★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK19 > 746.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 太田龍氏と木村愛二氏は、私の年代からは先輩と呼ぶべき方々で同列に並べていただいて恐縮いたしますが…。 投稿者 新世紀人 日時 2006 年 2 月 17 日 12:47:43)
それはそうでしょう(笑)。
新世紀人さんが、まさか、あの木村愛二さんと同年代とは、私は微塵たりとも思いませんでしたよ(笑)。だから、救国の草莽の志士さんの文章を読んで、「それはないでしょう!」と一人で内心叫びましたよ! あれは悪い冗談です!
救国の草莽の志士さんこそ、木村さんと同年代ではないのですか?(笑)。
しかし、愛子が外国人と結婚!? いいじゃあ、ないですか。犬でも純潔より、雑種の方が強いと言いますし(笑)、一つの文化より、二つの文化を持っているほうが、視野も広くなるし、両方の文化の長所・短所が、よく見えて、人間的にも大きくなるものです。
例えば東京の「アメリカン・スクール・イン・ジャパン」に行って見れば分かりますが、あそこの学生達は一般的に、日本だけしか知らない、またはアメリカだけしか知らない学生達と違い、視野が広く、ものの見方が多角的だし、意識が多重構造になっている学生達が多いです(勿論、例外もありますが)。
中には広く世界各地の学校を転々としている学生もいて、単なるバイリンガル、バイカルチャルだけではない、本当に広い視野を持っています。
ですからあそこで学んで、その後、アメリカの学校に行ったら、アメリカ人の視野の狭さ、エスノセントリズム(自民族中心主義)が本当にはっきりと見えるものです。あそこの出身者で「反体制的な運動」に関わっている者たちも多いです。
そこで問題になるのが「アイデンティティ」の問題ですが、これも問題はないです。なぜなら外側から見たほうが母国文化はよりはっきりと見えるものだからです。
だから、例えばアメリカに住んでいる日本人や日系人のほうが、日本に住んでいる日本人より、多分、より強い日本人としてのアイデンティティーを持っている人が多いと思います。または、それでなくても、二つの文化の狭間で生きると、必ず誰にも「アイデンティティー・クライシス」の時がやってきますから、その時に単一文化だけで育った人以上に、「自分とは何者?」と悩み、その後、「どちらの国にも属す必要はない。自分は自分」と思うようになります。
かといって二つの国を、常に複眼的に眺めることはやめません。なぜならそうすることは、習性になっているからです。
皇室があるから日本人としてのアイデンティティーを持ちえるなんて事はないです。なくても持てるのです。あんな特定の人間だけが特権階級として君臨する制度など、ないほうがいいと私は思います。あれがなくなっても、ユダヤ、アングロサクソンによって、今以上、”露骨”に奴隷化が進むということはないのではないでしょうか。
それより21世紀に生きる愛子が、人間として成長するにはどうしたらいいかを考えてあげた方がいいのではないですか。それが「利他愛」の実践というものだと思います(笑)。
▲このページのTOPへ HOME > 政治・選挙・NHK19掲示板