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(回答先: Re: バブル崩壊十五年戦争への道 投稿者 たかす 日時 2006 年 6 月 26 日 11:40:58)
何度かレスを戴いておきながら、満足にお返事をせずに申し訳なく思っておりました。
以前のお名前のときから、ご投稿に学ばさせていただいておりまして、
大変感謝しております。
私自身、昭和、そして、バブルを挟んで平成と
幸せな時代を経験したのだと、今更ながらに自覚しております。
同世代の人々は、安穏と暮らせたその時代の癖が未だに抜けず、
じわじわと変化する社会に、無防備な安心感を持ち続け
時代の変化に少々の危機感を持ちながらも、
どうせ、自分の命はあと僅か、などと嘯きながら、
あとは野となれ山となれ的な生き方を
選択する人々が多いのでは、、、と想像してしまいます。
来る未来については、わたしも同じ危機感を持っております。
そして、私はこの軽薄な時代を生きた経験から、
次の世代の人々の心が、少なからず理解できるのです。
様々な行動の動機と理由が、、、
まだ、私の理解を超えてはおりません、、今なら、、
自己反省を含め、江戸という時代を学ぶことによって自分たちを知り、
世の風潮になぜ逆らってしまう心があるのか、
その理由を江戸から学べるのではないのかとの思いから
投稿した次第であります。
昭和についての私の感想は、
226事件こそが、境となったのでは、、と思っております。
あの事件こそが、江戸との真の決別だったのでは、、と、
政治的無関心に関しては、仰るように江戸以前から、
庶民は自由にお上を批判する立場をとっていたようですね。
それは、現在にも受け継がれ、
イェスマンよりもむしろ忠言や助言を辞さない部下が尊ばれますし、
お互いの信用というものを重んじ、
行為を見なくても、人を信用すると云う態度を
多くの日本人はとっているように思います。
>過去のどの時代と比べても国家に対する奉仕精神が批判精神を凌駕していたし、前後のどの時代と比較してもあの時ほど支配層と被支配層が国民として一体化していた時代はないと思います。
これは、昭和をさしているのですね?
>士農工商、被差別部落の廃止というのは権力側の統治にどうしても必要なことだったのでしょう。
このことについて、もう少しご説明いただけたならと思いますが、、、
よその国とは違い、身分の違いをごく自然に受け止めていた、
それが、江戸時代なのではと認識しております。
また、支配者階級にいた武士が一番質素に、不自由に生きていた、と、
昭和の権力者とは、、米国でしょうか?
拙い文章ですが、お読みいただきありがとうございます。