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(回答先: 宗教の役割はまずは「考える事」を促す事ではなかったのでしょうか? 投稿者 ワヤクチャ 日時 2006 年 12 月 04 日 22:48:48)
なるほど、これまでのキリスト教世界のありようをみれば、そう結論されても無理はないかもしれません。
しかし、当初のクリスチャン信仰は、世の政治や社会的論争とは無縁のものでした。信者は世俗の権威に
服する良き市民であっても、積極的に政治活動に参加することはありませんでした。
「クリスチャンは……公職や兵役に就こうとしなかった」。(「著名な歴史家の記した重大な出来事」、R・ジョンソン編、1905年、第3巻、246ページ、『紀元177年ガリアのクリスチャンに対する迫害』、F・P・G・ギゾー)
「彼ら[クリスチャン]は絶対服従の原則を熱心に説く一方、帝国の内政や防衛に積極的に参加することを一切拒んだ。……クリスチャンがより神聖な義務を放棄せずに兵士や行政官あるいは君の地位に就くことは不可能であった」―「ローマ帝国衰亡史」、エドワード・ギボン著、第1巻、416ページ。
しかし、キリスト教は時経つうちに変質してゆきました。政治的な抗争に関わるにつれ、博愛によって生きていた
貧しい人々の原始教会は、勝利主義の教会となっていきました。
16世紀初頭のローマ教会の状況を要約するために、その時期の有名な哲学者マキアベリの次のような言葉を引用
しておきます。
「キリスト教という宗教がその創始者の命令どおりに保たれていたなら、キリスト教世界の状態や社会は今のそれよりもはるかに一致した幸福なものとなっていたであろう。この社会の宗教団体の頭たるローマ教会に近い人々ほど宗教心が少ない人間であるという事実以上に宗教の堕落を示す大きな証拠はあり得ない」。