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(回答先: 宗教や心の問題よりも社会のシステムの問題を解決することが先。 投稿者 heart 日時 2006 年 7 月 06 日 20:17:22)
heartさん、レスを戴いていたのは存じておりますが、
所々事情がありまして、レスが出来なかったことをお詫びいたします。
事情というのは、極々個人的なことなのですが、、、
私は、少なくとも創価学会の信者ではありません。
いいえ、どんな宗教の信者でもありません。
最近の日本を傍観しておりまして、創価学会の脅威について、
とても危惧している一人であるとご理解いただけたら、、と願いますが、、、
そもそも、私の世代の人間は、無宗教である人が多いのだと思っております。
私は、会話から、ワヤクチャさんよりも下の世代であると思っております。
皆さんに、宗教に対する帰依を進めようとする意図も持っておりません。
私が、共感する思想は、ネイティブアメリカンの思想だったのですが、
深く知るうちに、イスラム教、日月神示、キリスト教、、仏教、、
思想の根底にある、共通の価値観に気がつきました。
危険であるのか否か、、その価値判断は、後世に委ねるしかないのかもしれません。
それは、一人の人間の価値判断が、揺らいでしまう今なら、なをさらなのだと思います。
私は、少なくとも前世代の生き方の伝承者であると自覚しておりますので、
私の興味は今にはなく、前世代の生き方にあります。
そう云った視点からでは、仰るように間違った道を歩んでしまう危険は伴っているのかもしれません。
しかし、今の世の中を俯瞰いたしまして、
必ずしも正しい道は現在には非ず、むしろ過去における程、
正しき人の道はあると断じられると、
そう云う考えを私は持っております。
宗教的なものは、確かに多くの危険性を孕んでおります。
それは、人心支配に於いて、宗教というものが利用するに足る
利便性を伴っているが所以なのだと思います。
私は、宗教を否定し、葬り去ろうとする力には、抗いたいと思っている一人です。
何の信仰すら、持っていないのに、、、
宗教とは、諸刃の剣なのだと思っておりますが。
人を導くのは、システムや法ではありません。
心が、それを可能にすると信じております。
私は、心を信じております。
それは、真心というものかもしれません。
その心が産んだものが、宗教であると思っております。
私は、間違った道を歩んでいるのでしょうか?
しかし、私が今まで否定してきた道を、
私は肯定したいとの思いを消せまん。
私にとって、真心、そして、信じること、、
とは、神とともあることに他ならないのです。
信じること、、、
それは、人であっても、自分であっても、世界であっても、、、
人間が生み出した、常識以上の結果を生み出す力なのだと
思っております。
妄信はとても危険でありながらも、妄信が必ずしも悪ではないのだと、、
誠に、うまい具合に世の中はできていると、、
そんな風に私は思っております。
失礼いたしました。