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(回答先: 幕末の志士大集合 フルベッキ写真の謎(Tokyo)ー偽装?明治天皇の若き姿が映った写真の真偽 投稿者 ああ、やっぱり 日時 2006 年 2 月 06 日 01:17:40)
フルベッキ写真の真贋については、最近、畑違いの慶応大学の理工系の専門家ではないが、橋信一助教授が、この問題に興味を持たれて歴史にも関心があるのか熱心に研究され、わざわざこの問題では高名なのか知らないが、小生に会いに来られた。同氏は、この写真の持つ歴史も背景もご存知ではなく、ただ明治2年の英語塾致遠館での塾生達との送別会だなどという俗説を信じておられた。その氏の研究の概略は、以下のサイトに詳細が公開されているので参照されたい。
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/
この問題には造詣が深くて、自らもこの原画に近い写真を日本橋の骨董屋で手に入れて以来、研究を続けて来た小生の判断を、以下に示そう。この写真を明治2年頃の、東京へ明治新政府の顧問として旅立つ直前の塾生達との記念写真だなどと主張したい連中は、この当時は、長州の第二奇兵隊こと力士隊に所属していて、伊藤博文隊長の部下として丁髷を結い、刀をさしていた大室寅之祐少年がフルベッキの斜め前に座しており、後に暗殺された睦仁天皇(親王)(当時は祐之宮)を暗殺して鳥羽伏見の戦いでの官軍が勝利した後に、堂々と京都御所に乗り込み、睦仁天皇にに摩り替わって後に明治天皇と名乗った長州力士隊隊士「大室寅之祐」が写っていては都合が悪いので、「奇兵隊天皇=明治天皇」の証拠写真を否定・抹殺しなければならないのである。その代表格が、孝明天皇・睦仁天皇の両天皇の暗殺の実行者の下手人の伊藤博文であったのは明らかでありましょう。この事実を覆い隠して、「明治ー大正−昭和ー平成」という四代の「大室王朝」を守護しようとする人々が、これに続く「フルベッキ写真の真実」を否定しようとする。この写真が撮影された時期、すなわち、「奇兵隊天皇=明治天皇」の「力士隊伊藤博文隊長の部下」として「丁髷を結い、刀をさしていた大室寅之祐少年」が、この写真に写っていたということになると、江戸遷都後で明治天皇は既に江戸城内に「明治天皇」として鎮座していなくてはならないのだから、大変に困ることになろう。だから、この写真に写っていた幕末の志士達は、単なる佐賀藩の英語塾生だとして、有耶無耶にしなかればならない両天皇暗殺と明治天皇を摩り替えた「明治政府の立場」=「伊藤博文の立場」があるのである。
この写真がもっと以前の慶応元年2月〜3月に撮影されたという根拠は、以下の諸点である。
@ この写真の侍は、皆、丁髷と刀で幕末の武士の姿であり、明治維新後で廃刀令の発布 近い明治2年末の写真である訳はない。
A フルベッキの長男ウィリアム少年が写っているが、年恰好から4−5歳の幼稚園児の 風体であって、1859年生まれのウィリアムが明治2年末では9歳ー10歳というこ とになり、西洋人の子供の9−10歳といえば身長は160cmぐらいで、栄養の悪 い日本の幕末の侍に近い上背があってもいいはずで、おかしい。
B この後に、ロンドンに留学した薩摩藩の藩士(森有礼ら数名が最後列の右側付近)達 も数名写っており、明治2年後半だとすると、この写真に写っている筈はない。
C 伊藤博文、桂小五郎、坂本龍馬らの顔も、まだ大変に若くて、明治2年後半だとする と、この写真の顔は若すぎる。第一、明治2年後半だとすると、坂本龍馬は1867年 11月には暗殺されていたのだから、この写真に写っている筈はない。
D 上野彦馬の写真館の構造やその内装を根拠にあげる人がいるが、その当時のことは
文献による資料だけでは、根拠にはならない。
等、いろいろと指摘出来る。
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