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(回答先: Re:問題の背景は式のスタイルを現場で教育的に考えてはいけないのかということではないか。 投稿者 研 日時 2006 年 9 月 24 日 22:11:58)
>研さん ご意見に感謝します。
先日、民主党の小沢氏が教育改革問題で「教育委員会と文部科学省の関係」を問題提起していましたが、地方の教育委員会では「予算がないので文部科学省の方針に従うしかない」ので責任の所在が不明確になると言うことでした。
嫌韓流の中でも問題提起されていましたが、当時の朝鮮では、日本にゴマを擂るために「日本人(日本政府)の意向を察して、自ら進んで日本人の気に入るように行動した」のであって、日本からは強制などしていない。という部分も屁理屈としてはある事も理解しておく必要があるでしょう。
「科学文部省を怒らせたら、地域の教育全体にとって不利益となりかねない」
ここが、問題の一つの本質です。支配者と被支配者の関係という「心理的な保身意識」が、この問題には横たわっています。
これは、被支配者意識が根底にあるのだろうと考えられます。
良い妻は「夫に対して従順」とか、良い秘書は「よく気の回る秘書」とか云う部分ですが、言葉で指示しなくても「支配者(主人)の意向を汲み取って行動する」と云うことです。
一方、その事が分からない「共産主義的な組織理論(反国家思想)に毒された者に主導権を取らせたら無秩序状態も起こり得る」という仮説的恐怖感というようなものが、権力階級にもあります。
徳川幕府が賊軍とされて官軍に蹂躙されたという「歴史感」が、また、合理主義の塊のような織田信長すらも「天皇」には手を出せなかった。という「歴史上の事実」が、権力者に取っての「賊軍側には回りたくない」という意識を刷り込ませています。
と、まあ、この辺はKの勝手な仮説的分析ですが、結構本質を突いているかなとも思います。
一度、支配者とか被支配者というような意識を捨て去ってから、全ての日本国民は同じ同胞として「どうしたらこの国が良くなるのか?」を考え、双方の妥協できる着地点を模索する事が必要なのでしょう。
なお、卒業式などの儀式は立派に「教育活動の一環です(予算が出ていると云うこと)」
教師にとっては、仕事の一部でしょう。