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考察レベルと言語変換を考察する。
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投稿者 考察者K 日時 2006 年 4 月 19 日 16:10:08: JjkI8nWTpj0po
 

 考察にはレベルという物が存在するだろうとKは思っている。
ただし、それを言語変換した時に、相手側に伝わるかどうかは、全く別の問題で、誰にでも理解できる言語変換をして「優しい言葉で説明する」のと「専門用語の羅列で専門家にだけ理解できるように説明する」のは、考察レベルとは違うことである。

 日本の頭の良い人というのは、知識はあるが、考察力に欠如しているという面が多々見受けられる。「知識試験制度」と「上意下達社会」の弊害なのだろうとも思うが、ともかく、組織内に取り入れられた瞬間から「自己主張は御法度」というような状況があり、その中で才能のある者も埋もれていくと言うことは多いのだろうと思う。その最たる物が「政党政治」と「官僚機構」であろう。

 小泉氏は「自民党をぶっ潰す」としながらも、新しい上意下達の構造を作り上げただけで、実際の社会においては「我が儘でも、押しの強い奴が勝ち、お人好しが負け組になる格差社会になっただけ」だろうとKは分析している。見事に「正義感があり、モラルを守ろうという正直な者は損をする」という「一番なってはいけない社会」になってしまったのだろうと思う。

 と、この程度の分析であるならば、誰にでも出来るレベルの分析であろう。レベル2くらいかなとも思うが、ここで、「現在の状況は、変化の過程の一時的な混乱期であり、今後は良くなる」という仮説が提唱されてもおかしくはないだろう。場合によっては、レベル2の考察は論破される可能性があるだろう。

 ニートには2種類のニートがいるとKは主張した。だから、画一的な対処法ではなく、慎重な対応をすべきというのが、Kの意見であるが、この辺もレベル2くらいの考察だろうと思う。

 ニートという存在を考えた場合、救いようのない「怠け者」という部分もあることは間違いはないだろう。この部分は「小泉政策の失政」との因果関係は少ないだろう。どんな教育を行い、どんな社会制度を作り上げたとしても、一定割合の「社会に適応できない人」というのは存在してくるのだろうと思う。

 「平和で自由な国」と「厳しく規律のある、強権的な国」があれば、多分、後者の方が「怠け者ゆえの社会不適応者」の比率は下がるとも考えられるが、国民全体の幸福度という部分は後者の方が劣るという推定も出来る。要はバランス感覚の問題であり、少し前まで「社会主義と資本主義で争っていた構図」はこの辺での、対立である。

 ニートが社会にとって悪か?と言う命題にはKは「悪であり、改善が必要」と考えているが、これだって、画一的なイメージによる「詭弁的な主張」だろうと思う。
 例えば、ニートの中には「人生は長い、焦って就職するより、世界情勢、経済情勢を2〜3年かけて勉強してから」という考えの人だっているだろう。職業訓練学校で勉強するだけが勉強ではない(neetの語源は、働いていない、勉強していない、訓練もしていない、家事にも従事していないの頭文字を繋いだとか)。

 Kはニートを当初から「遊び人」として、問題視していたが、これにも、レベル1程度の考察をする人を誘導しようと言う詭弁的な部分はあったのだろうとも思う。ただ、ニートの場合、全部が全部、後の社会に悪影響を及ぼすとは言い切れないまでも、相当数が後の社会に禍根を残す可能性が高いだろう。
 それが、パラサイトシングルに移行していき、少子高齢化社会を悪化させ、年金制度を破綻させ、税収の悪化から財政破綻に悪影響を与えるのなら、「改善する方法を考えるのは日本で生活する者の義務」という部分も出てくるだろう。

 もっとも、Kごときが何を騒ごうと意味はないというのも「間違いなく正しい見識」であり、それから、連鎖していけば「阿修羅掲示板」の存在自体にも価値などない。という論理立てになってしまうだろう。

 これを逆に考えれば「ニートに対する悪影響はないとは言えないが、コンマ以下の無視できるレベル」も崩れ去ってしまうという意味である。例え、僅かの可能性だって、あることはあるのだから、簡単に切り捨てるのは、詭弁的な手法とも言えるだろう。

 「ニートは失政の被害者である部分も多い」というのは間違いはないだろう。中には「他の人が我慢しているのだから、我慢が足りない部分もある」という意見の人はいるだろうが、個々の事情など「体験した本人以外は絶対に分からない」

 例えば、選挙において、「民主党の票を一人10票集めてくれ」と仲間内で決めたとして、仲間の中に、家庭が創価学会の人がいたとして、その人が結果的に「10票集めてこなかった」場合「俺らが集められたのに、集められないのはお前が悪い」と批難するのは、どう考えてもおかしいだろう。個人ではそれぞれの事情があり、自分に出来ることなら、他人にも出来るという理屈は成立しない。

 この場合、「民主党の票を一人10票集めてくれ」との仲間内の決議の時点が間違っていたのだろうと思う、家庭が創価学会の人は「例え反対しても、多数決で敗れていた」かもしれないし、そもそも、家庭の事情まで晒して反対するような案件と考えられるかも「個人の考え方」なのだろう。

 で、個々の個人的都合は千差万別であり、他人が評価していいような代物ではなく、住所と名前すら、個人情報保護しろと騒がれている昨今においては、極度にプライベートな情報にも抵触する事項であるから、ニート本人にしか理解できないが、本人にとっては極度に重要な理由があったりもするだろう。

 そのような連鎖的な思考遊びをしていると、何が何だか分からなくなってくるわけであるが、まあ、ニートは「減らせるなら減らした方が良い」というのは、日本という国の歴史を終わらせて良いのではない限りは正しいとKは思う。
 一方で、日本という物に固執するのは「世界政府」の実現が理想だと考える人には「間違った考え方」とも言えるだろうし、世界政府が出来て戦争のない平和な社会が実現したら、「地球環境、人口問題などには、逆効果である」という考え方だってあるだろう。

正しいなどという概念は視点によって、どのようにも変化してしまう。

結局は「自分の立脚点を確立」し、今現在所属する「立脚点」を良くする考察こそ、正しい考察とすべきで、多角的考察によって、「他人の立場などからの考察をする」などというのは愚の骨頂という事いうのも一理も二理もあるのだろうと思う。

この考えを推し進めていくと「利己主義で、法に抵触しない考察こそ正解」という回答に辿り着いてしまうだろう。
 更に言うならば「専門用語や、自分だけに分かる造語などを出来るだけ使用して、説明する気などないが、一応は説明したという形式は取った上で、できるだけ相手に理解できないように言語変換する」という事も、正しいテクニックの一つという事にもなるだろう。体裁を取り繕いながら、相手に手の内は開かさない。というのは、かなり有効な手段であろう。

と言うことで、最初に戻ったようである。何が何だか分からなくなった気がする。
う〜ん、これだから、哲学は嫌いなんだよぉ〜
お終いにする。

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