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(回答先: 疲れましたので、こちらを以て最後のコメントとさせていただきます 投稿者 ぷち熟女 日時 2006 年 7 月 03 日 08:23:23)
ぷち熟女さん、こんにちは、ご無沙汰しております。
ぼけ仙人さんには割り込みレスになりましたことをお詫びいたします。
さて、久しぶりにぷち熟女さんの投稿【ホツマツタヱは宗教ではありません、などhttp://www.asyura2.com/0601/idletalk18/msg/470.html投稿者 ぷち熟女 日時 2006 年 7 月 01 日】に接して、阿修羅のレベルもまだまだ捨てたものではないとの感慨をあらたにし、それに比して、【失礼じゃったのう、ぷち熟女さんも随分勉強しとるようじゃのうhttp://www.asyura2.com/0601/idletalk18/msg/493.html投稿者 ぼけ仙人 日時 2006 年 7 月 02 日】には、少なからざる落差を否めないと感じました。
「ホツマツタヱ」に関しては阿修羅でも過去に何度か採り上げられ、私もすみちゃんさんとの応答を契機にして少しばかり関係するサイトや書籍にあたってみたのですが、信仰の対象の発見に益するものとは謂い難く、今のところは信仰の背景を物語ったもの(神話)以上のものではないとの結論に達しています。「聖書」と同様に「ホツマツタヱ」もそれ自体がいつ頃成立したのか明快に立証できない現状では、解釈ばかりが先行しがちな物語が持つ限界性を払拭でき得ないでしょうし、またそれが学際的にオーソライズされない致命的な瑕疵となっていると思われます。
人間が持つ宗教心の同質性や本質を解明しようとする場合には、おそらくぷち熟女さんの認識にありますように、マクロ的には「ミトラ教」の生成史や周辺の事情を分析していくことの方に実利があるかも知れません。キリスト教的世界におけるように人々が対峙すべき世界や道筋が宗教によって構成されているのとは違い、日本をはじめとする東アジアでは人々に向けて世界や事物にたいし如何に融通無碍に溶け込むべきかを説いているのが東洋的宗教の外貌です。その中でも、権威への無批判の依拠を信仰の便(よすが)としがちな論理不在の日本人の伝統的な心情では、比較宗教学的に自らの信仰の起源や意味を探求することは至難の業ではないでしょうか。
また、会いましょう。