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(回答先: 日本共産党の時代錯誤 【公明新聞:2006年1月23日付】 投稿者 hou 日時 2006 年 1 月 23 日 22:00:15)
Re: 公明党は中道政党では無かったのか。
公明党は「中道政党」と言われているはずだがそうではないのか。
投稿された「公明新聞」より抜粋して考えてみる。
> 「新しい綱領確定後の実践を踏まえた初の大会」(志位和夫委員長)と喧伝されたにもかかわらず、共産党大会に対する国民の関心は低かった。
●それはそうだろうと思う。投票率も低くなっている今日、自民党大会だろうと共産党大会だろうと関心を持つ人は少ないのではないか。国民の全体に見られるのは政治への無関心だ。
> 大会で採択された5章16節からなる決議は、「政党としての大道を歩む日本共産党の姿」をひたすら自画自賛している。だが、同党が直面している事態は深刻だ。党勢凋落に歯止めがかからず、展望が全く見えないというのが偽らざる現状ではないか。国民やマスコミが、影響力・存在感が著しく乏しくなった共産党に関心を示そうとしないのもうなずける。
●自党に関する事項を決めたことに関してそんなに自賛するのが問題なのだろうか。とまあ、ツッコミはこれぐらいにして国民が関心を持たないに関しては先に書いたとおりである。マスコミ→もはや体制寄りの論調となったメディアに共産党のことなど取り上げもしない。一方で民主党や社民党などの一部面白そうな議員を興味本位に報道している。ひどい場合、社民党を取り上げて共産党を報じない例だってある。これは共産党に入れた有権者に失礼ではないか。もちろん社民党も一定の議席を持っているが数の上では共産党が多い。社民党を取り上げるのなら共産党についても取り上げるべきだ。
> 共産党は、2000年11月に党規約を改定、「前衛党」「社会主義革命」などの革命用語を削除した。04年1月の第23回党大会では43年ぶりに党綱領を全面改定、象徴天皇制や自衛隊を“当面”容認する姿勢を打ち出し、革命政党であることを国民の目から必死に隠そうとしてきた。
●革命政党であることのどこがいけないのか。そもそも旧来の支配体制を打倒し、本当に人々が幸福になる生活を送ることを目的とする「革命政党」に対してさも悪い存在のように書いているが、この記事を書いた人はそういった「旧来の支配体制」の回し者なのか。
> しかし、マスコミ各紙も厳しく指摘しているように、不破路線とは、マルクス・レーニン主義の革命路線も独善体質も変えず、顔つきだけソフトを装い国民の目を欺く“厚化粧路線”以外の何ものでもなかった。
●マルクス・レーニン主義(日本共産党では「科学的社会主義」と言っている)についてマスコミがさもおどろおどろしく書いているのは、先ほどの通りマスコミ全体に漂う体制への翼賛体質があろう。もちろんソ連や東欧の社会主義についての問題点は無視することが出来ない。それは社会主義者ならば研究しなければならないし、今後どう社会主義が発展するかを考察する上でも批判的検討が必要なはずだ。だが、現在のマスコミの報道する社会主義とはそれ自体が害悪の産物であり、ソ連崩壊後において「もう終わったものなんだ」ということをひたすら「宣伝」しているのである。
>穏やかな表現に変わったが、自由主義・資本主義体制の転覆を狙う革命政党の本質は何一つ変わっていないというのが新綱領の中身だ。
●公明党も最近のライブドアの騒動を見れば分かるだろう。「自由主義・資本主義体制の転覆を狙う革命政党の本質」とここまで言い切っている以上、今後において「ホリエモンがいっぱい」の世界を作りたいのだろうか。私はごめんである。
> 不破退任を受け、志位―市田新体制が動き出した。「新体制でも、不破氏が主導した『現実・柔軟路線』を堅持するのは確実」(17日付『読売』)と見られているが、今なお社会主義・共産主義にしがみつく日本共産党の姿勢は、時代錯誤も甚だしい。同党の奉ずるマルクス・レーニン主義そのものが既に破産・破たんし、過去の遺物と化していることは、世界の常識だ。
●果たしてそうだろうか。南米における左翼の台頭は一体何を物語っているのだろうか。それも一国だけではなく一過性のものでもなくここ近年の間に大きな流れとして出てきている。
> 大会決議が「本格的前進に転じる選挙」と位置付けた来るべき2007年参院選の結果しだいでは、国民・有権者が共産党を完全に見放す“日本共産党終焉”の日が現実味を帯びてくるかもしれない。もう後がない共産党にとって今回の大会は、党名の問題も含め、時代の流れ、国民の意識から大ズレにズレている路線、体質を徹底的に反省・洗い直し、「普通の政党」に脱皮していくための“ラスト・チャンス”だったのではないか。
●公明党にとって残念かもしれないが“日本共産党終焉”の日はありえない。何故なら同党の組織性である。支部が各地に存在し、日々機関紙拡大、宣伝につとめている。そして何よりも重要なのが「カネ」の流れである。政党助成金を受け取らず、自分達のカネ(個人の寄付と機関紙の売り上げ)でまかなっている。それは本当に大変なものだろう。しかしこれによって少々のことがあってもびくともしない。例えば民主党は昨年の総選挙で議席が減り、政党助成金が少なくなり財政を圧迫させている。見かけは大きく見える政党がである。昨年の議席で共産党は議席を維持したが多分このあたりが昨年9月11日での同党の組織力なのだろう。したがってこれ以上は減少しないはずだ。むしろ最近、「社共共闘」の動きも見られるので九条を守る護憲派の統一的動きがなされれば同党が盛り返せる可能性は十分残されている。
●しかし“日本共産党終焉”の日の意味が選挙の議席という意味で言えば相当危ない状況かもしれない。比例区を撤廃すれば同党の国会での議席は実質絶たれる事になるからだ。小選挙区では一議席も獲得したことがない共産党にとってそれは国政活動における「死」を意味する。
●『「普通の政党」に脱皮』とあるが、よく軍隊を持った「普通の国」になれと主張している意見があるが、これと同じような気がするのだが気のせいだろうか。
全体としてこの記事は何が何でも共産党あるいは共産主義というものを批判したいようである。しかし「同党の奉ずるマルクス・レーニン主義そのものが既に破産・破たんし、過去の遺物と化していることは、世界の常識だ。」とあるが、では公明党は中国共産党に対してはどのような態度をとっているのだろうか。それについて私は知る由もないが、少なくとも「共産党」という名で中国を支配している政権に対し、この記事どおりの主張ならばどんどん批判していかなければならなくなるだろう。「過去の遺物」と主張しているが中国の目まぐるしい発展についてもどのように論じるつもりなのだろうか。
「同党の奉ずるマルクス・レーニン主義そのものが既に破産・破たんし、過去の遺物と化していることは、世界の常識だ。」と言うのは止めといた方が良い。
中国共産党の存在、そして南米諸国の左翼台頭があることを見て、少なくとも「世界の常識」と表現するのは控えた方が良いだろう。
この記事を見て思うのが公明党として「反共政党」なのかあるいは単なる「共産嫌いな政党」なのか判断しかねる。どちらも同じような気がするが公明党の理念、思想としてもともと共産党や共産主義に対する拒否反応を持ち合わせているのかどうか、あるいは理念とか公式にあるものではなしに活動する上で共産党が障害であったから「批判」しているのかどうか。この辺りを研究すれば何か公明党という政党の考え方が浮かびあがってくるのかもしれない。
この記事を見れば公明党は政治的思想や理念でいえば「中道政党」では無いというのが分かるだろう。中道右派、右派、保守政党といったところか。「中道」というと何か中立的な感じで良さそうに思える。しかし実のところは体制(自民党)に組み込まれてしまっているのではと思うのである。
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