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(回答先: 特集:戦後60年企画 特撮・アニメ・マンガ・ゲームでたどる“戦争” 上(毎日新聞) 投稿者 熊野孤道 日時 2006 年 1 月 07 日 01:58:20)
毎日新聞からhttp://www.mainichi-msn.co.jp/entertainment/manga/tokusyu/news/20051125org00m200132000c.htmlより引用
特集:戦後60年企画 特撮・アニメ・マンガ・ゲームでたどる“戦争”下
■「フィクション」化する戦争 198年代前半(昭和56年〜63年)
2度の石油危機を乗り切り、豊かさに満ちた安定成長期に入った80年代の日本では、人々の意識は大きく組み替えられていった。身の周りに戦争を思い起こさせるものがほとんどなくなり、学生運動や政治への関心も薄れていった。ただ、いつ米ソの核戦争が世界を終わらせるともしれないという漠然とした「終末観」が漂う中、急速な消費社会が広まっていった。
『ヤマト』のアニメブームを継いで、79年(昭和53年)の放送終了後にブレークした『機動戦士ガンダム』は、そんな80年代的な価値観の到来を告げる象徴の一つと言えた。産業兵器としてのモビルスーツと詳細なSF世界設定に立脚し、戦記もの的な「好戦」性でも実録体験記的な「反戦」でもない、乾いた距離感で戦場での人間ドラマを描いた作品だった。ブームに火を付けたプラモデルのヒットと合わせ、『ガンダム』の「リアル」な手触りは、かつて現実の戦争に登場した軍艦や戦闘機に夢中になった世代の気分を、フィクションの宇宙戦争へと加工・翻訳し、新世代の「戦争観」さえ規定する巨大な共通体験となったのだ。
また、同時期に連載された『気分はもう戦争』では、大国の出来レース的な思惑の中でゲームのように行われた中ソの戦争に、消費社会を楽しむ日本の日常に飽きた人々が、これまた遊び半分に参入する様子が、詳細で皮肉な視線で描かれている。
こうして従来の「総力戦の敗者」から見た戦争観が風化し、相対化されていく中、その最後の結晶として高畑勲監督が世に問うたのが、88年(昭和63年)公開の『火垂るの墓』(野坂昭如原作)だ。空襲で母を失い、野垂れ死んでいくしかない純真な兄妹の悲劇は、スタジオジブリの優れた作画技法にも助けられ、極限までの哀しみの表現に成功する。
だが、現実の戦争体験が遠ざかる中、その輝きすら単なる一作品として消費されて行くのが、この時代でもあった。同時上映された宮崎駿監督の「となりのトトロ」が、キャラクターグッズを中心にかつてない成功をスタジオジブリにもたらしていくのは、まさにその象徴的な出来事と言えるだろう。時代は既に戦争の実体験ではなく、フィクションとしての戦争にしか目を向けようがないところまで来ていたのだ。
■「シミュレーション」される戦争 1980年代後半〜1990年代前半(平成元年〜7年)
昭和天皇の崩御と冷戦の終結。日本の国内外で「戦後」の体制を規定してきた枠組みが相次いで終わりを迎える中で、90年代は到来する。経済はバブルの好況に沸きながら、激変する国際政治に戸惑う日本が、早速試されたのが91年(平成3年)の湾岸戦争だった。もはや戦争は過去の歴史ではない時代が訪れようとしていた。
だが、80年代に「物語」化した戦争は、実際に日本が湾岸戦争に自衛隊を派遣する状況となったにもかかわらず、そのリアリティーを加速的に薄めていく。
メディアを通じて、軍事評論家が連日マニアックな解説を語る風景を、87年(昭和62年)に完結した人気スペースオペラ小説『銀河英雄伝説』を思い起こしながら眺めていた若者たちも、少なくなかったに違いない。全軍を指揮して歴史を動かす司令官を主人公に、政治と密着した戦争を語る、『ガンダム』よりもさらに客観的で冷静な視点は、新たな世界情勢の変化に対応した戦争観を日本人に示すものだった。それは、コンピュータゲームの浸透とともに、『大戦略』シリーズのような戦争シミュレーションゲームが人気を博していくのとも軌を一にしていた。
そして90年代初頭、まさに現実の国際情勢や政治変動を先取りしてシミュレートするかのような『沈黙の艦隊』が、大きな話題となる。天才自衛官が核を搭載した超高性能原子力潜水艦を奪い、「やまと」と名づけて獅子奮迅の戦いで各国の軍隊を破りながら独立国家を宣言。日本と同盟しつつ、どこの国にも属さずに、核抑止力によって世界の平和を目指すという衝撃のストーリーは、国会でも話題になった。
また93年(平成5年)の『劇場版機動警察パトレイバー2』(押井守監督)も、「戦争」にかかわらざるを得なくなる日本の軍と警察、つまり「国家」の思惑を濃厚にシミュレートしたものであった。
ベトナム戦争の反省で生々しい戦場を映し出す映像がメディアから排除され、まるでゲームのような爆撃や砲撃の暗視映像ばかりが報じられた湾岸戦争は、「ニンテンドー・ウォー」とも呼ばれた。そんな居心地の悪さの中、「シミュレーション」こそが、最大限に近づきうる戦争のリアリティであった。
■「失われた10年」と世紀末の悲鳴 1990年代後半(平成7〜12年)
ベルリンの壁がなくなり、米ソの冷戦構造が崩壊し、日本では非自民連立政権が誕生し、55年以来続いた自民党一党支配が終わるという政治的な転換点を迎えても、好調を維持し続けると思われた経済も91年(平成3年)のバブル崩壊以降、予想以上の長期低迷に苦しむことになった。バブル期の楽天的な雰囲気は影を潜め、政治・経済・社会のあらゆる面で先の見えない不安が人々を襲い、「癒し」や「自分探し」といった内向的なテーマが時代の気分になっていく。
そうした時代を象徴するのが、95年(平成7年)のオウム真理教のサリン事件だった。自由と民主主義と豊かさを達成し、繁栄を築いたはずの戦後の日本社会で、生きがいや幸福を見出せなかった「さまよえる個」が、救済を求めて「世界最終戦争」を起こそうとした心象は、80年代以降様々な「終末」を描いてきたマンガやアニメの表現にとっても決して他人事ではなかった。
同年から放送された『新世紀エヴァンゲリオン』のブームは、まさにオウム事件によって見せつけられ時代の病理を結晶化した現象と言える。正体も目的も一切謎に包まれた侵略者に対し、主人公の少年が不気味な巨大人型兵器に乗せられ、無理矢理戦わされる中で、ひたすら内向きに自分自身の存在意義や狭い範囲の人間関係の問題を自問自答していく姿に、多くの人々が魅了させられたのである。
それは、共同体や社会、国家といった「概念」から成り立つ世界に対し、「今ここにいる私」を向き合わせようとする必死の運動だったと言っていい。「私」と「世界」とを直結させ、退屈で生きる意味のつかみにくい日常から解放されたい、という衝動にほかならなかった。
こうした傾向は、平成『ガメラ』3部作における、日本の各都市がリアルに破壊される風景とガメラに共振する超能力少女という表現や、軍によって「最終兵器」に改造されてしまった高校生の少女とクラスメートの少年との、恋と苦悩を描いた『最終兵器彼女』などの作品群にも共通する。
そこで描かれる「戦争」は物語でもシミュレーションでもなく、「自分」と敵対する不条理な力の象徴であり、日常のはかなさや尊さを逆に照らし出すための舞台装置として機能する。本来の戦争の姿からすれば、それはあまりにわい小化された姿と言うしかない。だが、日本の若者が「戦争」を自分のものとして受け止めていくには、もはやそういった方法しかあり得ないという時代が来ていたのだ、というのが実際のところだろう。
■テロ戦争と「当事者」意識の模索 2000年代前半(平成13年〜)
かつて、21世紀という言葉には、「科学の進歩と人類の調和が彩るバラ色の未来」といった期待が織り込まれていた。しかし01年(平成13年)9月11日の米同時多発テロが発生し、世界が抱える根深い不調和を人類すべてに思い知らせる形で、現実の21世紀は幕を開ける。アメリカ中心の世界秩序にゆがみが生じ、アフガニスタンやイラクでの戦争がなしくずし的に進められる中、日本もまた10年前とは違った切迫感でこの世界に向き合わざるをえない時代が訪れている。
00年(平成12年)のシミュレーションゲーム『ガンパレード・マーチ』は、第二次大戦が終わらなかった日本の熊本を舞台に、日常生活と戦争とが関連するシステムによって、自分の日ごろの努力や戦い方が苦楽を友にする戦友たちの生死や生活の利便を左右するという、生々しい体験性を実現し、話題を呼んだ。
02年(平成14年)、「21世紀のファースト・ガンダム」として制作された『機動戦士ガンダムSEED』では、戦争に臨む各陣営の正義や戦闘の意味、平和を望みながらも戦わざるをえない矛盾といった『ガンダム』シリーズ共通のモチーフを、キャラクタードラマの中にメッセージとして盛り込み、若い女性を中心に大ヒットした。
04年(平成16年)の『夕凪の街 桜の国』は、広島に生まれながら、被爆の体験に目ををそむけてきた「普通の戦後生まれ」の著者が、その「目をそむけきた後ろめたさ」そのものをテーマにした過去と現在の物語だ。教訓めいた重苦しさや空気のこわばりを一切感じさせることなく、誰もがそれを自分の身に引き寄せながら自然に感じることができるように冷静で丁寧な筆致で描き上げた傑作として高く評価された。
共通するのは、戦争体験が「歴史」となる中、どういう形で「戦争」を表現すればいいのか、というシンプルで直接的な問い掛けである。あるいは「次の戦争」の足音が聞こえてくるような日本と世界の情勢の中、戦争の「当事者」となる意味を考えるということのかも知れない。
アニメやマンガはその時代の最も先鋭的な大衆文化として、戦後60年を経てきた。そして、「ヤマト」や「ガンダム」がそうであったように、今後も日本人の「戦争」に対する「答え」の一つとして表現されていくことだろう。こういう時代だからこそ、その歩みを見失わないようにしたいものだ。
2005年11月25日
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