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(回答先: 私も死にたくないです。 投稿者 ワヤクチャ 日時 2006 年 6 月 05 日 22:56:03)
ペルシャの王クセルクセス1世は、西暦前480年、ギリシャとの戦いに臨む前に自国の軍隊を検閲していました。ギリシャの歴史家ヘロドトスによれば、王は閲兵しながら涙を流しました。不思議に思った側近が王に尋ねてみると、クセルクセスは次のように語ります。
「人の命のはかなさを思うと、悲しみを禁じ得ない。これらすべての兵士のうち一人として100年後まで生き長らえる者はいないのだ」。(ヘロドトス「歴史」より)
なんか不思議なエピソードだよね。唐突にこんな話しが挿入されているんだ。
これから、大いくさって時に、なんだってそんな物思いに耽ってしまったんだろう。でも、クセルクセスが胸が締め付けられるような悲しい気持ちになったのは分かるよ。
おいらもはじめて死を意識した時は、そんな感じだった。
そして、どうせ人間、最後には死ぬんだから、何を一生懸命する必要があろうかって気持ちにもなったよ。
だから、限りある人生だから有意義に生きなくっちゃなんて考えにはとてもならなかった。そういう言葉はよく目や耳にするけどね。なんか納得いかなかったよ。結局、あきらめムードの開き直りみたいな感じがして。
「たとえ死んでも、人々の記憶中に生きている」なんて言葉も、なんかゴマかされているようで慰めにはならなかった。人の記憶になんか残らなくてもいいから、ただ生きていたいって思うよ。それにおいら、おじいちゃんの記憶なんて何にもないよ。おらの記憶だって、すぐに忘れ去られるさ。
でね。
考えるんだけど、「限りある人生だから有意義に」ってのは、今は分かるんだけど、人に生きる意欲を持たせるのは、というか生きる意欲を持つのは、「限りある命」なのか「死ぬことのない命」なのか、どっちなんだろう。
おいらは、もちろん「死ぬことのない命」なんだけれどね。ワヤクチャさんは、死は友達って言うけど、死は敵だと思う。せっかく積み重ねてきた知識や業績も無にしてしまうんだから(自分にとってね)。身近にあるけれど、友達なんかじゃない、セットされた時限爆弾。だからワヤクチャさんは、本当にそれで納得してるのかなって、それを教えてほしいんだ。