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(回答先: ほかの子に嫉妬あった=殺害場所は「自宅玄関」−畠山容疑者、供述変更・秋田((時事通信) - 6月14日12時1分更新) 投稿者 まさちゃん 日時 2006 年 6 月 14 日 12:18:35)
□午後3時半のハッチバック―秋田小1男児殺害 [どん底あるいは青い鳥。]
http://donzokoblue.blog55.fc2.com/blog-entry-94.html
2006/06/14 午後3時半のハッチバック―秋田小1男児殺害
これはひどい。
「殺害場所は玄関」畠山容疑者が供述変更
秋田県藤里町の町立小1年米山豪憲君殺害事件で、畠山鈴香容疑者が、これまで4月に水死した長女彩香ちゃんの部屋付近としていた殺害場所の供述を「玄関で殺害した」と変更したことが14日、接見した弁護士の話で分かった。
会見した有坂秀樹弁護士らによると、畠山容疑者はこれまで「招き入れた豪憲君の靴を脱ぐ姿が彩香とダブって……」などと供述、殺害後は靴を履かせて遺棄したとしていたが、能代署捜査本部の取り調べで追及され、もう一度考えて供述を変えたという。
「供述を変えた」ではなく「変えさせた」だろう。だいたい自供に落ちた者が殺害場所だけ嘘をつく理由がどこにあるのか。
「被害者は靴を脱いでいない」という事実を指摘されたために殺害場所を玄関に変えた。となると家宅捜索直後の「玄関で血痕や尿が検出された」は嘘か誤報である可能性が高くなる。そうした所見が事実であれば、殺害場所は最初から玄関に設定させるはずだからだ。
容疑者の供述のみならずその変遷までをも淡々と公表してしまう、やはりあの弁護士たちはタダ者ではないのか。マスコミもいつまで「供述が変遷するのは容疑者が嘘つきだから」という虚構を通すのだろうか。自白の形成過程について適切なコメントを出せる識者もいるであろうに、あくまで御上には逆らわず鬼母の凶悪犯罪というプロットを通すつもりか。
遺棄に出かけた時刻は「午後3時半」を踏襲している。容疑者が軽自動車のハッチバックを開け閉めするのを「近所の住民」が目撃したとされる時刻であるが、この午後3時半という時刻がどうもよろしくない。
被害者が最後に目撃されたのは午後3時20分ごろとされている(参照)。http://www.sakigake.jp/kikaku/fujisato/中には3時25分という報道もあるから、20分より早いということはないだろう。
午後3時30分の車の開閉が遺体の積み込みを示すとすると、殺害から積み込みまでを最長10分程度でやってのけなくてはならない。その間に軍手をし紐を手繰り寄せ、首を絞めて殺害し「しばし茫然とし」なぜか帽子とランドセルを取り外し、遠足用のシートに包んで車に積み込む。
実況見分では容疑者自身これらのことをやってみせるのだろうか。としても10分でできるのかどうか。そのうち目撃証言のほうが「やっぱり見たのはもう少し後の時刻でした。記憶は最初の証言より後のほうが正確です」と変遷しそうである。
容疑者が真に被害者を自宅玄関で殺害した場合、午後3時半に遺体の積み込みを終えて遺棄に出発することはまず不可能であると思われる。目撃者は何を考えて午後3時半という時刻を採用したのか。一つだけ言えるのは、もしも加害者が公園から自宅に向かう被害者を「車で拉致するとしたら」その時刻は「午後3時半以外にはありえない」ということだ。
さて、容疑者はそのあと実家に戻ったりスーパーに出かけてもすぐに戻ったりして、午後8時には被害者の捜索に加わり、午後9時には警察で事情を聴かれはじめ、それが翌日の午前2時まで続いている。午後2時以降は監視の目があったと考えるのが自然である。
結局容疑者が遺体を捨てるチャンスは、無理やり午後3時半に自宅を出てから実家に着くまでの間にしかなかったことになる。しかしその時刻は未だ明るく、そのような条件下でわざわざ人や車の通る場所を選んで遺体を捨てたというのは何とも苦しい。
いただいたコメントの中に「容疑者の母親の証言が歪曲されるかもしれない」とあったが、これもありえないことではない。母親(と弟?)の証言を曲げさせて「日没後自分たちの知らない間に容疑者が外出できた時間帯がある」と言わせるわけだが、何にせよ普通は遺体を捨てるなら夜間である。警察は午後9時から午前2時までの事情聴取によって、ザ・ストーリーに使える時間を自ら減らしたことになる。
ところで一部のメディアは「彩香ちゃん殺害も容疑者の仕業」という線で進めるようで、そのためには彩香ちゃんは悲劇の子どもでなくてはならず、毎度の虐待話に加えて最近では彼女が「どんなにいい子だったか」も繰り返し伝えられている。
普通に考えれば、子どもが明るく挨拶できたり物怖じしない快活な子であったりするのは、親の教育がいいからだ。娘がいい子だったという事実を母親の凶悪さをより際立たせる設定として使えると思う頭が不思議である。
複数の識者が、容疑者には「よい母親」「悪い母親」という二面性があると言う。だがそれぞれの「面」を支持する目撃談の出所は見事に分かれている。行きつけの店などでは「親子は仲がよかった」「いい母親に見えた」とされ、一方「悪い母親」を支持する目撃談はすべて「近所の住民」から湧いて出る。
一人の目撃者が「あの人には二面性がある」「いい顔をしているけれど、本当は…」と語るのではない。ある人は「いい親だ」と言い、別の人は「悪い親だ」と言う、その矛盾を外から見た者が「二面性」と称しているのである。
悪い噂の出所が狭い範囲に求められるというのはやはり真実なのだろう。その「狭い範囲の人々」は、容疑者によい面があることを一切認めようとせず、悪い面を積極的に・誇張して(あるいは捏造して?)周囲に伝えている。その動機は何だろうか。
蓄積された敵意は確かにある。ふだん仲間内で容疑者を槍玉に挙げて楽しむのと同じようにマスコミにも喋っただけかもしれない。ところがその中の一人?が「午後3時半の目撃証言」を口にする。その時刻は、室内に呼び入れての殺害よりも車での拉致に相応しい。
だが拉致ならば被害者を載せるのはまず助手席であり、開閉されるべきは左右のドアである。なのになぜ目撃者は「ハッチバックの開閉」を見たのか。これは「目撃者」がそのとき、車の後部しか見えない位置にいたからではないか…などとも考えてみる。
当日の容疑者の車は「西側隣家との間の敷地に車の前部から乗り入れ、ハッチバックは道路側に向いていた(引用元)」という。であれば、目撃者の位置が対側東寄りの場合、左右のドアは死角になってハッチバックしか見えないこともあるだろう(西寄りの場合は隣家の玄関の形状による)。
警察に通報した際、目撃した位置と容疑者の車の位置を尋ねられる。それらの位置関係から見えるのはハッチバック以外になく、見えたのはその開閉というあたりに落ち着く。だが3時半という時刻は据え置かれた。
「3時半」と「ハッチバック」。室内での殺害ならば遺体を積み込むために「ハッチバック」を開閉するのは理解できるが「3時半」の出発はあまりにも早い。「3時半」は拉致にはピッタリの時刻であるが、そうなると「ハッチバック」とはどうも整合しない。
この「目撃者」は本当に3時半に何かを見たのだろうか? もしも目撃証言が嘘だとしたら、そのような嘘をつく動機は何なのだろう? ただし当日の車の置き方は報道によって違いがあり、目撃証言の内容も一部しか伝えられていない可能性がある。その場合にはこれらの推測は端から無意味である。
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□自宅脇で車の目撃情報/藤里・男児殺害、鈴香容疑者が捜査線上に [秋田魁新報]
http://www.sakigake.jp/servlet/SKNEWS.News.kiji?InputKIJICODE=20060605fa
自宅脇で車の目撃情報/藤里・男児殺害、鈴香容疑者が捜査線上に
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米山豪憲君の死体遺棄容疑で4日逮捕された畠山鈴香容疑者(33)が捜査線上に浮かび上がったのは、近所の住民の目撃情報がきっかけだった。
先月17日午後3時半ごろ。豪憲君が行方不明になった時間帯に、鈴香容疑者は自宅脇に止めていた白の軽乗用車のハッチバックを開閉していた―というのだ。
軽乗用車は鈴香容疑者がふだん乗っていた。いつもは、北側の玄関前に横向きに駐車していたが、その日は西側隣家との間の敷地に車の前部から乗り入れ、ハッチバックは道路側に向いていたという。
能代署は早い段階でこの情報を入手。同17日午後9時ごろから翌18日午前2時ごろまでの間、自宅にいた鈴香容疑者から任意で事情を聴いたが、本人は「午後2時から4時ぐらいまで自宅にいた」などと話し、かかわりを否定。聴取に応じる態度も「淡々としていた」という。
(2006/06/05 08:32)