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(回答先: 明日の月日の 無いものを 投稿者 ピノキ 日時 2006 年 6 月 09 日 01:43:27)
お元気でしたか?
>「穏やかな心は身体の命であり,ねたみは骨の腐れである。」(箴言14:30)ってことだね。
感動とか公憤、対しての私憤や怨恨、ある意味では共に激情ですね。熱く燃えています。箴言を通り一遍に受け入れれば、善であらねばならぬように自己抑圧してしまいます。心に嘘を吐かず思うままに解放すべき。但し情熱の方向性を誤れば健康を害します。
>おいらが考えてる生きる意欲っていうのは、そういうんじゃないんだ。涙とか悲壮感みたいなものは全然なくて、自分も周りの人も笑顔になれるようなそんな明るいものなんだ。
勿論、そうだと思っていました。
その瞬間が過去に2度程訪れた時、私はまだ無神論者(正確には敵対していました)でした。
一度目は確か中学か小学か、ともかく晴れた日の校庭の自由時間だったと思います。
草木や風や太陽までも、擬人化した顔で笑っていました。全てを受け入れられて、包まれていると感じました。しかしそれは一秒にも満たない一瞬だったのです。
過ぎ去って、その感覚が無くなり、必死にその感覚を呼び戻そうとしたのですが、2度目がやって来たのはそれから十年以上経ってからの事です。
神を受け入れた時、3度目のそれが訪れました。以来、その素晴らしい感覚は自由に呼び込むことが可能になりました。
そういうことですか?