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http://blog.so-net.ne.jp/pegasus/2005-12-29
ダメな大新聞に代わって地方紙に期待しているのですが,その「西日本新聞」にとんでもない記事が出ました.25日の朝刊で,ウェブにも出ていますのでだれでも直接読めます.
再考 来た道行く道 <4> 自由 言論に「覚悟」はあるか
http://www.nishinippon.co.jp/news/2005/sengo60/sengo7/04.html
16年前の,右翼団体幹部による当時の長崎市長,本島等氏への銃撃事件のことを取り上げているのですが,本島氏とかつての犯人とを対等に,いわば「どっちもどっち」的に取り上げています.間接的ながら事実上のテロ容認です.
遅ればせながら同紙に次のようなメールを送りました.電話もしましたが,「なるほど」と応対していました.あまりにも重大な内容なので,文中にも書きましたように,取り消しと謝罪に値すると思います.そのためには複数の,できればたくさんの方からの抗議が必要ではないかと思います.上の記事のページの下にメールアドレスがあります.
西日本新聞社御中
拝啓
貴紙を久留米市で購読している,一読者です.
貴紙の12月25日掲載の次の記事には驚きと失望を禁じ得ません.
再考 来た道行く道 <4> 自由 言論に「覚悟」はあるか
http://www.nishinippon.co.jp/news/2005/sengo60/sengo7/04.html
この記事では,テロの被害者の本島氏と,加害者の右翼団体幹部とが価値観的に同格で扱われています.なるほど加害者の若島氏はすでに刑期を終え,一般市民であることに間違いはないのでしょうが,この記事を読めば分かるように,今でも自分の行為を正当化しており,真に反省はしていません.つまり今でも( 中 略 )価値観を公言している人物です.そのような人物と被害者とを対等に扱うことは,間接的にテロを容認することに他なりません.
銃撃を『肉体言語』などと称する彼の発言を中立的に引用するなどということは,言論機関である新聞がすることとは到底信じられません.かりにこの記事を書いた記者に対し,あるいは貴紙に対し,テロがおこなわれ,それを『肉体言語』と形容されたとしたら,貴紙はその表現を受け容れるのでしょうか?
「自殺行為」という言葉がありますが,この記事はまさに言論機関としての「自殺記事」です.この記事をそのままにしておくと言うことは,貴社が「テロ容認」の立場を保持し続けることになってしまいます.単に反省していただくだけでなく,紙面での取り消しと謝罪とに値する重大な失態であると言わざるを得ません.
貴紙の見識ある対処を要望いたします.
http://www.nishinippon.co.jp/news/2005/sengo60/sengo7/04.html
再考 来た道行く道<4>自由 言論に「覚悟」はあるか―連載(西日本新聞)
銃撃された男は言った。「彼に会いたいと伝えてほしい。話をしたい、と」
銃撃した男は首を横に振った。「…会いたくなか。話すこともなかし」
*
十六年前、長崎市長だった本島等(83)を背中から撃った男は、東京・千代田区にあるビルの一室にいた。右翼団体「正気塾」副長の若島和美(56)。白いひげをたくわえ、スーツに長身を包んでいた。「どうせおれたちを『言論の自由を脅かす悪』って書くとやろ。でも、おれも言論の自由は大事と思っとるさ」
発砲は、「(昭和)天皇の戦争責任はあると思う」と市議会で答弁した本島への抗議だった。本島発言があったのは、天皇の闘病が続いていた一九八八年十二月。「なぜあの時期に国体を揺るがす発言をしたのか。おれは本島の支援者やった。裏切られたと思ったよ」
本島とは同じ長崎県・上五島出身。正気塾の活動を通じ本島と知り合った。「天皇発言」の後、何度も面会を申し入れたが断られた。凶行は発言から一年後に起こした。「おれにとっては言論を封殺されたとさ。待って待って、最後の手段として『肉体言語』(銃撃)を使った」
致命傷となるのは避けた。「生きてもらわんといかん。発言ば訂正してもらわんばいかんけん」
■□□
一命を取り留めた本島は暴力に屈せず、今も自説を唱え続ける。
ファンヒーターの音だけが静かに響く長崎市の自宅で、本島は言った。「彼に会って『君がやったことは間違っていた。今の時代には通用しないんだよ』って言いたいんだ」
背後一・五メートルから放たれた弾丸は左胸を貫通。「ああ、死ぬんだなと思ったよ」。それでも発言を悔いたことはない。「開戦も終戦も、最後に決断したのは天皇。道義的責任はあった。言うべきことを言った」。日本の加害責任を考えずに核廃絶は語れないとして「原爆投下は仕方なかった」と発言したときは、天皇発言への支持者からも猛反発を受けた。
「若島と会って話したい。お互い自分こそ正しいと思っているだろう。僕は自分が正しいと無理に言うつもりはない。何とか話し合って、言論の自由を認め合いたい」
□■□
東京の事務所で、若島は続けた。「もう会う価値もなかでしょう。あの人が書く論文はおかしなものばっかりでしょうが。もう普通のおじいちゃんでいてほしい」
銃撃事件については「間違ったことをやったとは思っていない」とした上でこう話した。「あの人を傷つけた責任は一生負い続けますよ。言葉と同様、肉体言語には責任を負う」
朝日新聞阪神支局襲撃事件(八七年)や、石井紘基民主党衆院議員刺殺事件(二〇〇二年)など、闇討ちのような「匿名テロ」は今も続く。最近では、インターネットで報道機関などを一方的に攻撃する「ネット右翼」と呼ばれる若者も脅威の的になっている。
こうした動きを若島は「上っ面だけですぐコロッと変わってしまう危うさがある」と批判。最近の政治家や国民も「言葉に責任がなくなっとる」と断罪してみせた。
言論の自由について再び本島に聞いた。「十六年前から進歩したとは思えないよ。義理や人情という日本式の生き方に縛られてタブーはまだある。外国のように多様性がもっと重んじられる世の中にならんと」
「言葉への責任が軽くなっている」という批判だけは、若島と一致した。
(敬称略)
長崎市長銃撃事件 長崎市長銃撃事件 昭和天皇に戦争責任はあると発言した本島等長崎市長(当時)が1990年1月18日、右翼団体「正気塾」(長崎市)の若島(旧姓田尻)和美幹部から狙撃された事件。長崎市役所前で公用車に乗ろうとした本島氏の背後から拳銃1発を発砲。本島氏は1カ月の重傷を負った。即日逮捕された若島幹部は殺人未遂罪などで懲役12年の実刑判決を受けて服役。出所後の2003年4月、「世の中の流れを変える」として同市長選に立候補し、1000票余りを得たが落選した。
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