★阿修羅♪ > 雑談専用19 > 379.html
 ★阿修羅♪
あなたの「決め付け」を紐解いていくという作業にも飽きてきたことだし、この辺りが潮時だな。
http://www.asyura2.com/0601/idletalk19/msg/379.html
投稿者 ○H○ 日時 2006 年 8 月 02 日 09:12:24: dYD4U0ksEk0Do
 

(回答先: 「主体-作用-客体」こそが、オメエさんの本当の関心事なんだろうなあ。そうなる理由が何かおありなんだろうぜ。 投稿者 天蓬元帥 日時 2006 年 8 月 01 日 13:54:57)

>『“もちろん”以下の部分は辞書のどこにも書いてねえと思うがなあ。“・・・と”続けてんなあオメエさんだろ。辞書のせいにしちゃいけねえよ。』

○H○
「辞書に書いてある“ように”ただ説明している」と書いているだけで、直接それが辞書に書いているというわけではない。辞書は、主体を客体化してしか表現することしかできない。私が書いた『思考や意識に目を向けるとそれは客体にしかならない。目を向けているものが主体であり、自己だと認識している。』について、それを主体(自己)だと認識したのは、辞書のように客体化してそれを説明しただけに過ぎないというだけだ。
“もちろん〜”以下の部分も辞書の“ように”主体と客体の関係を、主体を客体化させてただ説明しているだけだ。


>『辞書ってなあ言葉が使われる時の基本的な意味や用法を並べたもんよ。その基本的な意味を敷衍し新たに何かを引き出すとすりゃ、その何かについての責任を負うのは辞書じゃねえ。引き出したご当人よ。
上のオメエさんの文で、“ただ主体は”以下の部分は辞書にゃ書いてねえだろう。辞書に書いてある事を元にオメエさんが考えた事よ。だったら、その内容の責任もオメエさんのもんよ。辞書を持ち出しての責任逃れはみっともねえぜ。
その上、オメエさん自身が辞書の内容を批判してるじゃねえか。“主体を「認識する者」や「行為する者」と言う事自体、言葉によって客体化することで矛盾するものにしかならない。”ってこたあ、オメエさんの持ってる辞書にあった「主体とは行為・作用を他に及ぼすもの」ってのも矛盾でしかねえんだよな。』

○H○
もちろん、“ただ主体は〜”以下の部分は辞書には書いてはいないし、辞書を元に、私が考えたことではあるが、辞書に基づいたものだ。
辞書はただ主体を客体化させてしか説明することしかできない。主体は認識された(客体化された)時、それは主体ではなくなるが、客体化されなくては、言葉によって説明することはできない。つまり辞書は矛盾しているが、主体を説明する時、それは主体を客体化することでしか説明できない為、やむをえないことだと思っている。あなたが言う「気付くことに気付いて初めて、気付くこととその何かが区別出来んだよ」と同じ様なニュアンスだ。


>『今度は言葉の所為かい。“それは矛盾した表現方法だが”仕方がねえ訳だ。“〜という言い回しを主にしているだけ”なんだから、あんまり気にすんなってことかい。“言葉による議論というのはそういうものだ”って仰るんだな。
ハッキリ言って話になんねえなあ。言葉が“言い回し”に過ぎねえんだったら、今までの対話もオフザケ程度のもんってことになんのかい。ヤレヤレ・・・。』

○H○
主体を客体化することは矛盾したものでしかないが、言葉を使って相手に説明するには、客体化してしか説明できないということだ。
あなたが、それを理解しようとしない(またはできない)のではないのか?理解できないあなたにとっては、それがオフザケ程度になってしまうということだ。


>『オメエさんの言いてえこたあ分かってるよ。作用と客体を分離してえだけさ。どうやったらそれが分離できるのか、その手続きにゃお構いなしよ。
“気付く”ってなあ何かに気づくってことよ。気づくこととその何かはまだ区別されてねえんだよ。それが区別できんのは、気付くことに気付いた後だよ。気付くことに気付いて初めて、気付くこととその何かが区別出来んだよ。その区別が出来た後、作用だの客体だのって話が始まるんじゃねえかい。』
>『オメエさんか前提にしたがってるだけだよ。そもそも観るとか知るってなあどういう事なのかを考えてるはずだったぜ。認識の論理的なプロセスを考えることで作用だの客体だのが少しずつ見えてくるんじゃねえのかい』

○H○
私は、作用と客体を分離したいということではこれを書いてはいない。対象(客体)として存在することの成立条件をただ書いているだけだ。
あなたの言いたい事は分かっているつもりだ。「主体―作用―客体」とそれぞれを区別するには、気付かれること、つまり客体化されることでしかできない。
だから何だと言うのか?
あなたが、これを書いたのは、私の書いた「客体と作用があって何故、主体だけが無いのだろうか?」そして、「作用と客体だけが在るというのは、理解ができない。どういう場合(シチュエーション)か教えてほしい。」というのを受けて書かれたものだ。
あなたは上記を書いたことによって、「(成立要件として)主体がなく作用と客体だけがあるという関係性」若しくは「(成立要件として)主体がなく作用もなく客体だけがあるという関係性」の状況を説明する為に書いたのではなかったのか?
だから、あなたの書いたことだけでは成立したことを意味してはいないと書いたまでだ。
気付く事(客体化する事)でしか区別できないのだから、「主体―作用―客体」を前提にさせるなというような事は理解はできるが、既に言葉によって「主体」と「作用」を客体化させた私の書いたものに対する応答としては矛盾した回答にしかならないのではないのか?さらに遡って事の発端をよく読んでみるといいだろう。


>『客体に気付いたなんて言った覚えはねえよ。オメエさんが勝手にそう言ってるだけよ。オメエさんってお人は、主体-客体以外は理解不能みてえだなあ。』

○H○
私が「客体に気付いた」と書いたのは、あなたの書いた『要するに、作用に気付く前に内容に気付き、内容に気付く前に存在との区別に気付くってことだあな。〜(中略)〜、意識や思考は、先ず外部に対して作用し、次に、そうして獲得した意識内容や思考内容に作用してこれを整理し』に対して私が書いた『客体(対象・内容)に気付くということそのものが、既に作用があることを示しているではないか?』ということ。そしてそれに対するあなたの応答である『落ち着いて考えりゃこういう事じゃねえかい。先ず、気付いた。次に、気付いたということに気付いた。取り敢えずはそこまでよ。』という一連の流れから来ている。また『有るのは先ず対象よ。全てはそこから始まってんのよ。』とあなたが書いているのも、参考としている。
また、『有るのは先ず対象よ。』はあなたが「対象」が有ることを“前提として”捉えた認識ではないのか?


>『ついでに言っとくが、“気付いた”というのが、既に「気付くではない」という作用を知っていることを意味したりゃしねえし、“対象(客体)”と言うことが対象(客体)以外のものを知っていることにもならねえよ。酒を飲みてえって言う野郎が、酒を飲みたくねえってことを知ってるたあ限らねえようにな』

○H○
「気付くではないという作用」とは、「気付かないという作用」ということではない。つまりあなたの例で言うなら、「酒を飲みたくねえという作用」ではなく、「酒を飲みてえではない作用」だ。「酒を飲みてえ」という欲求以外の作用を知っているから、「酒をのみてえ」という欲求を選択できるのではないのか?あなたの言っていることは、既にその欲求の選択をした後に、それが習慣化・中毒化し、頭の中がそれ一杯になったような状態を言っているだけだ。


>『思考と認識ってなあオメエさんの考えてるような狭苦しいもんじゃねえよ。何しろ、知り得ない形而上的議論だってやろうと思やあ出来るぐれえなんだぜ。その上、そんな議論は不毛だから止めた方がイイってえ判断だって出来るんだ。舐めちゃあいけねえよ。
表現できなくても経験は出来るし、経験を反省し何かを掴むことは出来るし、掴んだものを整理して再構成し言語化することも出来る。そうして出来上がったのが認識ってんじゃねえかい。知るとは何か、観るとは何か、そう簡単なこっちゃねえよ。 』

○H○
形而上議論ができないとは書いてはいない。知り得ないから形而上議論にしかならないだろうと書いたまでだ。


『オメエさんの話は、全てが出来上がった後の、しかも、何とか作り上げた認識をそのまま事実と思い込んだ子供みてえな議論よ。形而上的って言われたもんで、その言葉をそのまま相手にぶつけるなんてえとこも子供だぜ。』

○H○
事実というのは人それぞれだ。あなたにとっては、「有るのは先ず対象よ」というのが事実ではなかったのか?
まあ、このすぐ下で「意識内容(対象)は思考の産物」と語っているから、あなたの事実はコロッコロと変わっているのだろう。それについて一貫性を持ってほしいなどとは思ってはいないし、あなたの事実はこうでなくてはならないというといったような理想を押し付けることもない。
また、あなたは子供みたいな事を恥だと認識しているということか?
自己を何者かであろうとするあなたらしい発言だなあとは思っている。(これはそれを言う事が悪いということではない)


>『じゃあ、こう言い直そう。オメエさんの言うとおり客体も無いのさ。そいつぁ客体じゃねえんだ。意識内容や対象的存在ってなあ客体じゃなくて意識や思考の産物なのよ。もちろん、産物っつってもいい加減な想像じゃねえよ。経験から生まれるもんよ。意識内容ってえぐれえだから、コイツが客体じゃねえってなあ特に説明も要るまいよ。経験に基づいて作られたイメージ(像)よ。』
>『分かり難いなあ対象的存在だよな。こいつぁ思考の産物よ。但し、意識内容に基づく思考の産物ってことよ。意識内容ってなあ決して単一で瞬間的なもんじゃねえ。そういう面も無いわけじゃねえがそれだけじゃねえ。早え話が様々な内容を含んでるってことよ。で、その様々な内容から、そうした意識内容をもたらしたものが意識とは別に存在していると考え付くのさ。ソレが対象的存在よ。』

○H○
意識内容でも思考内容でもなんでもいいが、それが対象として見られればそれを客体と言うのではないか?
幻覚や夢の産物であっても、それが見られれば、その状況の中(その世界の中)においては現実感を帯び、客体となる。


>『 すげえじゃねえか。で、その存在を確かめようと、赤ん坊なら手を伸ばすだろうよ。対象物に触ることで新たな意識内容がもたらされる。対象的存在を確認する。しかし、そうは言っても、対象物の全てを把握したわけじゃねえ。おそらくソコに在るんだろうって思うぐれえさ。全貌は依然として謎のままってことよ。ココまで来て初めて客体が見出されたってことになるんじゃねえかい。』

○H○
で、要するに何が言いたいのか?
あなたの世界観は「すげえじゃねえか」と同調してもらいたいのか?


>『オメエさんの言い方だと、生に気づくにゃ死を知ってなきゃいけなくなるよなあ。まだ死を知らねえのに、生を知ってるって言っちゃあ間違いになるんだな。しかし、死に気付くにゃ生を知らなきゃいけないんだよなあ。一体どっちが先なんだい。そうか、両方一度に知るしかねえんだ。片っぽだけじゃいけねえんだな。何しろ、相対的なことの成立条件だからなあ。』

○H○
ここでは、主体と客体の関係性について言っているだけだ。全てが「生」なのに、なぜそれを「生」と気づくのかということだ。全てが「死」なのに、なぜ「死」と気づくのかということだ。
また、それはどちらが先ということではなくて、どちらを「生」や「死」と決めたのかという問題だと思っている。
客体である「死」(若しくは「生」)に気づくには、主体(自己)は「死ではない」(若しくは「生ではない」)ということでなくては成り立たないと思っているし、それを知ってなくてはならないとも思っている。(いわゆるアプリオリな知識のようなものかもしれない)。
そして主体(自己)を、「死ではない」(若しくは「生ではない」)ということを意味する為に、相対的に「生」(若しくは「死」)という言葉(観念)を作り出し、主体(自己)を客体化して見出していったのだろうと思っている。
つまり自己と対象の区別が起き、そして自己を客体化することによる自己同一化現象によって、客体の中に相対的な現象が生まれ、そして作用の多様性と同じ様に客体も相対的に多様化して言ったのだろう。


>『オイラは形而上を知ってるさ。知らなきゃその言葉は使えねえだろう。オメエさんの真似して辞書を引用しようかな。オイラの辞書にはこう書いてあるぜ。「時間・空間を超越して、感覚を通してでは存在を知ることのできないもの。」
オメエさんは、形而上ってえ言葉を使う者は形而上的だって言いてえようだが、そうなると辞書を書いたお人も形而上的ってことになるのかい。ソコまで言うつもりはねえんだろ。そうだよなあ。言葉とその意味を知っていることが、言葉の意味する事柄の実在性を信じていることにゃあ繋がらねえからな。
同じように、形而上って言葉とその意味を知ってその言葉を使うオイラは、言葉の意味する形而上的存在の実在性を信じてなんかいねえし、そんな主張をしてもいねえ。そんなオイラのどこが形而上的なのかねえ。』

○H○
私はここの箇所に於いてあなたを形而上的としてはいない。ここの個所をあなたに伝わり易いように、分かり易く言い換えるとするなら、
「私が主体や自己や死や無と言った辞書等でしか知り得もしない言葉を使うことで、あなたは私を形而上的と言う事を言っているのだろうか? ならあなたも辞書等でしか知り得もしない形而上という言葉を使うが、そんなあなたは形而上になるのではないか?」
と言ったところだ。あなたが形而上的で無ければ、私も形而上的では無いということだし、辞書を書いたお人も形而上的では無いということだ。それでいい。


>『オメエさんの読解力にゃ感心するよ。“決して知られるものでも観られるものでもない”ってえオメエさんの表現を根拠にして、オイラは形而上的ってえ言葉を使ったつもりだがなあ。オメエさんがその表現で言い表そうとしていたなあ客体化出来ねえ主体(自己)じゃなかったかい。ソレを形而上的だって言ったのさ。
そんな議論をしているオメエさん自身を形而上的であるなんて思っちゃいねえよ。少なくともオイラの方はな。思ってるとすりゃオメエさんの方だろうぜ。自己について“決して知られるものでも観られるものでもない”なんてことを仰るんだからな。』

○H○
私が「主体(自己)は、決して知られるものでも観られるものでもない」とだけ書いたとすれば、それは何の事だかわけがわからないだろう。私はそれを書く前に説明書きを入れたはずだ。
あなたが私を「形而上的エイリアン」と決め付ける前に、私が書いたものはこれだ。
『私は、自己としての「あなた」が知るものはどれも「あなた」ではなく、その知る者こそが「あなた」だと言っている。<〜中略〜>、自己意識をあなたが知る時、その自己意識はあなた(自己)ではなくその知る者があなた(自己)であり、そして、その自己意識を知ったあなた(自己)を、さらにあなた(自己)が観察する時、その観察者があなた(自己)なのだと。そしてその観察者であるあなた(自己)をさらに観察する時、観察者を観察する者があなた(自己)なのだと。これは果てしなく続くだろう。そしてあなた(自己)は決して知られるものでも観られるものでもない。』
これのどこが形而上的だと言うのだろうか?
もう一度辞書に書いてあることをここに書いてみよう。
「【主体】行為・作用を他に及ぼすもの。⇔客体。」、・・・つまりこうだ。
主体(自己)は、行為・作用を他に及ぼすものである。そして主体は、行為・作用を及ぼされる対象であるところの客体ではない。
そして「行為・作用」を「知ること・観ること」に置き換えれば、こうなる。
主体(自己)は、知ること・観ることを他に及ぼすものである。そして主体(自己)は、知られるものでも、観られるものでもない。
つまり、私が書いていることと同じことを意味しているだけだ。


>『要するにオメエさんの頭ん中あ混乱してんのさ。“否定でしか言い表すことしかできない”モノについて考え始めたら訳が分かんなくなっちまったのさ。オメエさんに限ったこっちゃねえよ。形而上的なものについての議論ってなあそうなっちまうのよ。だから、そうなるのを避ける為に形而上的議論はやらねえことになってんのよ。
“「死」も「無」も知らない”くせに“「死」と「無」というものの言語的意味と、その表現方法は知っている”なんてえ言い逃れをするハメになっちまうのよ。結局、観念をいじくり回してるだけってことになるのさ。』

○H○
それは「死」や「無」を辞書に載っていることのように知っているということだ。ただそれを体験を通しては知ってはいないし、知り得ないということだけだ。


>『そう思っていなさる御方が何で掲示板に投稿なんかなさるのかねえ。 』

○H○
私が投稿したのも、言葉における議論の問題点をあなたが容易に理解できると踏んでのものだがね。
まあ、私の言説に対するあなたの決め付けを紐解いていくという作業が主となっているあなたとのやりとりに、私の思考がそろそろ飽きてきたとこだし、長期滞在型の旅行(休養)にも出かけるので、この辺りが潮時だろうな。この投稿で私は失礼させてもらうよ。


>『それに、あやふやな討論に終わらねえ為か何か知らねえが、あらかじめ勝手に公式を決めて懸かるってなあ対話のやり方じゃねえよなあ。オメエさんの頭ん中の都合に突き合わされちゃ叶わねえや。
「主体-作用-客体」こそが、オメエさんの本当の関心事なんだろうなあ。その公式でモノゴトを割り切っちまいてえ理由が何かおありなんだろうよ。』

○H○
あのねえ。あらかじめ勝手に公式を決めて対話に入っているのではなく、あなたの「主体だの自立だのって偉そうな事言わずに・・・」という最初の「主体」という言葉を受けて「主体」という言葉を使い、そして次の投稿において、「客体」という言葉が登場し、その次の投稿の時に、ようやく「作用」が登場し、「主体-作用-客体」という関係性へと掘り下げて行っただけだ。それも「個として成り立つには」と条件付けして関係性を取り上げただけだ。
それよりも、「主体-作用-客体」という関係性に対してのあなたの過敏なまでの反応の方が私は気になっていたがね。
まあ余計な想像だが、「主体-客体の区切りはナシ」というあなたの言葉から、「主客一体」とか「主客合一」とかいったものに感化されたり憧れたりして、そして生きて死んで行くという観念に縛られたあなたが、それを盲目的に前提とさせて強引にこじつけようとしているのではないかとさえも感じたがね。

 次へ  前へ

  拍手はせず、拍手一覧を見る

▲このページのTOPへ HOME > 雑談専用19掲示板


  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。