自分の存在(生命)はともかく、真理は闇に葬られても仕方ない、という、それぐらいの気持ちで活動してもいいだろうし、そういう宿命だ、ぐらいで諦観としてはいいのではないか‥‥期待することが結果的に心労辛苦となるくらいなら、前もって「どうせ…」という思いでも。
次へ 前へ
▲このページのTOPへ HOME > 昼休み7掲示板
フォローアップ:
このページに返信するときは、このボタンを押してください。投稿フォームが開きます。