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(回答先: 死にたくない者として 投稿者 ピノキ 日時 2006 年 6 月 05 日 08:59:10)
でも、死はいつかは必ず訪れるのです。
あなたは恐らく若いから死を身近に感じないのでしょう。
私は年を取ってきたから死までの時間をどう過ごすのか考えるようになったのです。
死を友達のように考えたら又考えも変わります。
余命宣告を受けたガン患者が残された時を悔いないように送ろうとするように。
いつ死ぬかは分からないが必ず死ぬ運命にある人間も又死期を告げられない
死亡宣告を受けているのです。
全ての人間が日々死に近づいていっているのです。
そう考えたら「いい生」を送ろうとするのではありませんか?
人々の記憶に「いい人」として記憶されるように。
自分が「いい人」として人々の記憶に残る事が信じられる人は幸いなるかな。
って事です。
そう信じて死んでいきたい。
逆に生きていてもどんなに頑張っても自分の記憶がロクなものではないと思った時に人は自殺したくなるのではないでしょうか?
生きていたくなくなるのです。
貯金の残高が減り続ける事が必然の生活が耐え難いように。
信頼できる人ができたと思った後にその人に捨てられたら死にたくなるのは自分の価値がなくなったように思われるからです。
出会いの喜びが大きければ大きいほど捨てられた時のダメージは大きいです。
「人はパンのみにて生きるにあらず。」というのは
人はメシが食えるというダケで生きられるワケではなく
自分の価値がなくなった時に精神的に死んでいるという事を言っているのでしょう。
死を身近なものとして感じている人間の方がより充実した人生が送れるのではないでしょうか?
死にたくない。だが死は訪れる。