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システムの崩壊と再構築がありました、61年前の話です。
スポーツ新聞のプロレス欄のような勇ましい戦争記事を書いていた、新聞記者たちは、ある日突然、平和日本、民主日本を書き始めました、「ナンとかスポーツ」の記者ではありません、いまでも日本を代表する「一流」新聞社の記者たちです。
「愛国必勝ミサ」(決起大会ではありません)を主宰していた宗教者たちは、何事もしなかったかのように、戦後、心の平和の使者として、活躍しました。
一億総懺悔という言葉で、個々人の責任を、すべてを「一様に」チャラにしたのです。そして、民主ニッポンという新しいシステムの建設です。
生徒を戦場に送った、教師の中には、敗戦とともに、職替えをしたものもいたようです。まだ「世に多少の影響力を持ってたころ」の日教組のスローガンの中に、「教え子を戦場に送るな」というのがありました。
これは、かれらの、悔恨の中から生まれた言葉だとおもいます。
私の世代の親たちの多くは、その兄弟を、中国、フィリピン、沖縄で失いました。
前置きが長くなってしまいましたけど、
そうした「経験」なり、「体験」なりが、自らの中で、平和への意思の構築という、高い次元で意識化されることなく、いまや、にっちもさっちもいかないとこまで来てしまったという印象を受けるのです。
なぜ「平和が大事なのか」を個々人がつきつめることなく、
それは憲法違反だからだとか、社会主義になればすべてが変わる、そうした「超お気楽」な「システム信奉」そして、「おれは、庶民だ」という言葉での責任回避が、今の「危うい世の中」のかなりな部分を作ったと思います。
システムの変更だけでは、うまくいきません。心、意思、主体性、気持ち、何でもいい、、個々人の能動性がないと、歴史は「新しい衣をまとって」繰り返すことを危惧します。