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(回答先: ライターM氏=河上イチローに確定−ESPIO 投稿者 kaname 日時 2006 年 3 月 13 日 22:39:02)
人を信じればこそ、裏切られることもある。
人を信じれば、裏切られることもあります。
そのような人を信じてしまったことによる精神的な衝撃、そのような人を信じてその人のために費やしてしまった時間や費用。そういう諸々の損失を甘受することは、その人を信じてしまったことに由来する自己責任の枠内と言えるでしょう。
あるいは、その人に心酔するがあまり、その人のために法を犯したりした場合にはその過去の行動に対応した罰を受けるべきでしょう。
しかし、信じた相手が大悪党だったということから、信じた相手の行った悪事の数々についての法的または道義的な責任を負わなければならないというのは筋が通りません。
私たちは、自己が関与したことに対してのみ責任を負うことを原則とする近代法原理が成立している社会に現在いるはずです。
人を信ずることのコストを必要以上に高めるような言動には、私は賛同することはできません。
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ネットを利用したプライバシー権侵害の一実例
あるブロガーがどのような宗教に過去帰依していたのかということは、本人が積極的にそれを開示しているのでなければ、周囲がとやかく言うべきものではありません。特に、その宗教に帰依していたということが社会的にネガティブに評価されやすい場合はなおさらです。まして、そのブロガーとしての活躍にけちをつけるために、そのブロガーが過去に帰依していた宗教を明らかにするというのは、最低の行いといえます。
そういう意味では、ある宗教に過去帰依していた者に対して、社会復帰のためのハードルを勝手に高く設定し、そのハードルを満たさない者の過去を暴き立てる滝本太郎弁護士のやっていることは大いに非難されるべきことだと言えます。彼のような存在は、その宗教の信者がその宗教団体を離れて自立して生きていくことを妨げ、過去にその宗教の信者だった者を再びその宗教団体に戻らざるを得ないところに追いつめる役にしか立たないことでしょう。
結局、「ネットの匿名性」なんて、ブロガーが様々に現実社会でも活動するようになっていけば、この種の悪意の人々に対して全く無力だったわけで、「ネットの匿名性」を満喫できるのは、現実社会から離れて、ネット社会に閉じこもっている人々くらいだってことです。ネット社会に閉じこもっている人々にしか役に立たない「ネットの匿名性」を後生大事にするより、他人の属性を、他人の過去を、積極的にその他人を差別しまたはその属性とは関係のない言動を抑圧するために、取り立ててあげつらうことを許さないようにした方が、「誰が言ったかではなく、何をいったのかが重要だ」という言論環境の構築・維持には有益なのではないかと思います。
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コメント:
どうして河上は二回も同じミスをするのだろう?
カナメの場合、カナメ=K氏であると自分から漏らして小規模の祭りにして済ませることに成功しました。せいぜい1週間で終わり。いずれバレると思ってたからね。
河上もそうやれば良かったのに………。
あと、
健全な祭りとは ネガティブな共通前提ではデキナイものだと感じた。
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