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自殺者が8年連続で3万人を越えたと言うことだ。
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1941245/detail?rd
まあ、上記を読んでもらえば、分かると思うが、昨年末より政府や自治体でも多少の対策を講じていたが、昨年度より増えているらしい。
http://asyura2.com/0510/hihyo2/msg/977.html
の記事を読んでもらうと、まさに言い得て妙とKは思う。小泉政治は「全く、住みやすい国造りには役に立たなかった」のだろうと思う。
Kは前々から主張しているが、方向性が真逆なのだろうと思う。
しかし、その中でマスコミだけは「良い状況になってきている」とのアナウンスを続けている。明らかに、情報の選択が行われている気がする。
「本当の報道をしてしまうと、全てが裏向き思考になるので、前向き思考で乗り切るために、少々の誤魔化しは仕方がない」という部分もあるのかもしれないが、本質を隠蔽しての見せかけの不況脱出では「益々、事態を悪化させるだけ」だろうと思う。
人間というのは、愚かで不完全な生き物である。「緑に囲まれて暮らしたい。」とか「原発には反対」とかは、誰でも理想としては感じているのだろうが、それを本気で実行する物は推定では3割には満たないだろうと思う。誰でも「便利さの前に屈してしまう。」
Kも煙草はやめた方が良いと思うし、他人にも「百害あって一利無しだから、やめられるなら、やめた方が良い」とか言いながら。自分では吸っている。所詮は人間とはその程度の存在なのだろうと思う。
政治は「そこが分かっていないのだろう」と思う。
最近、住みやすさという意味においては、明らかに住み難くなっているという気がする。
個人情報保護とか公的機関などでの全面禁煙とか著作権・肖像権・・・
所謂、机上の空論による合理主義が「人間の本質を否定した方向」に向かって進もうとしているのだろうと思う。本来人間というのは「いい加減で、愚かで、ワガママで、気まぐれで、不完全」なのだろうと思う。
ただし、社会で生活していると言うことの中では「そこを厳しく律して、他人に嫌な思いをさせない事を規則で縛ることはある程度必要である」という意見はあるだろう。多分だが、そこが違っている。そこは、規則で縛る分野ではなく「道徳とか教育とか躾」という分野なのだろうと思う。
そこが、間違っているから、ホリエモンとか耐震偽造のような輩が出てきて問題が起こるという面があるのだろうと思う。
先に「永田議員の偽メール問題」があった。Kはその時に一貫して「こんな事件で国政調査権を使用しようとするな」と主張した。ただ、反小泉派の立場で考えた時「武部氏だって叩けばホコリが出るのだろうから、偽でも何でも口実にして、徹底的に調べれば、打倒小泉の何かの切っ掛けにはなるかもしれない」と言う意見はあり、それも、面白いかなとは考えてはいた。
共謀罪は「上記の意味」でかなり危険な法律だろうと思う。前の偽メール問題の時の反小泉派の「お祭り的盛り上がり方」を考えれば、共謀罪を理由に「何だってしょっ引ける」のだろうと思う。少々の「限定条件」を付けたって「国際テロに限定」したって「疑い」の段階でしょっ引けるのだから意味はない。
で、しょっ引いて「叩いてホコリを出して」「国際犯罪組織には関与しているという十分な証拠は発見出来なかったけど、ホコリは出ました」で終わりである。
だいたい、そんな時の誤認逮捕では国家は隠蔽するだろうし、マスコミだって報道を控えるだろう。巨大な組織的思想団体の構成員であれば「組織が騒ぎぐだろう」が、それは「組織的な構成員の証明」になるし、組織的背景がない人なら「家族が騒ぐくらい」でニュースにもならないで「闇から闇」で忘れ去られるだろう。
郵政民営化の時に政府は「民営化はしない」という前に作った法律を無視した。また、サービスは低下しないという「今回の約束」など、全くの口約束に過ぎないように「既に大幅なサービスの低下が予想されはじめている」
政府というのは「法案さえ通れば、後の事なんて、どうでも良い」と組織なのである。
条文で厳しく「足枷」をしたって駄目である。政府は通れば細かい条文なんて覚えてはいない。年金未払い問題の時に「複雑すぎて分からなかった」と言って未納していた議員は多かった。要は本体が通れば、後はどうでも良いのである。「やりたい一心で、結婚するとその場しのぎの嘘を言う、既婚男性」と同じである。
愛国心問題というのがある。なんでも「我が国と郷土を愛する」とか言う表現問題で揉めているようだが、土地とか領土という意味と言うことだろうか?
「自殺者が3万人を越えるような住み難い国」を愛せよというのが思考停止である。
「愛国心」をどうこうと言う前に「愛せる国造りをすることの方が先だろう」とKは思う。
「そので暮らす人が、一人でも多く、幸福を感じられる」と言うことが「愛される国」になるのであって、ごく少数の成功者だけが金持ちになっていくような国を「愛せよ」と強制する、もしくは教育によって「洗脳」しようとしているような国を愛せるはずがないという気がする。