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(回答先: 民主党が「謝罪表明のみ」という甘すぎるごまかし的決着を計るなら、百害あって一利なしである。(森田実政治日誌) 投稿者 gataro 日時 2006 年 2 月 27 日 19:19:37)
どうでも良いが、このように他人に厳しいだけの意見が今の日本を悪くした元凶ではないだろうか?
人間はミスを犯す動物なのである。問題は「ミスを認め反省し、修正ができるか否か」であり、「ミスを犯したら一発排除」とか「ミス(弱点)をここぞとばかり責め立てる」という風潮こそ、現在の日本の一番の問題点だろう。
前にも書いたが「アメリカでは一度の破産はやり直せる。日本では人生は終わりである」同じ合理主義追求の資本主義社会でも「この一点だけで大きく違う」のである「日本では、職業の選択を間違えた時点で、人生は終わり」と言えるだろう。アメリカ追従といわれる日本だが、資本階級者に都合の良い部分のみの追求なのである。
それは、企業と個人の契約関係がドライなアメリカに対し「日本では企業への忠誠心」が重要視される為である。で、「企業への忠誠心」は日本型のままで、「企業が労働者を切る時はアメリカ型を採用」するという事である。
アメリカでは訴訟社会になっている。個人の権利が尊重される事に歯止めが掛からなくなっていると言う部分もあるだろう。
だから、日本人も政府や企業などの支配者階級に対しては「もっと怒るべき」だろうと思う。しかし、現実には「弱みを見せた者」をよってたかって袋叩きにして、日頃の鬱憤を晴らす。と言う部分の方が目に付く。
他人に厳しい者は「自分はミスなど犯さない」とでも考えているのだろうか?
ここで、民主党を虐めて「どんな良い事があるのだろうか?」
分裂すれば弱体化するだろう。今の選挙制度では「反自民の力を結集していなかければ、自公が勝つのである」
弱い者、ミスを犯した者、自公の敷いたレールから落ち零れた者が集まり、協力し合わなければ「今の社会は変わらない」のだろうと思う。
このように、他人に厳しいだけの意見こそが、今の自公支配を打ち破るという意味においては「百害あって一利もない」のだろうと思う。
自公が目指しているのは「強者による強者のための格差社会」である。
対抗勢力は「弱者と共に共生できる。他人に優しい社会」に結集すべきである。
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