★阿修羅♪ > 雑談専用20 > 805.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: ぼけ仙人さん長くかかりそうですね 投稿者 縄文ビト 日時 2006 年 11 月 08 日 09:56:41)
それにしても、縄文ビトさんが頑強な、唯物志向者とはのう。名前が良いのに残念じゃわのう。
こうした対話は古今東西繰り返しておるわな。
そして、その結果は、大体同じところへ帰結しておるようじゃわさ。
平行線じゃわな。当然じゃて。
この世の常識、一般的な科学的根拠の範疇で論議展開をすれば、霊界、先祖の話は不利じゃし、ワシの言うところの話は、理屈でもなければ科学的お墨付きなぞないし、体験の積み重ねと推論、実証の繰り返しによって得たことじゃから、こうした紙面上の言葉では、難しいわな。
とくに自分の枠の中から出ようの無い縄文ビトさんタイプの人には、説明の意味もないぞ。
ワシの問いかけは無視し、自分の反応しやすいスレッドをコピーペストして反応して見せ否定する。これは論議じゃないわのう。(何やらよく似た人が多いようじゃが)
まるで、役人の「前例がないからみとられません」やアカデミニズムがよくやる手「こうした定説はないから認められん」のようじゃて。定説は誰が作るんじゃろか。それに考えるまでもなく、「ニュートンはりんごの落ちるのを見て」と言われるように、現実の現象をヒントにしたり、現象の追跡によって科学が発展してきた側面を忘れてはならんぞ。その意味で以前ワシが問いかけた
「もう少しつっこめば、前にも話した、座布団上の180度回転について科学的に証明できるかのう。
普通の家、普通の情況での、祈りの最中、天井に近い空間から金粉(ゴールドじゃないぞ、金色の粉)が舞い落ちる荘厳な情景は、どんな物質がどんな条件となればそうなるのか、教えてほしいぞ。
ある法的な用件があって、脳梗塞で喋れない、しかも歳で痴呆症になっとるワシの叔母の証言が必要となり、これは大変じゃと思っておったら、ある夜ワシの死んだ母親が出てきて(憑依)な、心配ないぞと言ったんじゃわな。数日後、弁護士と民生委員による幾つかの質問に対して、叔母は全く通常の人と同じようにきちんと受け答えできたわのう。そして、弁護士さんたちが帰った瞬間から、元に戻ったわな。 あるいは、ある時、全く初対面の人が、ワシ自身しか知らんはずの、ワシの生い立ちをとうとうと語り、あの本、あの夢まで知っとったわな。後で聞いたら、憑依現象でワシの先祖が「ワシのために、これからワシに起きる多くの苦難、苦悩を乗り越えてくれとの願いでお越しになった」とのことじゃった。こうした現象を科学的に説明してほしいもんじゃわな。そして、こんな現象は幾らでもあるわのう。ワシの一番の謎で、例の広島で、原爆直下にいた先生の体験談じゃが「気がつくと、私がかばって腕に抱きかかえたはずの生徒の姿はかき消えていて、しかも教室には私だけとなっていた」この現象を説明できるかのう。偶然とか、たまたまとか、錯覚とか幻影は無しじゃて。」
を無視したのはどうしてかのう。
あるいは物理学の量子力学など、科学の根源的な部分をになう知識で持って、霊界を断じてくれるかと期待したが、残念じゃったのう。ワシもそういう部分は勉強したいからなちょっと水を向けたが無反応じゃった。
また、宗教についても、ワシは既存の宗教団体は興味がないけど、一応勉強をしとるつもりじゃが、宗教が社会を悪くしとると言うわりには、宗教を勉強し取らんところが露呈しておったわな。「宗教は人が求めてきたとき与えるものであり、人が求めないとき、強制するものではないと考えます。」と申しておったが、キリストも仏陀もましてや日蓮は強力に辻説法しておったはずじゃしのう。
とくにじゃ「色心不二」の言葉は仏教にあるが、これらはモノにも心がある、あるいは「一寸の虫にも五分の魂」などにつながる思想じゃし、また、霊界の存在、輪廻転生の思想も仏教や神道、ヒンズー教にあるわな。(キリスト教やイスラムは輪廻は?じゃが)じゃから、人によって濃淡こそあれ、日本人の心に当たり前のようにあることじゃでな(最近は薄まってきたがのう…にもかいたけどな)世界でもほとんどそうじゃぞ。
ワシが特別なことを喋っとるわけじゃわないわさ。ただ、普通あまり口に出さんことをハッキリ言って、宗教団体の枠を越えて、忘れてはならんことがあるじゃろうと問いかけとるだけじゃて。
それを遺憾とするなら日本人が駄目じゃということじゃし、世界各地の信者も怒るぞ。神道や仏教が世の中を混乱させる要素じゃ、排除すべきじゃとすることにもなる発言は、ワシから見れば日本文化の根底を崩し、謙虚さや思いやりのある社会を、弱肉強食の世界に転換させようとする運動にしか思えんわのう。
だいたいが、現世的に物申せば、居流皆亭の世界戦略の成果じゃとワシは思うておるが、大雑把に表現すれば民族を団結させる要素をまず崩壊させ、そして経済的に支配する。その後自分たちのやりやすい社会的システムを新たに構築しながら、民族的な洗脳を計る。そんなプログラムかのう。じゃから、その根源にあたる宗教、民族共有な思想の破壊をまず目論んでおると見とるんじゃて。共産主義もそうじゃが、宗教否定プログラムじゃわな。
日本は明治、戦後と上手に事が運ばれたようじゃわのう。今や、彼らの思想に洗脳されつつある段階とワシは思うとる。(彼らは無宗教じゃないぞ、神も霊界も認めておるはずじゃて)縄文ビトさん、残念ながらあなたはその彼らの成果じゃとしか思えんわのう。もしかしたら、そのエージェント養成の生徒かもしれんが。それともからかいかのう。
戦前の日本は貧しいながら、思いやりやいたわりのある生活情景、家庭があったはずじゃて。新聞記事にしても殺人などの記事はめったになかったし、ワシも一応都会に住んどるが、20年前までは玄関に錠をかける習慣さえなかった。
今はどうじゃて、この日本の移り変わりを宗教や、貨幣のせいにするのかのう。もっと奥深いもんがあるんじゃないのかのう。
かつてイザヤベンダサンが「日本は無宗教のようだが日本教の中で暮らしている」ようなことを述べておったが、ワシはそれこそが宗教のあるべき姿じゃと思うておるが、それが崩れてきておるわさ。
まあ、崩れるには崩れる側にも責任があるしな、単に近代化の波にのまれただけかもしれんし、ワシは居流皆亭を敵とも思っとらんがのう。親戚かもしれんしのう。いずれにせよこの世に存在するということは、いずれも何か果たさないかんことがあるはずじゃから、それぞれの立場でお役をなすだけじゃわ。
いずれにしても縄文ビトさんの思想は、ワシには居流皆亭の協力者の立場でしかないと思うわさ。しかし、それも縄文ビトさんの学びの道じゃから、しっかり学んで幸せになってほしいもんじゃて。ここでお互いの道が分岐するのう。そうした方といつまでも肩を並べて談話しとるわけにもいかんでな。ワシは無力ながらもワシの信ずる道を行くでな。