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(回答先: システムの崩壊と再構築がありました 投稿者 まとはずれのおせっかい 日時 2006 年 7 月 10 日 00:03:00)
難しいとこだよな〜。
>システムの変更だけでは、うまくいきません。心、意思、主体性、気持ち、何でもいい、、個々人の能動性がないと、歴史は「新しい衣をまとって」繰り返すことを危惧します。
個々人ってとこが肝心だよな。システムじゃねえんだよな。世界を覆うシステムとかいうヤツをコケにしてやろうってわけだが、そいつが一筋縄じゃいかねえんだよなあ、ウン。
だから、能動性ってのにはチョイト無理がありそうな気がするぜ。ウッカリすりゃ相手の罠にはまっちまう心配もあるしよ。むしろ受動性じゃねえかって気がすんだがどうなんだろう。進んで何かをやろうってんじゃなくて、嫌なことはお断りって感じの受動性よ。
言葉のアヤで言ってんじゃねえよ。内にこもるって言うか、まあ、引きこもりだわなあ。引きこもりを悪く考えねえことが肝心だよ。悪く考えちまうから鬱とかになんじゃねえのかなあ。今はやりのニートなんてのも悪くねえと思うぜ。
たしかに歴史は勝手に繰り返すかも知んねえが、打っちゃっとってもイイんじゃねえか。
>システムの崩壊と再構築がありました、61年前の話です。
どんなシステムも崩壊するときゃ崩壊するってことだろうさ。そん時に、再構築なんてことを考えねえ方が良かったってことだよな。
だが、61年前は再構築しちまったんだよなあ。民主ニッポンという新しいシステムを建設しちまったわけだ。
>なぜ「平和が大事なのか」を個々人がつきつめることなく、それは憲法違反だからだとか、社会主義になればすべてが変わる、そうした「超お気楽」な「システム信奉」そして、「おれは、庶民だ」という言葉での責任回避が、今の「危うい世の中」のかなりな部分を作ったと思います。
まあ、そうかも知れねえし、そうじゃねえかも知れねえよ。システムなんてモンが庶民の思い通りになったためしはねえし、自分のもんでもねえものに責任を負わなきゃいけねえ謂われはねえだろうよ。
システム信奉つったって、上からのしかかって来やがるんだから否も応もねえじゃねえか。せいぜい、憲法違反じゃねえかとか、もし社会主義ならなあとか言って、気い紛らわせるしかなかったんじゃねえのかなあ。
なぜ平和が大事なのかなんてこたあ突きつめるまでもねえ、一目瞭然の当たりめえのことよ。今の危うい世の中を作ったなあ金儲けの亡者どもなんじゃねえか。連中の責任は放っといて一億総懺悔じゃ、61年前とおんなじよ。
>そうした「経験」なり、「体験」なりが、自らの中で、平和への意思の構築という、高い次元で意識化されることなく、いまや、にっちもさっちもいかないとこまで来てしまったという印象を受けるのです。
あんがい、高い次元で意識化できずに良かったのかも知んねえよ。高い所ってなあ上りたがる奴も多いし、そうなりゃ競争も激しくなるじゃねえか。見事目標達成した皆さんは、その事を鼻にかけて人を見下しやがるしよ。この阿修羅にだってウヨウヨ居そうだぜ。
でえいち、にっちもさっちも行かなくなってんのはシステムの方じゃねえのかい。今じゃ戦争の口実を探すのがてえへんらしいじゃねえか。有りもしねえことをでっち上げて何とか辻褄合わしてるってのが本当なんだろ。そんなもんどうってこたあねえと思うがなあ。
いろいろ茶々を入れちまったが、悪気はねえんだって思っとくんな。システムじゃねえ、個々人だってお説にゃ賛成なんだからよ。ただ、「システム変更後の社会自体も、個々人の能動性が必要とされるような社会にしたい」なんて仰る方もおいでなさるんで、そんなのは御免被りたいと思っただけよ。