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(回答先: 女児の父、極刑求め意見陳述(物証は重視されない?) 投稿者 戦争とはこういう物 日時 2006 年 5 月 20 日 19:45:47)
確か捜査当時は「被害者首の内出血跡は、抵抗などでずれた様子が無い」とされ、犯行は一瞬で終わったとされていた筈。
だとすれば、以下の部分は捜査陣のつかんだ事実と反する事になる。
>あいりはこの場から逃げようと思い、必死で抵抗し、泣
きながら私たち両親に助けを求めていたに違いありません。
検察側が、事実を伝える際に何らか手違いが有ったのだろうか?
〜〜〜〜〜〜〜〜(引用ここから)
女児殺害公判 父の意見陳述要旨
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200605200023.html
十九日の広島女児殺害事件の第五回公判で、木下あいり
ちゃんの父建一さんが読み上げた意見陳述書の要旨は次の
通り。 あいりは、私たちの実家がある熊本県で生まれま
した。昨年8月に移り住んだのが、現在の広島市です。ま
た新たな気持ちで、家族みんなで力を合わせて頑張って行
くことを決意し、特にあいりに対しては、「また、たくさ
んのお友達ができるように頑張ろうね」と、励ましていま
した。
あいりは、絵を描いたり、歌を歌ったりするのが好きで
、中でも絵を描くのが得意だったので、毎日のように、そ
の日の出来事などを描いては私たちに見せて、何を描いた
のかを、得意げに話してくれていました。
引っ越す前の昨年7月、東京近郊のレジャーランドに、
私とあいりと弟の3人で遊びに行く途中、渋滞中の首都高
速道路上で、突然、弟が鼻血を出したことがあります。当
時、私は運転中で対応ができず、あいりに対して、「お父
さんの代わりに、弟の鼻を押さえておいてくれ」と頼むと
、弟をあおむけに寝かせ鼻をしっかり押さえて、大声で泣
きながら「死なないで」と何度も繰り返し必死で看病して
くれました。
また平成16(2004)年12月に起きたスマトラ島
西方沖大規模震災の際には、自分のお小遣いのすべてと宝
物のサイコロやビーズを被災者の子どもたちのためにと、
寄付したこともありました。
そして、一生忘れることのできない、昨年の11月22
日の火曜日、事件は起きました。いつもと同じように、朝
食を済ませるとあいりは、元気よく「行ってきます」と言
って、登校して行きました。 小学校から家までは2キロ
ぐらいの距離があり、子供の足で約30分ぐらいかけて、
登下校しなければなりませんでした。当然、登下校時以外
でも、知らない人に声をかけられても決してついて行かな
いように厳しく指導していました。
ところが、転校してきて間もないせいか、まだ友達が少
なく、この日だけは、誰も一緒に帰ってくれる人がいなく
て、仕方なしに一人で家に帰ることになったようです。
帰宅時間になっても帰りが遅い娘に、不安を感じた妻は
、自転車で通学路を捜し回りましたがどこにもいませんで
した。学校に連絡を取ると「すでに帰りました」との返事
があり、不安を抱きながらも、家で、娘が無事に帰宅する
のを祈りながら待ち続けていました。
その後、しばらくしてから警察官が家に来られ「娘さん
が病院に運ばれています」と告げられた瞬間に、なんらか
の事故に遭っていることに間違いないと思い、勤務中であ
った私に連絡をとり、命だけは無事であっていてほしいと
、願いながらお互いに病院へ向かいました。
しかし、願いもむなしく、目を開けたまま横になってい
た娘は、すでに、亡くなっていました。この時、「数時間
前に、通学路の近くで、すでに死体となって発見されまし
た」と言われ、目の前は真っ暗になり、全身の力が抜けて
、地獄に突き落とされた思いでした。その後、警察から事
件の説明を受け、娘のあいりは、下校途中に殺害され、段
ボール箱に入れられて、放置してあったことを知りました
。
きっと、あいりにとっては、いつも通っていた通学路に
殺人鬼がいるとは、想像もできなかったでしょう。おそら
くこの時、犯人に声をかけられ、言葉が違う外国人だった
ので、少し英語が話せたあいりは、何か困っているのかも
しれないと思って近寄り、口車に乗ったのでしょう。
あいりはこの場から逃げようと思い、必死で抵抗し、泣
きながら私たち両親に助けを求めていたに違いありません
。きっと、「なぜ、私が、こんな事をされなければいけな
いの」と、ひどく悲しみ、悔しがり、何がなんだか分から
ないまま死んでいったのでしょう。
あいりは、私たちにとって自分の命よりも大切な宝物で
、生きがいであり希望でもありました。
5歳になったばかりの息子には、あいりの死のことにつ
いては「星になって遠くに行ってしまったから、もう二度
と会うことができないんだよ」と話しています。本人はど
れだけ理解しているか分かりませんが、テレビのニュース
などであいりの事件や子どもたちを狙った事件を見るたび
に、ひどく興奮します。今後、息子の心にどのような影響
を及ぼすことになるかが不安で、将来が心配になります。
事件後に幼稚園などで描く絵には、あいりの星ばかり描
いています。家では、一人で遊ぶときにあいりが使ってい
たおもちゃなどを見つけては、「これ、あいちゃんが使っ
ていたの」と言って私たちに持ってきます。
4月10日はあいりの誕生日でしたが、娘が生きていた
ら今年で8歳になり、この日は、きっと妻や弟と一緒にな
ってケーキを作り家族みんなで誕生日を祝い楽しいひとと
きを過ごしていたことだろうと思うと、この日は、今まで
以上につらい一日になりました。
残忍な殺し方をしていながら、いまだに殺意を認めず「
悪魔の責任」にして無罪を叫ぶ犯人の発言や態度に憤りを
感じるとともに、何も悪いことをしていない幼い子供を平
気で暴行し殺すような人間を絶対に許すことができません
。昨日、犯人は「女の子」から声をかけてきたと証言しま
したが、先ほど申しましたとおり、私や妻は日ごろから「
知らない人に声をかけられても決してついて行ってはいけ
ない」と、話していましたし、あいりもよく理解しており
ました。私は、あいりが自分から知らない男に声をかける
ことは絶対にあり得ないと断言します。 境遇は境遇とし
て、そして、7年しか生きられないものとして、もう一度
あいりを自分たちの子として望むかと聞かれれば、私たち
は、望むと答えるでしょう。あいりは私たちにとって何よ
りも大切な娘でした。犯人が子を持つ親として、あいりに
少しでも申し訳なさを感じているのであれば、本当のこと
を正直に話して刑に服してもらいたい。もし、本当に自分
の心に悪魔が入り込み、他人を暴行し殺す恐れのある殺人
鬼と自覚しているのであれば、自ら命を絶って、これ以上
犠牲者を出さないようにしてほしいと心の底から願います
。あいりの死を無駄にしないためにも、このような犯罪が
二度と起きることがないように、また私たちのような悲し
い思いをする人が現れることがないように、反省の色すら
見せない「ホセ・マヌエル・トレス・ヤギ」に対し極刑を
望みます。
そして現在、子供たちを狙った凶悪犯罪は、後を絶ちま
せんが、無力で純粋な子供たちがこれ以上犯罪に遭わない
ような世の中になることを、私たちは心から願ってやみま
せん。
〜〜〜〜〜〜〜〜(引用ここまで)
被害者が犯人に極刑を望むのは当然かも知れない。けれど、その前に事実を正確に判断して、真実を明らかにしなければ正しい裁きは行えないのではないだろうか。
極刑が下されたなら、何が真実かは永遠に明かされない。