状況である。
注
1)『週刊東洋経済』92年9月12日号
2)1988年9月2日発足。発足時のメンバーは、武村正義、杉浦正健、渡海紀三朗(以上安倍派)、三原朝彦、鳩山由紀夫(以上竹下派)、鈴木恒夫、小川元、金子一義(以上宮沢派)、石破茂(中曽根派)、井出正一(河本派)の各代議士。(括弧内は当時の所属派閥)
3)正式には2月から月1回程度開催する勉強会として発足。発足時のメンバーのうち、国会議員は以下の通り。武村正義、田中秀征、鈴木恒夫、園田博之、井出正一、渡海紀三朗、三原朝彦、鳩山由紀夫、佐藤謙一郎、簗瀬進(以上自民党)、早川勝、池田元久、仙谷由人、渋谷修(以上社会党)、広中和歌子(公明党)、柳田稔(民社党)、江田五月、菅直人(以上社民連)、細川護煕(日本新党)
4)98年1月14日、ゲストとして当ゼミに参加
参考文献・資料
石川真澄「戦後政治史」岩波新書367,岩波書店,1995年
田中秀征「さきがけと政権交代」,東洋経済新報社,1994年
田原総一朗「頭のない鯨」,朝日新聞社,1997年
「朝日キーワード別冊 政治」,朝日新聞社,1997年
党機関紙「FORERUN」「党報さきがけ」「通信さきがけ」
朝日新聞縮刷版
http://politics.j.u-tokyo.ac.jp/lab/edu/seminar/study/1st-semi/jokyo/sakigake.htm
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