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(回答先: 性善説と性悪説 投稿者 膝枕 日時 2006 年 4 月 16 日 11:27:23)
人間は生きねば為らない
それは生まれまもなくして生きるべくして
栄養を口に入れることからはじまる
そこで人として生きるための欲を覚える
生きるために生まれたのだから
欲を持つことは必要なことだ
だから必要悪とうたうのは計算高い人間の身勝手なものいいだ
生まれてまもない子の魂は清い
何があるいてるのかと思ったら水子だった
水子は親を求めてただ歩く
なんの障りも無い
これほど綺麗な物は無いというほど透き通り輝く
という
また至誠ということばに代表されるように
至誠尽くして動かざる者未だこれあらざるなり
と死んだ吉田松陰の行動振る舞いに
人としてのあるべき真っ当な心を見、
心と呼べるものはみな清いことを知る
どんな悪辣非道な人間にもその心はある
と、しんじ疑わず、
その頑な心を如何に動かすかということを考え行動できる者は
厳しさに身を置き、心の清さを守ろうとするものだけ
現在この世にそうした人間がどれだけ居るかは知らないが
それは絶対的な力でもある
しょうわるだろうが小4だろうが
結果は同じ
みな心は清い
それは誰もが人間という生き物に生まれてきたからに他ならない
人を人と見ないのは人の心がないのと同じ
人はすべきことをするだけでいい
己に克つ
欲は一度覚えればとめどなく満たされるまで吸収しようと働く
それは一度暴走すればすべてにとって善いことはひとつもない
だが智慧はおおいにある
己の欲する物はここまででよい
という判断をするのは誰でもない
己個人に掛かっている
やってみてその良さを感じれば人はその道を進む
体の為に暴飲暴食しない
だからほどほどにする
というのがもっとも「らしい」考えでありオーケーだ
実際は大きな欲の為に小さな欲は捨てる
運の為に厳しいことを選ぶ という具合だが
アピールせなあかんところは普通のことだ
人が惹かれないところにまともなことがあるのかも知らん
こまったものだ
人は生まれつき法性(ほっしょう)である
それは揺るぎの無い精神の強さであり、智慧はそこに与えられる
悪を見て悪といえる目を持つ
絶対的な智慧
それは心無き弱者には悪魔のようにも映るであろうが
まずもうすこし人の修行をしてからでよい
仏性も同じだがやさしいニュアンスにきこゆる
人の根本的なものは善か悪か
などと醸し出して何を期待できるかなぁ?
というよりも
既に人類60億
これらの説を如何と用いてなんとかしよう
世界を救おうなどと触れ込むは
大変いかがわしいことのように聞こえる
人の為に は いいが
世界の為に 人類の為に と気張ってはなにもでんだろう
いかがわしい人間はスターとよばれて世に多いな
人は太古に暮らしを戻さなくてはダメになる
本当に美味しいものがくえなくなる
さあ美味しいものを知りに旅に出よう
人に物を教えるにはそれがいい
日本の良さを世界に伝えればいい
ムになぞらえるを悪魔の数字だとかいまだに触れ込むのもどうかなぁ
それもまた他方の歴史認識に踊らされた結果とは思えないかなぁ
いつまで続くか憎悪の念 既に惨敗しつつあり
清いのは生まれつき
育て方が大事 に賛同する世の中だろうが
自分は己の経験からみても 育てられ方が大事だったと思うなぁ
いや まずそうした場所 雰囲気に身を置いた幼少だったから
場所 環境 雰囲気は大事だろう
雰囲気とは 寺社 自然環境 それらをとりまく人々の不可思議さかな