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(回答先: 近代的自我の描き出す幻想世界(自立、共同体、家族、超人) 投稿者 天蓬元帥 日時 2006 年 7 月 07 日 12:02:06)
評論インタビュー:アレクサンドル・ソクーロフ監督『太陽』(2004)
投稿者:miyadai
投稿日時:2006-07-06 - 20:22:55
カテゴリー:お仕事で書いた文章 - トラックバック(0)
●イッセー尾形は「うまくやった」
ーー 今回はソクーロフの『太陽』をごらんいただきましたが、まず第一印象は?
宮台 あたりさわりのない部分からお話しすると、「イッセー尾形はえらい」というのが第一印象ですね。イッセー尾形はデビュー当時から注目してきたのですが、一人芝居の形態模写が得意なので、観る前から「どこまで天皇を再現するのか」に興味がありました。というのは、似過ぎていれば、似過ぎていることが笑いをとってしまうからです。これでは不敬です(笑)。この問題をどうやってクリアのかに大きな関心がありました。
実際に観てみた印象は、「うまくやったな」ということですね。彼であれば、もっと忠実に昭和天皇に似せることもできたはずですが、似せる部分を限っていましたよね。風貌についても、メイクなどで似せるような仕掛けを排除しています。名優ブルーノ・ガンツが『ヒトラー最後の十ニ日間』で見せた演技とは全く違う形です。喋り方もイッセー尾形の素の部分をあえて変えていなかったでしょう。
そうすることで、口をパクパクさせるしぐさや、立っているときの佇まいなど、作品的な人物造形からみて不可欠な部分にだけ、似せるポイントを絞り込んでいました。おかげで、似すぎるがゆえのギャグ映画にはならず、全く似ていないがゆえの昭和天皇と無関係な外国映画にもならずに済みました。この絞り込みは、かなり脚本を読み込まないとできないはずです。そこが実にえらいなと思いました。
もちろん当たり前ですが、天皇を演技すれば、日本本国では政治的観点から批判される可能性が出てきます。その意味で、非常にリスキーな出演依頼を引き受けているわけです。そのことだけでもじゅうぶんに尊敬に値するのですが、そこについてはイッセイ尾形の自信や矜恃を感じ取るべきかもしれません。『トニー滝谷』でも、彼がそこにいるだけで場の空気感が決まるというタイプの演技を披露していましたが、今回はその応用編でした。
●マッカーサーの受けた「強い印象」
『マッカーサー回想録』でも紹介されている、昭和天皇とマッカーサーの会見については、天皇ご自身がマッカーサーとの「男の約束」で喋らないと決められておられたようですが、どんな会話がなされたかと誰もが興味を持つ部分について、多分そうした会話がなされたのだろうと思うような会話を、映画はうまく「再現」していました。もちろん記録がないのですから、昭和天皇が当時置かれた立場を緻密に分析していることが分かります。
この『太陽』という映画は、敗戦後わずか数週間の話であるけれど、そこではストーリーという「時間性」ではなく、昭和天皇が置かれていたポジションという「空間性」が問題になっています。そこには、天皇自身を危機に陥れる戦争責任問題や個人的実存問題が関わります。さらには、アメリカが戦後統治上の観点から天皇に採らせたい立ち位置の問題も絡みます。さまざまな力の線が錯綜する場という意味での空間性です。説明しましょう。
有名な話ですが、マッカーサー自身は、他の戦争当事国と同じく、天皇に戦争責任があると考えていました。だからこそ「特赦」という形で免責したのです。免責した理由は、戦後日本を統治する上での便宜です。そこにはアメリカの学者たちが戦争直後から日本研究に駆り出されて見出した成果が反映しています。そこでは革命勢力こそが「玉(天皇)」をとることで正統性を樹立するという、歴史的に反復された形式が参照されています。
外から見る限り、昭和天皇による「人間宣言」が、マッカーサーによる「特赦」と、バーターになっているように見えます。『回想録』を読む限り、昭和天皇が命乞いをして「だったら人間宣言しろ」と取引条件を提示されたのではない。自身で戦争責任を感じ、「人間宣言」を嫌がらないような存在だったことに「強い印象」を受けたマッカーサーが、学者たちの忠言通り、天皇を処刑するどころか、退位もさせないということにしたようです。
会見時、マッカーサーが具体的に何から「強い印象」を受けたのか。そのことが「歴史上のキモ」でもあるのですが、それを「映画上のキモ」に据えるという点、ソクーロフを初めとする映画スタッフが良く調査をし、うまく「再現」しているように思います。ソクーロフ自身は、これはドキュメンタリーではなくて芸術映画だと言いますが、ドキュメンタリー的な再現だと考えても良いほど周到な分析が施されています。
マッカーサーが何から「強い印象」を受けたのか。その同じ印象を映画体験として観客に供給することが、映画の目標でしょう。だから芸術映画なのだとソクーロフは言うのです。例えば、昭和天皇が、背丈が小さく、猫背で、チャーリー(チャップリン)に似ている。外国人記者たちが今的に言うなら「カワイイ!」と感嘆する。あれほど恐れられた昭和天皇がそうした佇まいであることが、「強い印象」の一部を構成しているでしょう。
北一輝的に言えば土俗の生神様信仰を象るのと同じ現人神が、今的に言えばどう見ても「生物オタクの人間」にしか見えないということも、「強い印象」の一部を構成するでしょう。また、これも「歴史上のキモ」になりますが、ご自身がどれほど望んで天皇というポジションについておられるのかということも、「強い印象」の一部を構成するでしょう。そうした「歴史の狡智」を、うまく描いていると僕は思います。
そこには、ある種の奇妙さと、滑稽さと、悲しさと、奇跡的印象が、同時に漂います。それは実に「不思議な感覚」です。この「不思議な感覚」をうまく描き出していたと思う。 であるがゆえに、戦後語られ続けてきた天皇の戦争責任論の相対化に成功しています。戦争責任がどうでもいいということではなく、そうした単純化された議論には収まらない何かが、ことの背景にあるという直感を、ソクーロフ自身が抱いているのが分かります。
ソクーロフ自身は「責任があると言えばあっただろう。全ては血液の循環のように回っていて、その循環の一角を構成していたことは明らかなのであるから」と言います。それで言えば、側近にも国民にも、例えば戦争を最も翼賛した朝日新聞にも責任があるわけで、天皇だけに責任があったとは到底言えない。天皇の戦争責任論は、A級戦犯論とよく似て、誰を免罪して誰に責任をとらせるかという便宜的な政治決定のニュアンスが強いのです。
初期ロマン派的な芸術論に従えば、芸術の機能は、謂わば通過儀礼の如きもので、ソレを経由すると同じ現実がなぜか以前とは違ったニュアンスで経験されるようになる。例えば〈社会〉で悪だとされるものを、作品でも同様に悪だと裁断するならば、〈社会〉の追認に過ぎません。そうでなく、〈社会〉の底を踏み抜き、〈世界〉と接触した場所から、事物を再解釈するのが、芸術です。その意味で、この作品は紛うことなき芸術でしょう。
●天皇は別の仕方で振る舞えなかったか?
宮台 近代の責任概念はもともとカントの人倫論(『実践理性批判』)の構成です。別様の行為可能性、すなわち他行可能性との引き比べですね。これには厳密には二つの局面があります。一つは、「当事者がその場その時に別様に振る舞えなかったか否か」という反実仮想です。当事者が別の仕方で振る舞えたのに、そのように振る舞ったことについて、我々は当事者を批判できる、とする思考図式です。
もう一つ重要なことは、「(当事者としての当事者が別様に振る舞えなかったにせよ)当事者と同様な立場に置かれた別の人間──例えば僕自身──なら別様に振る舞えなかったか否か」という反実仮想です。他の人間ならば別の行動をするはずなのにその人間だけがその行動をしなかった場合には、やはり他行可能性があるものと見做されて、その当事者が責任を果たさなかったと批判されることがあり得るのです。
以前僕が優先路上を運転している時、一時停止標識を無視したタクシーが側面後方に衝突しました。どう考えても全面的にタクシー側が悪いのですが、判例的には有責比率は9対1で、僕にも1の責任があります。これは僕ないし同じ状況に置かれた他人が、絶対に衝突を回避できなかったとは証明できない(他行可能性があったかも知れない)という理路です。これは、因果的了解とは別物の、極めて高度なシンボリックな了解です。
高度にシンボリックな了解なので難しいのですが、この映画を観た多くの方が思うのは、天皇にそうした他行可能性はなかったのではないかということです。終戦の詔勅はもちろん天皇の決断によってもたらされました。あるいはマッカーサーとの会見も彼の決断によってなされました。それをもって、「ほら見ろ、昭和天皇にも選択肢があったじゃないか、天皇が別様の決断をすれば、負け戦をせずに済んだじゃないか」と言うことできます。
ただ十五年戦争期、昭和天皇が上奏されていた情報が非常に偏ったものであったことはよく知られています。装備についても、戦略についても、戦果についても、陸軍もしくは海軍にとって都合のいい情報しか上奏されていなかったのです。そうした状況のもとで、「別の人間であれば別の決断ができた」ということは、抽象的には可能に見えて、現実的には全く不可能だっただろうとと僕は思います。
一九四一年に戦争を始めて、半年後のミッドウェーで戦況が怪しくなり、そこから更に三年も戦争を続けます。ミッドウェー海戦以来、海軍は出鱈目の戦果報告をするようになりますが、作為もさることながら、戦果確認さえできない素人搭乗員が増えたことも大きい。こうした状況下、御前会議に出ている陸海軍上層部の述べることを材料に、「これでは敗戦は必定、いつ手仕舞いに入るかだ」と天皇だけが気づくのは不可能だったでしょう。
開戦責任についても最後に述べますが、日本人としての我々が観て感心するのは、我々がそういうことを議論をする場合に踏まえるべき「ある種の感覚」を、非常に上手く「再現」していること。背景には、ソクーロフ自身が歴史に対するアイロニカルな感覚があると思います。彼の発言にもあるように、歴史上の節目節目に重大な決断をする君主や支配者の実存的なあり方についての受け止め方についてのアイロニカルな歴史観です。
ソクーロフと沼野充義との対談で面白かったところは、先ほど申し上げたように、一方で、歴史が支配者の個人行為に偶発的に依存する(という意味で責任を問い得る)ように見えつつ、他方で、その支配者の責任を周囲のコンテクストから切り離して取り出すことができないという指摘です。抽象的には他行可能性があると見えて、具体的には他行可能性があると見えないという「不思議な感覚」。
幾らでも回避できそうに見えるという偶発性の感覚と、どうにも回避できないという必然性の感覚とが、短時間のうちに玉虫の羽根の色のように交替して人を襲うという「不思議な感覚」。偶発的だと思えば相対化され、必然的だと思えば相対化される「不思議な感覚」。これを僕は「アイロニカルな歴史感覚」と呼んでいます。これを描く芸術表現をもって、「昭和天皇を免罪した」とか、逆に「尊厳を毀損した」というのは、見当違いです。
こうした「不思議な感覚」ゆえにこそ、そこから先、責任を負うにしろ負わせるにしろ、責任問題の決着は、政治(集合的決定)の問題になるのです。所詮、人間は誰しもちっぽけな存在です。そんなちっぽけな存在が政治共同体の運命を一身に担わされてしまうことがある。ちっぽけな存在だから情報も経験もない。そんな彼がサイコロを振るようにして決断をなす。その結果の責任を問うても良いが、「不思議な感覚」を忘れるべきじゃない。
●天皇のスゴさとは何か
ーー 近年宮台さんはしばしば天皇に関して言及されますね。端的にいうと「天皇はスゴイ」と評価しておられるわけですが、どのようなところがすごいとお考えなんでしょう?
宮台 世代的というより個人的な理由かもしれませんが、僕は小室直樹先生に当時の今上陛下がどんな帝王学を受け、欧州留学から何を学び、どんな政治体制の下で何に縛られ、何にコミットしようとしたのかを、教わってきました。ソクーロフ自身が語るように、自分が開戦した戦争を自らの決断でやめ、マッカーサーの所に出かけて自分の首を差し出すというような振舞いは、他人にはできません。それを小室先生から繰り返し学びました。
それを可能にしたのは二つの要素の絡み合いです。一つは、彼自身の並はずれた教養。立憲君主制とは何かについての教養ゆえの自覚がありました。立憲君主制は、文面はどうあれ大日本帝国憲法の本義です。君主は「君臨すれども統治せず」。彼はこの原則をできるだけ貫徹しようとした。だがもう一つ、そんな彼から見て、臣下や学者連中も含めて立憲君主制の本義を弁えた者は、御前会議に参加する面々においてすら極く僅かでした。
立憲君主制の本義を踏み外さぬ範囲で、如何にして些かも本義を弁えぬ浅はかな君臣どもに、浅はかな振舞いを思いとどまらせるか。昭和天皇はそうした工夫をしておられました。これは、深い教養を持つ者が圧倒的大多数の無教養者どもに囲まれているがゆえに負わされる苦役であり、この苦役は平成の今上陛下も負わされておられる。朝鮮半島との関係をめぐり、日の丸・君が代問題をめぐり、陛下の発言に滲む苦渋に打たれるべきです。
マッカーサーに対する昭和天皇の「国民には罪はない、私の責任を問うて欲しい」という発言。これは今申し上げたような意味で彼が苦労して依拠しようとしてきた立憲君主制の、本旨に反します。国民の言うことを出来る限り追認し、立憲君主制の本義を貫徹しようとした陛下ご自身が、馬鹿放題を噴いた国民たとえば朝日新聞には罪がなく、自分に罪があるとお述べになる。その朝日新聞が天皇の戦争責任を云々する。滑稽という他ない。
そこに僕は昭和天皇のキャクラターを見出し、感銘を受けます。マッカーサーやソクーロフが「強い印象」を抱いた当のものです。あと、昭和天皇に生物学をご進講申し上げていたのが僕の祖父であり、祖父の仏壇に飾られた勲章を幼少期から眺め続けてきたという個人史もあるかもしれない。いずれにせよ、維新以降の歴史どころか、戦後の民主化の歴史を振り返るにつけ、「田吾作の天皇利用、ここに極まれり」という観があるわけです。
憲法の一条から八条に、天皇の地位や国事行為が言及されています。巷では「天皇の公務」という言い方がありますが、統治権力が国民に対して負う憲法上の義務遂行を公務と呼ぶならば、天皇には公務はない。一条に規定される通り、天皇は統治権力ではないからです。すると、三条から七条までの国事行為に関する規定は何なのか。これは統治権力が天皇にお願いすることが許される行為を列挙したものと解されるべきです。
すると面白いことが分かります。統治権力からお願いされた行為を現に天皇がなすか否かは、天皇次第なのです。とすると、日本国憲法が象徴天皇制を規定するという言い方は、ミスリーディングです。象徴天皇制に見えるものが回わるのは、天皇が統治権力のお願いを事実として聞いて下さっているからです。象徴天皇制は「制度」ではなく、天皇の事実行為によって支えられた具体的過程に過ぎない。つまり象徴天皇制は陛下の御意なのです。
世襲の規定も統治権力が天皇として扱って良い対象を規定するのみで、天皇が統治権力でない以上は天皇への命令だと解することはできません。世の中には憲法や皇室典範に退位や離婚の規定がないことをもって退位や離婚ができないとする田吾作が溢れますが、法律というものへの無知を晒します。規定がないならば自ら退位するとか離婚するとか宣言すれば、それで終わり。現に退位や離婚を宣言されないという事実行為が地位を支えます。
婚姻の自由、職業の自由、移動の自由、政治の自由(参政権/被参政権)など人権という人権が悉く制約されたお立場でありながら、天皇という地位を放棄せず、一定の事実行為を行い続けることで象徴天皇制の如き「制度モドキ」を制度に見えるように支えておられる。しかも「臣下」は、宮内庁の役人から自称他称の保守政治家や保守論壇人まで含めて馬鹿ばかり。今上陛下を見るにつけ如何に無茶苦茶なボジションなのかが分かります。
そのようなヘラクレス的立場に人知れず耐えておられること自体が信じがたい。割が合わないではありませんか。幕藩体制以降、幕府にとっての朝廷とは「利用したい時にだけ利用する」ものでした。もちろんそうやって利用されることで朝廷は延命を図ることができた。かくして初めて歴史の歯車が噛み合って回ったのであり、今日でいう万世一系があり得たのです。自分が天皇になろうとした人はいても、廃絶しようとする人はいなかった。
そういう信じがたいポジションに一人の人間がいること自体に驚くべきです。そうした人間を尊敬せずにいられません。そこがヒトラーやブルボン王朝やツァーリズムとは違う点です。ひたすら田吾作に利用されてきたのが天皇ですから。利用を拒絶すれば、むろんご自分の命は危くなる一方、それより何より、国が丸く収まらない。民衆のために、自らが滅茶苦茶な状況に置かれても利用されるということは、本当に尊敬に値すると思います。
なぜ割の合わないポジションであるにもかかわらず引き受けるのか。恐らくそこにはソクーロフが愛して止まない処のある種の日本的なるものの流れの継続があるからでしょう。万世一系というより、ある種の「宇宙の秩序」みたいなもの。それがずっと継続している。歴史学がいうように、厳密な意味で万世一系かどうかは様々な疑義があり得ます。しかし、疑義があろうがなかろうが、朝廷という場である種のゲームがずっと行われてきたのです。
ゲームの継続は秘儀を含めた様々な祭祀によって象徴されます。連綿としたゲームの継続自体からからゲームを継続しようという動機も得られると同時に、ゲームを止めようという選択肢を思いつけないようになっています。それが歴史あるいは伝統というものです。知らない人たちから見れば、他に行動の仕方があるのにと思えるでしょう。ゲームの継続という目的ゆえに行動選択肢が極めて制約され、稚拙な帰結を導くこともあるでしょう。
しかし他方、ゲームの継続という目的ゆえに行動選択肢が制約されるからこそ稚拙な振舞いに及ばずに済む側面もあり、そのことが万世一系に繋がります。どちらを重く評価するかで、天皇が好きか嫌いか、アメリカが好きか嫌いかが、決まります。『太陽』でのマッカーサーの描き方を見る限り、ソクーロフはアメリカを嫌っています。歴史的制約からの自由より、歴史的制約ゆえの懸命さの方が重要だと考えている。保守主義的感受性です。
●大日本帝国憲法は出鱈目なのか
ーー 宮台さんはお祖父さまから陛下のことをお話を伺ったりされましたか?
宮台 僕が生まれる前、母が結婚する一週間前にスキーの事故で他界したので、直接伺うことはありませんでしたが、むろん興味を持つきっかけにはなってますよ。あと偶然ですが、僕の妻が大日本帝国憲法を井上毅らと一緒に作った伊東巳代治の直系の子孫です。面白いことに親や親族から人には言ってはいけないと言われてきたようです。この社会で大日本帝国憲法が悪い憲法だと教えられているからだと言うのです。
それを僕は聞いて妻に言いました。幾つかの点で大日本帝国憲法は日本国憲法より良いと。日本国憲法は、先に示した通り、象徴天皇制を制度として規定するように見えて実は天皇の善意にすがるもので、こんな半端な憲法はあり得ない。天皇の善意にすがって制度継続を願うなどという憲法意思──立憲に際する国民の立法意思──があり得るのか。この点、大日本帝国憲法の方が「現憲法と同じ」欽定憲法でありつつ遥かに一貫しています。
むろんご存じの通り、「内閣」を連帯責任制すなわち文字通りの内閣にするか、個別責任制すなわち内閣とは名ばかりのものにするかを巡って、立憲時に鬩ぎ合いがありました。結果、後者、すなわち英国型ならざるプロイセン型の憲法になりました。井上毅あるいは山県有朋的に言えば、日本国民は民度が低いから、イザという時に行政権力が国民や議会を越えて大権をふるえる超然内閣主義が相応しいと考えたからです。
国民が統治権力よりも上であったり、国民が統治権力と対等な力を持つような構成であっては、イザという時に国をまとめきることができない。そこには国民への不信がありますが、同じ不信が現行憲法下での官僚行政国家にもそのまま引き継がれているので、我々はエラそうに裁断できません。
他方、字面的には国民主権ではないものの、「大臣による輔弼」概念が「君臨すれども統治せず」の立憲主義を表すと解釈され、主権者であるはずの天皇もこれに従いました。但し、憲法11条で軍の最高指揮権が大臣の輔弼の外にあると見做され(統帥権独立)、なおかつ天皇の発言があり得ないこととされた(立憲君主)ので、軍政(行政)軍令(統帥)の分離を前提としつつ天皇は軍令機関の輔弼を受けることとなり、軍令機関が内閣と無関連に暴走します。
とはいえ本来は内閣が軍政を通じてチェック出来る筈ですが、軍部大臣に内閣を通さぬ上奏権(帷幄上奏権)があったため、内閣は軍政に口出しできないと解釈されました。帝国憲法の欠陥だと指摘されるのがこの統帥権干犯問題です。統帥権独立と立憲主義が輻輳した結果、軍部が「天皇からも内閣からもチェックされずに」行動できるようになったのです。内閣によるチェックの不可能性が帝国憲法から必然的に導かれるかどうかには疑義がありますが、少なくとも「憲法が統帥権独立を規定するから天皇に戦争責任がある」という議論は、帝国憲法が立憲君主を想定するがゆえに導かれないことを、申し添えます。