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(回答先: 近代的自我の描き出す幻想世界(自立、共同体、家族、超人) 投稿者 天蓬元帥 日時 2006 年 7 月 07 日 12:02:06)
天蓬元帥さん初めてレスをします。私も現在書きかけの文章がありますので、少しのあいだのお付き合いですが宜しく。
>暴力と縁切るにゃ、所有を放棄し、主体だの自立だのって偉そうな事言わずに自身の現実を受け入れるしかねえんだろうな。共同体や家族なんぞを口実にするのも止めた方がイイよな。要するに、ちっぽけで哀れな自分を直視して精一杯生きることだあな。そうじゃねえのかなあ。
私は所有を放棄するということには反対があります。人は文明がどのように発達したとしても所有つまり私有欲を一切無くすことは出来ないと考えます。現在の社会を考えた時、確かに一面では所有が問題になるかと思いますが、その裏にあるものを見落としているとみています。
そこで現在の所有形態は物ではなく貨幣(通貨)を多く持っているか少なく持っているかという相違しかありません。貨幣は市中に投入された時点で全体的な均等になってると考えた時、その均等性が崩れた時(多く持つ者と、持たざる者)持たざる者は失業という結果で貨幣を持てなくなるといえます。より多く持つものが現れればその結果として持たざる者が多く現れます。それが不況という現象になります。そこである人が考えたことは多くを持っている者から金利を出して借り入れるという公式が現在成り立っています。借り入れた貨幣は再度不況対策として市中に落とされますが、その中間に口を開けて待ち受けているのが銀行です。
私がここで書いたのは分りづらい抽象論ですが、あなたも分りづらい抽象論でしたのでおあいことしてください。
ただ私が言いたいのは私有が問題ではないということです。