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(回答先: 考察レベルと言語変換を考察する。 投稿者 考察者K 日時 2006 年 4 月 19 日 16:10:08)
終わるとか書いておきながら、一番書こうと思っていたことを落としてしまった(汗)
「ニートを更生させるために投稿制限をしよう」と言う意見の是非を考察するならば、それによって予測される「損得」を見極めなければいけないだろう。
阿修羅が「ニートの遊び場になり得る」という仮説は成立すると考えられる。実際に「ニートが来ているかどうか、ではなく、可能性があるなら、対応策は講じても良い」だろうとKは思う。
でも、仮に「阿修羅から排除して、ニートは更生するのだろうか?」
多分だが、これは無理だろうと思う。
日本人の最大の欠点と思われる事柄にKは「嫌いな物は、見たくない」という習性があると考えている。
「見えなければ、存在しない」とか「縁起でもない言葉は聞きたくない」というようなことだが、多分、日本以外の外国よりも強い習性である。
結婚式の時の禁句というような物を考えてほしい。メッセージを伝える人が「離婚に至った実例などを示して、離婚に至らないようなアドバイス」を行ったら非難囂々だろうと思う。
「不吉な言葉」が耳に入ったから、そうなるのではなく、そのような事なかれ主義だから実際の悲劇が起こる。と言う場合もあるのだろうが、取りあえず、縁起という物を気にして、「そのような事実があることを知らなければ、何も起こらない」と考えている部分は間違いなくあるのだろうと思う。そのような時には「論理とか理屈より、縁起という物が上位を占めるのである」
ホテルに宿泊した時に「この部屋では、前に自殺した人が泊まった事がありまして・・・」なんて話をされたら、帰ってしまう人がいるだろうと思う。知ってたって、知っていなくたって、状況は変わらない。幽霊が存在するしないはともかくとして、知ってたって知っていなくたって「出る時は出る」
知っているから出るというのは「幽霊ではなく、気の迷いからの幻覚」だろうとKは思う。しかし、理屈では、それが正しいとしても、日本人の習性では「知っているからこそ、幽霊は出る」のである。
多くの人が可愛がっていた近所の犬が自分の家の前で死んでいたら、喜びはしないだろう。犬にすれば「最後の力を振り絞って別れの挨拶に来た」のかもしれないが、来られた方はありがた迷惑だろう。「できれば、自分の目の届かない場所で、自分に分からないように死んでもらって、その後も死んだ事実を知らせないでもらうのが一番ありがたい」と思うような人も多いだろうと思う。
さて、これらの例は、もちろん、適当に関係なく書いていた訳ではない。
「阿修羅にニートが遊びに来ているなら、排除するよりは、阿修羅内で更生させるように仕向けるのが正解」だろうとKは思う。
阿修羅の投稿数を規制したって、別の場所に行って遊ぶだけである。
ニートの実情を知る機会もあるかもしれないし、ニートの言い分だって読めるかもしれない。
投稿者のプライベートにも関する部分なので、一概には言い切れないが、本当にニートが「怠け者」が主な原因になって生まれるのか?政策の被害者としての要因の法が多いのか?も、知らないよりは知っていた方が良いかもしれない。
最初にも書いたが、阿修羅があるからニートが増えるのではなく、ニートが増えるから阿修羅にも流れつくのであろうとKは思う。
ニートにおける責任論を推理した場合「失政5割、企業などの方針2割、先輩等職場等、周囲との対人関係1.5割、本人の問題点1.5割」と言うくらいがKのイメージであるが、ハッキリ言ってなんの根拠もない感覚である。
実際には、上記の要因が比率度合いを変化させながら、個々のニートを作り出すのだろうと想像するわけだが、まあ、遊び場の提供は要因としては少ないだろうと思う。
少なくとも、パチンコしているよりはネットしている方が「リスクは少ない」
下手に追い出して、他の遊びに手を出して、借金作って自殺でもされたら責任問題も生じないとも言い切れない。
結論としては「投稿規制はマイナス面が多いので反対」とするしかないでしょうね〜