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(回答先: 期待 投稿者 二コちゃん 日時 2006 年 9 月 10 日 00:12:57)
“偽情報と判る前に行う事が無駄で、犠牲も生むかもしれない”
“人命が修正不能なら完全でない論は全て危険視すると良い”
別にアシュラのスケールでものを考える必要もあるまい。目的はアシュラの栄華か。
またアシュラの機能上の適性に応じて、目的を変質させても、いっこうに構うまい。
そういうことはよくあろうが、これが何か問題を生じさせるだろうか。アシュラには反
権力の雰囲気があり、問題意識を持った人間が集まるとして、そこに表われるような
情報(…具体的に卑近で、後追い的に刹那で、偽装的に表層で、真相に到達したかも
不明な「情報」)で遊び、生き甲斐を感じることだけが許されているとは思わない‥‥。
より高度に抽象的で、推論として洗練された体系を導くことこそ、寧ろ道具としての
アシュラのスペックを最大限に生かす方策かもしれない。‥‥尤も、こうも邪魔が
多いとな(笑) 「場が開かれている」状態と、無駄に強迫じみ、(その交渉自体を
目的とする理念を振りかざして)交渉したがるのとは、これまた次元が異なろうな)
“例えば主観的真実を作る事が「真」ならばそれが真理だろう”
“情報を真理と呼ぶか。総体世界よりも原理こそ真理と思える”