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ホント、公明と共産て犬猿の仲ですね。
http://www.komei.or.jp/news/daily/2006/0123_08.html
破産・破たんし、過去の遺物と化したマルクス・レーニン主義にしがみつく
革命を隠し上っ面だけソフト装う
国民欺く不破路線が党勢凋落の因
「歴史的な大会」「展望見えた」「政治変える力確信」「大会の感動をすべての党員に」――日本共産党の第24回大会(1月11日〜14日)から1週間余、同党機関紙「しんぶん赤旗」には連日、24回大会を賛美する記事が掲載されている。いつもながら「共産党だけが正しい」の独善体質には失笑を禁じ得ない。
「新しい綱領確定後の実践を踏まえた初の大会」(志位和夫委員長)と喧伝されたにもかかわらず、共産党大会に対する国民の関心は低かった。35年余にわたり君臨してきた不破哲三氏が議長を退任したことから、マスコミ各紙もそれなりの報道はした。だが、所詮は「党の支柱が表舞台から去っていっただけ」(16日付『毎日』社説)にすぎず、裏返して言えば、不破退任以外に報道すべきものがない党大会だったとも言える。
大会で採択された5章16節からなる決議は、「政党としての大道を歩む日本共産党の姿」をひたすら自画自賛している。だが、同党が直面している事態は深刻だ。党勢凋落に歯止めがかからず、展望が全く見えないというのが偽らざる現状ではないか。国民やマスコミが、影響力・存在感が著しく乏しくなった共産党に関心を示そうとしないのもうなずける。
しかし、共産党への関心が低い原因は、同党が衆参ともに9議席の“ひとけた政党”に転落したという議席数だけにあるのではない。じり貧の党勢に加え、不破氏が主導してきた「現実・柔軟路線」「ソフト路線」に、国民の多くが強い疑念や不信感と、しらけを感じているからにほかならない。
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共産党は、2000年11月に党規約を改定、「前衛党」「社会主義革命」などの革命用語を削除した。04年1月の第23回党大会では43年ぶりに党綱領を全面改定、象徴天皇制や自衛隊を“当面”容認する姿勢を打ち出し、革命政党であることを国民の目から必死に隠そうとしてきた。
第23回大会で採択された新綱領は、不破氏が進めてきた「現実・柔軟路線」「ソフト路線」の集大成とされる。不破綱領と呼ぶ人もいる。それまでの綱領は、1961年の第8回党大会で宮本顕治氏(当時は書記長)の主導のもとに採択された「アメリカ帝国主義」と「日本独占資本」を「二つの敵」と位置づける階級政党ならではの綱領で、61年綱領、宮本綱領などと呼ばれた。
しかし、マスコミ各紙も厳しく指摘しているように、不破路線とは、マルクス・レーニン主義の革命路線も独善体質も変えず、顔つきだけソフトを装い国民の目を欺く“厚化粧路線”以外の何ものでもなかった。穏やかな表現に変わったが、自由主義・資本主義体制の転覆を狙う革命政党の本質は何一つ変わっていないというのが新綱領の中身だ。
「社会主義のイデオロギーは堅持し、その枠内で共産党を近代化する――。不破氏がめざしたものをひとことで総括すれば、そんな試みの積み重ねだった。(略)柔軟路線は多数派を形成しようと打って出たというよりも、荒波をかわして生き残るための防御的なイメージチェンジ」(17日付『朝日』社説)にすぎなかったのである。
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不破退任を受け、志位―市田新体制が動き出した。「新体制でも、不破氏が主導した『現実・柔軟路線』を堅持するのは確実」(17日付『読売』)と見られているが、今なお社会主義・共産主義にしがみつく日本共産党の姿勢は、時代錯誤も甚だしい。同党の奉ずるマルクス・レーニン主義そのものが既に破産・破たんし、過去の遺物と化していることは、世界の常識だ。
その厳然たる事実に目をつむり、上っ面、小手先だけの「ソフト路線」を進めれば進めるほど党勢はじり貧となり、選挙で負け続ける。共産党の党勢凋落の要因は、ほかでもない。革命路線をひた隠し現実・柔軟路線を口にする「まやかし」、白を黒と言い張るウソ・デマ体質、正しいのは共産党だけという独善体質、本音と建前、当面と将来を使い分ける欺瞞性が、有権者から嫌われているのだ。
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大会決議が「本格的前進に転じる選挙」と位置付けた来るべき2007年参院選の結果しだいでは、国民・有権者が共産党を完全に見放す“日本共産党終焉”の日が現実味を帯びてくるかもしれない。もう後がない共産党にとって今回の大会は、党名の問題も含め、時代の流れ、国民の意識から大ズレにズレている路線、体質を徹底的に反省・洗い直し、「普通の政党」に脱皮していくための“ラスト・チャンス”だったのではないか。
かつてのヨーロッパ共産党、なかでも最大勢力を誇ったイタリア共産党は1991年に既に解党し、残存勢力がマ・レ主義と決別して党名を左翼民主党と変えて新出発。その後、96年に中道左派連合「オリーブの木」に参加して政権入りを果たした。しかし、24回大会を見る限り、日本共産党は生き残りへの道を自ら閉ざしてしまったようである。 (K)
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