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(回答先: 政治色を帯びた福音 投稿者 隣人 日時 2006 年 12 月 01 日 15:56:23)
イエスは、「わたしが命令していることを行なうなら、あなた方はわたしの友です」と言いました。
(ヨハネ 15:14)イエスの真の友また弟子は、神とキリストに対して完全な従順を示すという義務を
負っており、他の何者に対してもそのような義務を負ってはいません。(使徒 5:29)神よりも人間に
従うなら必然的に、キリストの音信を政治的なものにしたり、乱用したりすることになるでしょう。
確かに、イエズス会はプロテスタントとの闘いで、ある程度勝利を収めました。しかし、どれほどの
犠牲を払ったでしょうか。成功は、隣人に対する愛よりも政治上の陰謀によって決まりました。彼らの
福音宣明活動により、政治的な思想と野望に汚された福音が広まりました。イエズス会は世界を改宗
させることを目指したものの、世の一部となってしまいました。これはイエスが望んだことでしょうか。
イエスは自分の真の弟子について、「わたしが世のものではないのと同じように、彼らも世のもので
はありません」と言いました。(ヨハネ 17:16)使徒パウロが「あらゆる者に対してあらゆるものに」
なったのは確かです。(コリント第一 9:22、ドウェー訳)しかしそれは、聞く人に応じて音信に融通を
利かせたという意味であって、改宗者を集めたり政治的な影響力を行使したりするためにキリスト教
の原則を曲げたという意味ではありません。
ロヨラの意図は、イエズス会士がイエス・キリストに見倣う者として世に出ることでした。しかし、
この理想像は政治活動とごまかしの行為によって傷つけられました。彼らは「あらゆる者に対して
あらゆるものに」なりましたが、「すべての事を神の栄光のために」してはきませんでした。
―コリント第一 10:31。