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(回答先: ふーむ・・・物事は単純ではないですね。 投稿者 heart 日時 2006 年 5 月 03 日 00:02:54)
heartさん、こんにちは。
一面では、「怒り」はエネルギーの建設的な部分を殺ぐことにもなりかねず、また「怒り」にまかせて事にあたるならば、往々にして誤りを犯すことになるのは必定です。その無惨さの最たるものは「怒り」に発する人々の想いや振る舞いが敵対する人間達によって利用されることでしょう。
しかしながら、自身の感情に発してしまった「怒り」を無視するのではなく、生じたものは生じたものとして、それが何故起きたのかきちんと受け留めてみる必要があると思います。何故なら、時に「怒り」はpathos(情念)の発露のmoment(端緒)になり、またそれはethos(感性的蓄積=習性)を構成する重要な要素(体験)でもあるからです。無論、「怒り」は対象化されなければならず、すなわちやがて昇華されなければ正義も力も有し得ないと考えます。
そして、対象化するときの要諦が“cool head but worm heart「冷静な頭脳に温かい心」”(Alfred Marshall)ではないかと、これを私流に解釈するならば“cool head ”とは想い込みを排して物事を論理的に捉えることに、“worm heart”は他者の立場に身をおいて考えることに置き換えられるのではないかと想います。
“cool head but worm heart ”は日頃自身に課している戒めですが、そんなに容易いものではありません。特に“cool head ”は個々の鍛錬によるところが大きく、また“worm heart ”はそれ相当の意識転換を要しますし人間的な覚醒にも通じるものであるでしょう。
何れにしても自己研鑽・自己修養が求められますし、人々の評価に堪えうるような水準に到達するまでには道遥かでありますが、将来的にみても多くの可能性の只中にあるheartさんが非常に羨ましいかぎりです。
敢えて強引な表現をするならば、抵抗する者達こそは掠奪し支配する者よりも賢くあらねばならぬと思うのです。どんなことがあっても決して(多分?)めげることのない筋金入りのワヤクチャさんのように、これからも世界認識(歴史認識)を深めていくのと同時に高潔な気概を以って社会に働きかけていってください。期待しています。
また、会いましょう。