★阿修羅♪ > 雑談専用18 > 363.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 私たちは、学びの途中にある 投稿者 haru 日時 2006 年 6 月 19 日 19:46:47)
haruさん、レスありがとうございます。
前半はすべて納得、同意しますので、後半部分について、思ったことを書かせていただきます。
>私は、どうしても世の中で善とされるものに対して、抵抗を持っているからです。
>善を行う人々に躊躇いはありません、自分の行いが善であると云う強い信念があるので、自分の行いを否定されることを信じることが出来ないのでしょう。
>また、悪を断罪する人も同じです。
・・・
>私は、善というものに邁進する人々、悪を断罪する人々にどうしても、抵抗を感じるのです。
人は基本的に、自分が善と信じることに対し忠実に生きていくか、悪(偽善も含みます)の道を進むか、あるいはどっちつかずの人生を歩むか、のいずれかしかないのではないでしょうか。
そして、一番目の、自分が善と信じることに対し忠実に生きていく、というのが、目指すべき生き方ではないかと思います。
ただ、確かに、haruさんがおっしゃるように、自分が善だと思うものが本当に善かどうかは、疑う余地があるのだと思います。
人はえてして自分の信念を盲信しがちですが、本当に正しいのかどうか、常に自分自身に問い続けなければならないですね。また、自分ではなかなかわからないので、他の人の批判に耳を傾ける必要があると思います。
>来る未来の子供には、それらの人間の欺瞞的行為を乗り越え、新たな価値観を生み出して欲しいと願っております。
そうですね。また、大人も、この世にある限り、その努力をすべきだと思います。
自分から率先して「善の追究」を社会の中で実践していく必要があると思います。
よく生きるというのは、他人からの批判や自己批判を消化/昇華させながら、自分が善と信じるものを追究し、実践し続けることなのかもしれないと思います。
(しばらく、多忙のため、もしかレスをいただけてもレスできなくなりますが、十日以内には必ずレスしますので、よろしくお願いします。)