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職員の福利厚生という部分ですが、自分の企業の職員を大切にしない企業は「ろくなもんではない」と思われます。
最近の投稿とダブル部分もありますが、そのような「企業論理優先の利潤追求企業」を野放しにすると、悪の循環になってしまいます。
「通勤時間は労働者持ち」は現在では仕方がないと思われがちですし、実際「学生などでも、住んでいるところの近い、遠いでは、何の処置もされない」のが当たり前です。
しかし、本来は「雇用者」と「被雇用者」は対等であるべきですし、最近は差別にも関心が高まっています。
仮に「企業が、能力だけでなく、住んでいる場所で採用に差をつけるなら、差別」と云う見方もできます。(一方で、通勤コストが企業に跳ね返るなら、実際にコスト問題という見方もできます。)
「安売りこそが最大のサービス」という意識を消費者が持っている限り、閉塞感の漂う悪循環を断ち切るのは困難ですが、実際には「可処分所得」の増大は「収入に対する物価係数」によって決まり、必ずしも「安いものを求める事が正しい」訳ではなく、適正価格で販売を行っている企業(=自分の企業の従業員を大切にしている)を応援する事で、みんなの暮らしが良くなっていくと云う部分もあるのでしょう。
助け合い募金、共済制度、互助会・・・
と云うような「相互援助」的な考え方を広めていく事が「暮らしやすい社会に繋がる」のでしょう。
「自分の企業の職員を大切にしない(例とすると通勤手当も払わない)」と云うような企業に対しては不買運動をする。と云うような考えかたの先に「通勤時間は労働者持ち」というような固定観念の打破に繋がるのでしょう。
名奉行大岡越前は「3両を相手側のものと言い張る2名の裁きで、1両を出して、三方一両損なる裁きをしたそうであるが、労働者と企業、地域(もしくは国)が負担を分配する」と云う事でも「労働者の負担は少しは減少する」
本来、法と云うものは「弱者救済」と云う部分もあるのだろうと思う。