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毎日新聞からhttp://www.mainichi-msn.co.jp/entertainment/manga/tokusyu/news/20051118org00m200136000c.htmlより引用
特集:戦後60年企画 特撮・アニメ・マンガ・ゲームでたどる“戦争” 上
60年−−。
アメリカやイギリスなどの連合国と第二次世界大戦を戦った日本が、敗戦を受け入れてから経た年月である。人が生まれ、老い、死んでいくのに十分な時間が既にここには流れている。
これまで「終戦」の月である8月を迎えると、新聞やテレビでは戦争について繰り返し報道してきた。だがそれは、あくまであの戦争の記憶を持つ世代が生きていることを前提に、戦争を知らない世代へとその体験を伝えていくという形式が基本になっている。
しかし、戦後60年という時の流れによって、その形式が崩れ去ろうとしている。そうした時代に、我々はどうやって「戦争」を感じ取ればいいのだろう?
今回、60年を通じて「大衆文化」の一つとして大きく成長し、今や日本を代表する文化として世界から評価されるアニメやマンガを通じて「戦争」を考えてみたい。60年をいくつかの時代に区切り、そこで「戦争」を背景に語られた、あるいはその象徴的役割を担ったマンガやアニメを紹介する。現在でも入手出来る作品も多いので、実際に手に取ってその内容を確かめてみてもらいたい。
また、やがて来る「戦争体験者が一人もいなくなる時代」に向け、メディアを介してしか戦争を知らない世代が、自分たちの言葉と表現で、どのように「戦争」のリアリティーを次世代に語り伝えられるかの模索でもある。
では、日本人の戦争についての感覚が60年の間にどのように変化し、「今」に至るのかを考えながら、各時代の代表的作品を紹介して行くことにしたい。
■焼け跡に芽吹いた理想 敗戦〜1950年代(昭和20〜35年)
1945年(昭和20年)、日本は第二次世界大戦に敗れる。そして、第二次世界大戦とは、軍人か民間人かを問わず、国家を構成するあらゆる人々や産業、文化が動員された史上最大の「総力戦」であった。だからこそ、あらゆる階層の人々が戦争と無関係でいることが出来ず、軍事基地ではない都市に住む庶民の頭上にも容赦のない空襲が浴びせられ、2発もの原爆が落とされるという史上かつてない破壊と殺りくがもたらされたのである。
だが、総力戦を戦った「敵国」であるはずのアメリカの支配は、巨大な矛盾を日本に突き付けることとなった。なぜなら、アメリカが破壊と殺りくの次にもたらしたものは、民主主義と自由だったからである。この引き裂かれた感覚が、戦後日本の政治と文化を濃く色取って行くことになる。
とりわけ、長期にわたる戦時体制下で表現の自由を奪われていたクリエイター志望の当時の青少年にとって、この感覚は強烈なものであったろう。日本のマンガ界を作り上げた最大の功労者である手塚治虫もその一人であった。
サンフランシスコ講和条約が調印された51年(昭和26年)、手塚治虫は『来るべき世界』で米ソを思わせる二大国間の戦争による人類の滅亡と和解を描いた。ここで注目すべきなのは手塚が戦争を「利害の対立する国同士の武力衝突」というよりも「巨大な力(特に科学力)の暴走」という人類普遍の災厄ととらえ、理想主義的な解決を目論んだことである。
また連合軍総司令部(GHQ)の占領統治が終了した54年(昭和29年)には、核実験が生んだ巨大な怪獣に東京大空襲の恐怖を重ね合わせ、反核の理念と科学者の責任を描いた『ゴジラ』(本多猪四郎監督)が上映される。
54年(昭和29年)連載が始まった『鉄人28号』でも、旧日本軍の秘密兵器として生まれながら、善にも悪にも用いられる諸刃の剣として鉄人が設定されている。自分たちが味わった総力戦の災禍を、特定の国でなく肥大化した「科学」から生じる過ちと認識し、正しい理性(民主主義)でそれを乗り越えていこうという当時の日本人作家たちの決意そのものが、始まったばかりの「戦後」における戦争表現だったのだと言えるだろう。
■戦記ブームと高度経済成長の夢 1960年代(昭和36〜45年)
50年(昭和25年)に起こった朝鮮戦争による特需をきっかけとして、日本経済は戦後わずか10年あまりで戦前の水準にまで復興し、世界的にもまれな高度成長期を迎えることになる。戦争の傷跡はまだ至るところに残りながら、平和憲法と日米安保条約によって日本は冷戦世界の火種から遠ざかる中、社会全体が一丸となって発展への夢と自信を取り戻し始めていた。
そんな中で、60年代に入ると、少年誌や貸本の劇画では、第二次世界大戦の軍艦や戦闘機などを詳細に図解した特集や『ゼロ戦レッド』などの戦記ものマンガがブームを起こすことになる。
一連の作品の中で、アニメ化もされ、特に人気が高かったのが、63年(昭和38年)連載開始の『0戦はやと』だ。こうしたブームに対し、軍国主義への逆行という意見も当時の識者から出たが、実際にはそれは早くも「戦争」が風化してきたことを示す兆しだった。あくまでも少年たちは忍者ものやスポーツものの延長、つまり「闘いのフィクション」としてそれらの物語や記述を楽しんだのである。また、64年(昭和39年)の『紫電改のタカ』のように、神風特攻への批判を描いたものもあり、戦記もの作品は学校で教わる教科書の歴史以上に、戦史を知るためのニュートラルな入口にもなっていたと考えるべきだろう。
そして同年の東京オリンピックを経て、66年(昭和41年)から放送された空想特撮シリーズ『ウルトラマン』では、『ゴジラ』で描かれた戦争の象徴としての怪獣は、全く異なる役割を演じる。メタリックな宇宙ヒーローと科学特捜隊が象徴する「科学の力」によって征服されていく「自然」の象徴としての怪獣だ。この時点で既に日本においては過去の「戦争」という災厄は、記憶の中のものとなりつつあったのだ。
反面、東南アジアでは64年(昭和39年)のトンキン湾事件をきっかけに、アメリカがベトナム戦争に本格介入を始めていた。同年には手塚治虫と並ぶ戦後マンガ界の巨人・石ノ森章太郎が「サイボーグ009」の連載を始める。ベトナム戦争では、軍産複合体が市民運動の高まりの中で注目を浴びるが、009たちをサイボーグに改造したのはブラックゴーストと名乗る「死の商人」、つまり軍産複合体であった。このことは第二次世界大戦とは異なる、新しい「戦争」観が紡ぎ出されようとしていたことを示している。
■「反戦」の嵐 1970年代(昭和46〜55年)
沖縄や横須賀から出撃する米軍がベトナムでむごたらしい戦闘を繰り広げ、政治への積極的なかかわりを求めた学生運動が最後の隆盛をみせる中、「戦争」を描くマンガやアニメの表現も読者層の年齢が上がるに連れて深みを増し、戦争の実態を「実録」的に描こうとする作品も目立ってくる。
その筆頭が、水木しげるだろう。戦中、ラバウルに出征した際に爆撃で左腕を失い、九死に一生を得て復員した水木は、実体験に基づく戦争短編を数多く描いてきていたが、その集大成とも言えるのが73年(昭和48年)発表の長編『総員玉砕せよ!』だ。無意味で理不尽な玉砕命令に従わされる兵士たちの生々しい生活と死を、なんら扇情的にも教訓的にもなることなく描いていく。その「無意味」を「無意味」として描く淡々としたタッチは、戦争の不気味なリアルさを強烈な不快感として訴える力があった。
同年の『はだしのゲン』もまた、広島原爆で家族を失った作者によって赤裸々に描かれた、ある種の体験告白記であった。少年マンガ史上でここまで「戦争」の敗者と犠牲者の姿を克明に描き切った作品はなかっただろう。原爆投下後の広島にいた人間たちのショッキングな姿は、この作品に接した子供たちに、強烈な「非日常体験」として記憶されるようになる。
だが、これらの「反戦」を基調とする作品は、基本的には風化する「第二次世界大戦という戦争」の記憶を遺そうとするある種の「あがき」とも言えるものであった。
74年(昭和49年)のアニメ『宇宙戦艦ヤマト』は、その意味で大きなターニングポイントとなった。、先に述べた「破壊と殺りく」と「民主主義と自由」という日本人の「戦争」観の矛盾を最もうまく表現した作品だろう。簡単に言うと『ヤマト』は、ナチスドイツを模したガミラス帝国に日本の象徴であるヤマトが地球を救うため戦争を挑み、勝利する話である。だが、日本とドイツは第二次大戦時に同盟国ではなかったのか。これが「物語」であるにせよ、その抱える意味はとてつもなく大きい。『ヤマト』は戦争が風化して行く中でこそ作られた作品であったし、また次の時代への橋渡しとなる作品ともなった。そして、その矛盾の中にある「美」−−ロマン主義的な主張が、当時の少年少女たちの心をとらえ、今日まで続くアニメブームの先駆けを果たしていくことになるのであった。
2005年11月18日
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