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(回答先: ふたたびT派出所員がやってくる 投稿者 てんさい(い) 日時 2006 年 3 月 10 日 01:23:45)
翌日、5月4日、私の父はガンのために亡くなりました。
通夜を終えて、私たちが自宅での葬儀の祭壇の飾り付けをしていると、近所のおじさんが大きな見舞いの品を持ってあらわれました。「これはOOさん(容疑者の父親)から。特別にお届けして欲しい、ということで言付かってきた」
これまた、どうしてご本人が直接おいでにならないのでしょう。
私たち家族は、事態が余りに重大すぎて、その品をつきかえすこともできず、ただ黙って受け取りました。
葬儀の日に、OOさんは姿をあらわしませんでした。代わりに、遠方に住むOOさんの弟さんがわざわざ来て、葬儀に出席してくださいました。OOさん宅は農家です。OOさんはもう高齢で、楽隠居の身分です。かつ心身壮健です。葬儀に出る暇がない、体調が悪いというわけではないのです。
結局、OOさんは、この2年後に亡くなるまで、わたくしの家の敷居をまたぐことは二度とありませんでした。
ところで、警察がひとりの男を殺人事件の犯人として内偵しているからといって、実際に真犯人だと断言することはできません。警察のとんでもない冤罪という可能性があります。もちろんそんなことがわからないほど、わたくしは愚かではありません。
それなのに、なぜこれまで容疑者を殺人犯と断定するような書き方をしているのか。それは、こののちの、OO家の人たちの係わりの中で、男が妊婦殺しの犯人であると断言するほかない心証を得る決定的な体験を、私はしているからです。OO家の人たちは、自分の息子が、妊婦を殺していることを、熟知している。そしてそのことにおびえている。それがありありと見て取れたのです。(その体験にまつわる証拠物件は、警察によって保管されています。)
犯人は、犯行後、この道をとおって親元へ逃げ帰った。
その決定的な体験については、はたして公表すべきかどうなのか、現在は判断に迷っている状況です。
それを公表すると、私の生命の危険がますます増す類のものだからです。
だが、仮にその男が真犯人ではないと仮定しても、警察のとったおとり捜査という手法は、警察が彼を重要容疑者としている限りにおいて、糾弾されて当然の危険なものです。それが、どのように危険であったかを、次に検証してみたいと思います。