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(回答先: 西日本新聞が間接的なテロ容認記事(ペガサス) 投稿者 片瀬テルミドール夏希 日時 2005 年 12 月 29 日 07:04:27)
http://ch.kitaguni.tv/u/1411/%bb%fe%bb%f6/0000305633.html
はなゆーさんのブログで、「西日本新聞(福岡)が右翼テロに寛容とも受け取れる記事を掲載」というエントリー記事を読みました。
http://ch.kitaguni.tv/u/1023/%bb%fe%bb%f6%a1%f5%bc%d2%b2%f1%cc%e4%c2%ea/0000305593.html
このエントリー記事には、西日本新聞の連載記事と、それを批判するある人のコメントが転載されています。その方は、西日本新聞の記事に対して、抗議を行ったそうです。
そこで、気になって、何度も記事を読み返してみました。
結論から言えば、僕は、この記事は、すぐれた記事だと思います。
おそらく、抗議をされた方と、僕の価値観や主義主張はほとんど変わりません。テロは決して許されるべきではないと僕も考えています。
ところが、僕は、抗議どころかすぐれた記事だと考えたわけです。
そこで、理由を自分なりに考えてみました。
http://www.nishinippon.co.jp/news/2005/sengo60/sengo7/04.html
http://asyura2.com/0601/senkyo18/msg/160.html
記事のご紹介、ありがとうございます。
何度も読み返してみました。
僕は西日本新聞を購読しています。
ご紹介の記事が、テロを容認しているとも読み取れるとは、僕には思えませんでした。かなりすぐれた記事の部類に入ると僕は思います。
現にあったテロ行為に対して、犯罪を犯した側の「論理」を当事者に取材して深く掘り下げて書いているからです。
「加害者が今でも、自己の行為を正当化していることを伝え、真に反省しているわけではないこと」が読み取れる文章になっています。
加害者を断罪する言葉を入れれば記事はわかりやすくなるのでしょう。でも、悲しいことを「悲しい」と表現したり、許されるべきではないことを「許されない」と書くと、記事の格は落ちることが多いと思います。また、読んだときに、読者は記事について考えることもせずに、引いちゃうんです。
怒りをぶつけるような文章は、同じ価値観を持っている人でない限り、読む人が興ざめをしてしまう可能性が大きくなります。
よりたくさんの人に読んでもらい、考えてもらう。そのためには、双方の「論理」を対峙させ、事実をできるだけ多く書いた方がいいと思います。
本島元長崎市長の論理と、加害者の論理をぶつけ合うことを、西日本新聞は試みました。そして、その記事を読んで私たちは何を考えるのか。
僕は、この記事を読んで、客観的な報道とは何か、公正な報道とは何かを考えさせられました。
まず、NHKのニュースは、中立的な報道をしているように見えて、実は、政府に反対する論調はほとんど伝えられていません。論と論のぶつけ合いを番組の中でやっていないのです。
そういう番組を見ていると、あたかも、何事も丸く収まっているかのような感じを受けながら、毎日を暮らすようになっていくと思います。
事実をよけいなコメントをつけずに、次々に紹介していく番組を見続けていると、考えようにも、批判する力もつかないし、どんな意見や立場が対立しているのかがわからなくなってしまうんです。
ところが、世の中には問題はたくさんあることに、他の雑誌などを読むと気づかされます。偏っている報道が悪いかと言えば、そうでもないと思います。
では、上記のリンク先の西日本新聞はどうか。
あまりよけいなコメントを文中には挟んでいません。しかし、加害者と被害者の論理の対立をかなり突っ込んで紹介しているわけです。
これを読んで「テロって、許されるんだなあ」と思う読者は、さほどいないと思います。しかし「テロをする人たちには『それなりの論理』を持っている」と気づくのではないでしょうか。そして「それなりの論理」が間違っていることに、多くの人は気づくでしょう。
でも、テロは現に行われたわけですし、外国でもテロは後をたたないわけです。
そこで、テロをする人たちをどうやったら、減らしていけるかを考えるきっかけともなる記事となっていると思います。
例えば「いじめは絶対に許されない」とか「自殺は絶対に許されない」とか言われたって「いじめをしたっていいじゃないか」とか「自殺をしたっていいじゃないか。自分の命だもの」と思っている人を納得させることはできるでしょうか。
僕は難しいと思います。自分の思っていることや「論理」を聞こうともしないで、ただ「道徳的」に考えて強引に「常識的な価値観」を押しつけたと思ってしまう人が多いと思います。そうなると、もう、聞く耳を持ってくれないかもしれないのです。
「いじめをする側の論理」や「自殺をしようとする側の論理」や「テロをしてもいいという論理」を聞き、相手の論理を知った上で、「それは許されることではないんだよ」と提示することが求められると思います。
では、西日本新聞社の記事に戻りましょう。
この記事では、双方の価値観をぶつけ合っているわけですから、どちらが正しいのか軍配を上げるのは読者に委ねているのです。
双方の発言について同等にとりあげるのは妥当だと思います。
僕は、よく取材して取り上げたなあと評価しています。
この記事を読んで「テロ容認」に考えがシフトする人が、ひょっとすると数パーセントはいるかもしれませんね。
しかし、問題を深く考えた上で、やっぱりテロはダメだと考える人や、テロをなくすためにはどうしたらいいのだろう…と考える人が大多数を占める書き方になっていると思います。
現実には、論と論のぶつかり合いを読むことなく、私たちは、どちらか一方の論の方に誘導されていることが多いのです。
NHKの報道を聞いていると、政権安定装置の役割を果たしているのではないかと思うことがあります。視聴者が「伝えられていないこと」に対する洞察力が次第にになくなっていくからです。スカパー!の「パックインジャーナル」や、「週刊金曜日」や、あちこちのブロガーが書いている記事を読むと「伝えられていないこと」がどんなことがわかってきて、NHKのニュースも、批判的な目で是々非々で見ることができるようになってきます。おそらく、どんな番組を見るかの「食べ合わせ」というものがあるのでしょうね。また「食べない方がいい」番組もあると思います。
オーストラリアでは、どの政党が与党をとろうが、少なくともラジオでは、政権を批判するスタンスの報道をしている番組が公共放送にあるそうです。
投稿者:Jun Rajini at 11:20
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